あなたが憶えているすべてを僕はしらない
[サイケデリック]
目が覚めたら白い部屋にいた。どこかで見たことのあるような金色がきらきらと光っている。段々クリアになっていく視界の中に、不安げにこちらを見詰める男がいた。背が高い。男のてのひらがいままで俺の頭を撫でていたようだ。心地よさに目を閉じる。俺はこの感触を知っている。そんな気がした。やさしそうなその瞳を見詰めて「・・・だれ?」と聞いてみた。途端に男は驚いたように目を見開いた。今の質問はそんなにおかしかったのだろうか。もしかしたら俺はこの人を知っていて当然なのかもしれない。だからこの人はこんなに驚いたのかも。記憶の中を探ってみる。だめだ、思い出せない。それどころか俺は自分のことを含めて何一つ覚えていないことに気づいた。なんでだろう?そもそもなんでこんな白いところにいるんだろう?ていうかここどこ?俺の頭を疑問の嵐が通り過ぎるが、まずは目の前の男のことだと思った。もし俺の知り合いなら俺のことを教えてくれるかもしれない。もう一度聞いてみる。「ねえ、だれなの?」「俺は、」彼はすうと息を吸い込んでこう言った。「俺は、平和島静雄だ」「へいわじま・・・?」へいわじましずおへいわじましずおへいわじましずお。平和島、静雄。頭の中で何度も何度も繰り返す。脊髄あたりが痺れるような感覚がした。「よろしくね、平和島」俺は知らず微笑んでいた。
おまえの名前はサイケデリックだと平和島は言った。その友達だというシンラという眼鏡に白衣の青年が俺を作ったのだという。どうやって作ったの?と聞くと、それは企業秘密だよとシンラはやわらかく微笑んだ。俺は平和島と暮らすことになった。週に1度、シンラの”メンテナンス”を受けるのが条件だという。メンテナンスって何?と聞くと元気をはかるんだよとシンラは言った。平和島の部屋はせまかった。豚小屋みたいだねと言うとおまえ口の悪さはあいつと変わらねえんだなと平和島は言った。イザヤだったらぶっ殺してるところだと平和島が言うからイザヤって誰?と聞いたら平和島は気まずそうに押し黙ってしまった。触れてはいけないことだったのかもしれない。しばらくすると平和島は、おまえ腹減ってるか?それとも風呂にするか?と聞いてきた。なにか食べるものあるの?と聞いたらちょっと待ってろ、と言って平和島は厨房に消えた。すこしして甘い食欲をそそる匂いが漂ってきた。俺はこの匂いはとても好きだと思った。そのあと平和島が持ってきたのは焦げ付いたパンみたいなものだった。なにこれ?と聞くとフレンチトーストだと平和島は答えた。おまえ好きだったろ、と言ってくる。それはしらないけどこれはおいしい、というと平和島は満足そうな顔をした。そのあとお風呂に入った。ひとりで入れるか?と平和島は心配そうな顔で聞いてきたけど、当たり前だろ、俺いくつだと思ってるんだよ25だよ、と答えてひとりで入った。あとでなんで俺自分が25だって思ったんだろうってふしぎに思った。だって俺はシンラに作られたばかりのはずだ。25歳って。おかしすぎる。風呂場に置いてあったシャンプーはなぜか嗅いだことのある匂いに思えた。俺はこの匂いがとても好きだったような気がする。白いふとんに埋もれた金色の髪が目蓋の裏に見えた。平和島の髪だろうか。俺にはさっそくバグが発生しているのかもしれない。早くシンラに見てもらわないと。この話を平和島にしたら変な顔をされた。やっぱり俺どっかおかしいんだ。そう訴えたら平和島はおまえはどこもおかしくねえよと言った。おかしいのは俺のほうだ、と。その言葉の意味を聞きたかったけれど頭をがしがし掻き回されて、おまえはもう寝ろとふとんに押し込まれてしまった。あの言葉の意味は覚えていたら明日聞こう。
作品名:あなたが憶えているすべてを僕はしらない 作家名:坂下から