あなたが憶えているすべてを僕はしらない
[平和島静雄]
臨也のためだなんてウソだと俺は気づいていたのかもしれない。目の前のサイケを見ながら俺は思う。俺は頭が悪いので自分のきもちすらはっきりと言葉にすることはできない。そのことで臨也には散々バカにされたものだ。あいつは言葉にするのに長けていた。それこそウソでもなんでも言葉にして本当のように見せかけることができるくらいには。俺にはダメだ。そんなことはできない。そんなふうになりたいとも思わない。ただ、そんなあいつを懐かしくは思う。戻ってきて欲しいと、思う。あんなにも嫌いで仕方なかったのにおかしいものだ。ずっと殺す殺すと思い続けたというのに死んでしまえば生き返ってくれと思う。人間と言うのは矛盾のかたまりなんだろうか。俺は今まで人様の相反した言葉に「んなのおかしいだろうがあああ!」とキレたりしてきたが、実際そんな資格はないのかもしれない。今度からもうちょっとキレないよう努力してみよう。そんなことをつらつらと考えている俺の横で、ノミ蟲にそっくりな顔をした男はノミ蟲とまったく違う何の他意もなさそうな愛らしい笑みを浮かべてテレビ番組を見ている。俺にとってはよくあるバラエティにしか思えず、とくにおもしろいということもない内容だがこいつにとっては違うようだ。出演者が場を沸かせるたびに一緒になって笑っている。臨也とこういう番組を見ると出演者や番組の演出について長々講釈を垂れられて、くそおもしろくねえったらなかった。それが原因でよく殺し合いの喧嘩をしたものだ。番組が終わり、CMに入るとふうと息を吐いたサイケがこちらを振り返り「ねえ、平和島」と声をかけてきた。こいつのこの呼び方だけはどうしても慣れねえ。「シズちゃん」と呼ぶあいつの声が頭をよぎる。あんなにも嫌だった呼び名にもかかわらず俺はサイケにもそう呼ばれたいと願っている。あいつをもう一度この手に戻したいと、そう願っている。
「ねえ平和島」
「なんだよ」
「あそこにはたくさん人がいるけどさ、あの中にも俺みたいにシンラみたいなお医者さんに作られた人間がいるのかな」サイケは無邪気に疑問をぶつけてくる。
「・・・いねえよ」たぶん、ひとりも。
「ふうん」考え込むように呟くサイケを見て、思わず腕を伸ばしその細い体躯を抱きしめる。ああ、俺は、ばかだ。たぶんこの世の誰よりもずっと。だけどそれでも俺は、あのころの臨也に、ここに戻ってきて欲しい。
[サイケデリック]
今日もまたメンテナンスだ。「行くぞ」と言った平和島は俺の目を見ない。近頃平和島はずっとそうだ。同じ家にいるのに、絶対に俺の顔を見ようとしない。たまに目が合ったりすると、すごく辛そうな顔をして何か言いたそうにするんだ。だけど結局何も言わずに、平和島は目をそらす。いっつもそうだ。俺はたったひとりしかいないのだと平和島は言った。俺みたいに作られた人間はひとりしかいないのだと。なら、どうして俺はわざわざ作られたんだろう。そもそも納得がいかないことだらけなのだ。ここで暮らし始めて数ヶ月が過ぎたけれど、俺はここをもっと前からしっている気がしてならない。机の位置、椅子、俺の定位置。ベッドの上から見るテレビ。そのわきのリモコン。からっぽの冷蔵庫も何度も見たような気がするし、そこを食材でいっぱいにしてやったことも何度もあるような気がする。俺は特別モノを食べなくても大丈夫だから、そんなことわざわざするはずもないのに。平和島がお仕事から帰ってくるときのがちゃりという玄関の鍵の音も何度も聞いたことがある気がする。それからなにより一緒のベッドで眠るときの平和島の寝顔。閉じられたまぶたにすこしだけ開けられたくちびる。俺はきっとこの感触をしっている。平和島に触れたことが、ある。だけど実際俺はそんなこと一度もしたことはないのだ。おかしい。俺の頭はバグだらけだ。しらない記憶がさも俺の記憶かのように俺の中に居座っている。1週間に1度のメンテナンスはきちんと受けていた。けれどシンラは俺がいくらバグを訴えたって大丈夫だよ、問題ないという。そもそも元気をはかるんだよと言っていたのに体はまるで見もせずに、俺の頭に変なのをいっぱい取り付けるのは、いったい何故なんだろう。「イザヤ、イザヤ、聞こえるか」と毎回毎回呼ばれるのは何故なんだろう。「イザヤ」っていうのはいったい誰なんだ。
俺の頭の中を疑問がぐるぐる回る。
けれど俺は今日もそんなことは悟られないように、笑顔で平和島を呼ぶ。手をつなぐ。「行こう」と言ってまるでシンラの家へ行くのを楽しみにしてたようなふりをする。
だって俺は、平和島にずっと、俺だけを見ていて欲しい。
[岸谷新羅]
今日、静雄がサイケデリックを連れてメンテナンスに来た。最近の静雄には焦燥が見られる。たぶん彼との生活に戸惑い、疲れているんだろう。当然だ。なぜなら彼は臨也じゃない。静雄が求めているのは臨也なのだ。けれど静雄にはサイケデリックを見捨てることはできない。そもそもの性根のやさしさと、なによりサイケデリックの体が臨也のものであるという事実がそれの邪魔をする。静雄はきっとサイケデリックを愛してしまっているんだろう。彼は臨也ではないのに。そのことがより静雄を追い詰めている。ねえ、臨也、君は愛する静雄をこんなふうにしたかったのかい。心の中でもうこの世界には存在しない友人に問いかけてみる。彼からの返事はない。当然だ。だけどあの友人ならきっと性根の悪そうな笑みを浮かべて「さあ、どうだろうね」とか言ったりするんだろうなということは想像がついた。本当に厭な男だ。そんなところが僕は好きだったけどね。心の中でそっと呟く。今のサイケに違うものを感じているというのなら、きっと静雄もそうだったんだろう。いや、そうなんだ。彼はいまだにもうここに居ない臨也を求めている。「頼む」と言った静雄に「やっぱり彼に戻って欲しいのかい」と訊ねると、すこし目を泳がせて、ためらいがちに、「・・・ああ」と答えた。ふう、とためいきを吐いてサイケデリックに向き合う。彼の体を使ったサイケデリックは彼そのものの顔をしている。しかし浮かべている表情は似ても似つかぬものだ。「じゃあ、行こうか」声をかけるとサイケデリックは輝く瞳をやさしげにやわらげて、「うん」と言った。「今日はどれくらいで終わる?」
「いつもとそんなに変わらないよ」
「早めに終わらしてね!今日は平和島とタイタニックを見るって約束してるんだ」
ね?と静雄を無邪気に振り返るサイケデリックに静雄はやはりすこし目をそらしたまま「ああ」と答えた。そんな様子に再度ためいきを吐く。「じゃあ、ちょっと準備してくるから、そこらへんで適当に待っててね」そう言って俺は臨也の記憶をすくいあげる作業に入るため手術室へと足を向けた。
作品名:あなたが憶えているすべてを僕はしらない 作家名:坂下から