world of...-side red- #03
青年の言葉に何かを感じ取り、ナターリヤは口元だけを微笑ませた。
――もしかしたら、標的(マト)の一人かもしれない。
「……良いだろう、少しくらいなら付き合ってやる」
得体の知れない“何か”は、既に足元で蠢いている。
*
「エリザちゃん!マリーちゃん!」
テラスから戻ってきたライナが、二人に手を振りながら小走りで近付いてきた。
二人は彼女を笑顔で迎える。
「ライナさん、お帰りなさーい」
「ナターリヤさんは大丈夫ですか?」
「えぇ、しばらく外で休んでる……ていうか、たぶん中には来ないと思うなぁ」
「仕方無いですよ。それに、外から分かることだってありますし」
「……もー、二人とも優しいから、私感激しちゃうわぁ~」
ライナが二人に抱きついた時、フロアの照明が落ち、小さなステージにスポットライトが当てられた。
そちらを振り向くと、袖から護衛に守られながら、年を召した老人が出てきた。
あれが話に聞いていた、主催の富豪だろう。
老人特有の緩慢さで、ゆったりと挨拶が述べられる。
そして、会場に居る全員が、シャンパンのグラスを高々と上げ、乾杯の声をあげる。
その間、背丈が低く気付かれにくいマリーが、周囲の状況を窺っていた。
顔の見えない今なら、移動しても個人の特定がされにくい。
闇に乗じて動く者、それこそが件の組織の片割れに違いない。
そしてそれは、いとも簡単に尻尾を出した。
照明が灯りを取り戻し、辺りは再び光の元に曝される。
マリーは二人の服をくいくいと引っ張り、先ほど見た光景を告げた。
「お二人とも。……居ましたわ」
「どんな人だった?」
「セミロングの黒髪を垂らした、お綺麗な方でしたよ。向こうの窓からテラスに出られました」
「……なるほど、安全に会おうって魂胆ね。ありがと、マリーちゃん」
エリザベータは顎に手を当てて頷いた。
この建物のテラスは、外周を囲うように出来ていて、ぐるりと一周することが出来る。
正反対の窓から出たとしても、落ち合う場所さえ決めておけば確実に会えるのである。
「じゃあ、私がその人の後を追うわ」
「うん、お願いね。マリーちゃんは……、私と一緒に反対側に行こうか」
「はい、分かりました」
かくして、エリザベータとライナ、マリーはタイミングをずらして、ナターリヤが居るテラスとは逆の窓から外へ出た。
丁度、テラスを歩いていく女性の姿を捉え、エリザベータはその後を静かに尾行した。
そして念の為、ライナとマリーはそれとは反対方向、建物の正面玄関の真上にあるテラスへと移動した。
一方、ナターリヤの方では、先程の青年と他愛もない話をしていた。
パーティーに来た理由(彼女は「暇潰し」と答えた)、今日の星空。
ちらりと青年が腕時計に視線を下ろし、ひとつ伸びをした。
「おっと、そろそろ行かねばなりません」
「大分ここに居たくせに、予定はあるんだな」
「えぇ、まぁ。人と会う約束がありましてね」
「……女か」
手すりから離れ、ナターリヤは青年に近寄った。
白い細腕が、彼に伸ばされる。
「嫉妬ですか?」
「自惚れるな、馬鹿め」
首の後ろに回ったはずの手からは、温もりが感じられなかった。
代わりに青年の肌に伝ったのは、金属の冷気。
ナイフ、だった。
「貴様、裏の人間だな。どうせ人と会うのも、何かの示し合わせだろう?」
「……なんと、見事に罠に掛かってしまいましたか」
「自業自得だ。持ってる情報(もの)を吐いて貰おう」
青年は手を挙げ、降参のポーズを取った。
ナターリヤはそれを受けて、ゆっくりと二、三歩下がる。
その瞬間、青年は素早く懐の拳銃を抜こうとしたが――それはあっさりと破られた。
取り出した刹那、ナターリヤのナイフによって弾かれたのである。
「つまらないヤツだな」
「……ふぅ、ごもっともですね。こうされては、今度こそ本当に降参です」
油断なく、ナターリヤは服に忍ばせていたナイフを指の間に挟み構えた。
投てきは、彼女の最も得意とするところだ。
もし、彼が逃げ出そうとした所で、その背を迷いなく貫くだろう。
「なら、この場で全て曝すと良い。巣に帰ったところで、どうせ末路は分かってるからな」
断罪の少女が、嗤う。
*
コツ、とヒールとコンクリートの床がぶつかる音がする。
エリザベータは、前方の人物が立ち止まったのを受け、自らも足を止めた。
「バレバレよ、貴女」
黒髪を翻し、女性は振り返った。
余裕綽々で笑いながら、エリザベータは彼女に言い放つ。
「えぇ、最初から隠れようなんて思ってないもの」
堂々とした態度のエリザベータを見、黒髪の女性は不敵に微笑んだ。
「ふぅん……。どうやら、私の正体は割れてるようね。……そう易々とあげると思って?」
「なら引き出すまでよ」
二人は同時に、相手に向かって飛び出した。
女性が蹴りを繰り出すと、体勢を低くしてそれを避け、エリザベータは足払いを仕掛ける。
引っ掛かったように見えて、女性は軸足を浮かせると、手を支点に足を回転させた。
それが仕掛けられるまでの僅かな間に、エリザベータは素早く前転し、すぐに振り返る。
女性は立ち上がるや否や、間合いを詰め、鋭くストレートを仕掛けた。
エリザベータはその伸ばされた腕を掴み、脇の下に回して押さえ込みながら、後ろ手に締め上げた。
念の為、スカート下に忍ばせておいた拳銃を、後頭部に突きつけておく。
「つっ……!」
「驚いた、なかなかやるわね」
「……あんたこそ」
「さて、もう私の目的は分かってるでしょ」
「言うわけないじゃない」
「そう……。死に急ぐの?」
カチャリ、とハンマーが引かれる。
女性は諦めのように溜め息をついて言った。
「仲間を売る気なんか無いだけよ」
「律儀ね……良い事だわ」
「やるなら一思いにやって頂戴」
「潔ぎいいじゃない。その態度、買ってあげる」
女性は目を瞑った。
しかし、鳴り響くかと思われた銃声は、いつまで経っても鳴らなかった。
目蓋を開き、訝かしんで女性は後ろを振り向いた。
彼女の背後で、エリザベータがくすりと笑う。
「ごめんなさいね。今日は穏便な仕事だから、貴女の覚悟は受け取れないわ」
「……見逃すって言うの?」
「だって――ほら、前を見て」
視線を前方に戻した女性が見たのは、長い銀の髪をなびかせた、ナターリヤだった。
彼女が出てきた方向は、女性が向かおうとしていた場所へ続いている。
「お疲れ様。首尾はどう?」
「ん、あっちが大体喋ってくれた。とりあえず壁に張り付けて置いたけど、良いのか?」
「えぇ、バッチリよ」
そう言うと、エリザベータは女性を解放した。
そして、何事も無かったかのように、ナターリヤと共に、元来た道を歩き出した。
突然のことに戸惑った女性は、彼女らの背中に声を投げかけた。
「ちょ、ちょっと!」
「何かしら?」
「敵をみすみす逃して……どうすんのよ」
「さぁ?」
作品名:world of...-side red- #03 作家名:三ノ宮 倖