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本とビールと君の歌声

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 「ええ、とても素敵でした」

 その時のことを思いだしたのか、リヒテンシュタインも、くすくすと笑った。
 懐かしむように笑うその笑顔がとても楽しそうで、ドイツはなんとなく面白くない心持ちになった。

 (日本から歌を教わったと言っていたが、それは、二人きりだったんだろうか。スイスがそんな場に同席する筈がないからな・・・少し無用心じゃないのか?それは俺だって日本のことは信頼しているが、あいつだって男だ。万が一ということもないとは言い切れないじゃないか。)

 「どうされました?」

 リヒテンシュタインに声をかけられて、ドイツははっと我に帰った。
 不思議そうに首を傾げている姿が、リスのようだな、と一瞬思い、すぐに首を振って頭に浮かんが映像を打ち払った。
 
 難しい顔をして考え込んでいたかと思えば、なにやら今は千切れるのではないかと思うくらいに頭を左右に振っている。そんなドイツの挙動不審な行動に、リヒテンシュタインは体調不良かと心配になった。

 「どこか具合が悪いのでは?」
 「いや、そうじゃない。大丈夫だ。なんでもない」

 確かに、今日は頭の具合が悪いような気がする。
 日に当たりすぎたのかも知れない。
 
 とにかく話題をそらそうと、ドイツはまだ心配そうにしているリヒテンシュタインに、ある提案をしてみることにした。

 「日本から教わった歌を、教えてくれないか?」
 「え?」
 「実は来月に日本と会うんだ。それで、その時に驚かせてやろうかと思ってな」
 「まあ」

 日本に会うことは事実だが。本音を言えば、ドイツはもう一度、リヒテンシュタインの歌声が聞きたかった。
 回りくどいことをしなくても、お願いすれば彼女は歌ってくれるだろう。だが、それではすぐに終わってしまう。教わることにすれば、覚えるためだと理由をつけて、何度でも彼女の歌を聴くことができる。
 少しでも長く。柔らかく優しい、そしてどこか甘い歌声をずっと聴いていたい。

 「ダメだろうか?」

 海のように青く美しい瞳が、光の中で揺らめいていた。
 期待と不安を滲ませたそれは、リヒテンシュタインに遠い昔の記憶を思い出させた。

 (ねえ、歌ってよ?どうしてもダメ?)

 何度も同じ歌をせがんでは、抱きついて離れなかった小さい男の子。
 その子は、こちらから近づくことを躊躇してしまうくらいに、立派な青年へと成長した。

 「私くしでよろしければ喜んで」

 太陽が燦燦と輝いている。
 木漏れ日に包まれたテラスでは、フルートのよう柔らかく優しい歌声と、チェロのように低く穏やかな歌声が重なり合うようにして奏でられていた。

 ドイツは隣に感じるぬくもりに、この時間がずっと続けばいい、と叶うことのないことを考えていた。


作品名:本とビールと君の歌声 作家名:飛ぶ蛙