【P4】はじめからコインに裏表など
「俺たちが見つけたら……連絡はしない、かもしれない」
声なき動揺が逆に耳に痛い。すばやく目を伏せカーペット張りの床を睨む馨は、頭頂部に仲間の視線を感じた。両手を握りしめる。
釈明の必要はある。仲間の戸惑いはもっともなことだ。
しかし、この状況になってなお、馨が真情を吐き出すには多大な労力と勇気が必要だった。
「……悪い。卑怯だってわかってるけど、やっぱり見られたくない」
自分の浅ましさに反吐が出そうだ。今まで散々仲間が望まないかたちで暴かれた心の深奥を覗いてきたくせに、いざ自らのシャドウが出たとわかれば二の足を踏む。馨自身ですら想像もつかないシャドウのもとへ仲間を連れて行くことが怖かった。
ふ、と誰かの吐息が沈黙の表面を撫でる。
緊迫のうちに僅かに生じた隙をついたのは直斗だった。
「……わかりました。先輩からの連絡に期待はしません」
気持ちはよくわかる、と直斗は言った。確かにあまり多人数に知られたいものではないだろうと、ぎこちなく微笑む。
「ただし、僕たちがあなたがたに追いついて合流するかもしれない。それについては構いませんよね?」
「……うん。ごめんな」
「謝らないでください。……僕たちだって、きっと綺麗な気持ちだけであなたを案じてるわけじゃない」
馨のシャドウがどんな人格なのか気にならないとはとても言えない。直斗も、そしてきっと他の仲間たちも、気遣いのなかに一滴の好奇心が混じっている。いつも穏やかで落ち着いている馨が内面に何を飼っているか探りたがっている。
それを自覚しているから、直斗に馨の謝意を受け取ることはできない。
苦笑している馨から話は終わりだとばかり視線を断ち切り、やわらかく体を受け止めるソファーから立ち上がる。
「決まりだ。行きましょう」
直斗は凛とした横顔をみせてエントランスを睨んだ。
「堂島先輩にこれからどんな影響が出るかもわからない。急いだほうがいいと思います」
異論が出ようはずもなかった。
ワンフロアが異様に広いマンション内を念のため一室一室確かめながら進んでいく。部屋数はそう多くなかったが、部屋から部屋への廊下がとにかく長い。ジュネスのヤードと店内を往復しているようだとこぼしたのは陽介だ。
ぽつぽつと見えるドア脇のネームプレートはどれも白い。馨も隣の住人くらいしか把握していなかったから名前が入っていてもそれが事実かどうかは確認できないが、やはり無人で同じ家具ばかり揃った部屋が続くのは気分が悪かった。廊下の眺めや天井の色、ところどころに置かれた観葉植物などは記憶のなかの自宅と寸分の違いもないからなおさらだ。
とりあえずばらばらに散っている階段を見つけては上へと進んでいるものの、まだ目的地へは至っていない。
「……雨が降ったら、マヨナカテレビまたやんのかな。俺の番組映して」
空気は冷えているのに首筋に汗が滲む。シャツの袖で不快感をぬぐい、馨は無意識に笑った。
「やだな」
「今日のうちになんとかなるって! だいじょぶだいじょぶ」
「……だね。ほんと、ありがとうな。里中」
千枝の明るさが今は頼もしい。素直に感謝を言葉にすると顔を真っ赤にして両手を振り回す、普段どおりの仕草に救われた気分になる。
「や、やっだな堂島くん! いいんだよそんな改まんなくったって。友達じゃんあたしら、ねっ花村!」
「んー? ああ、そだな」
思案深げに廊下を歩いていた陽介も、千枝の言葉にいかにも簡単に頷いた。今日の天気を確認されて空を指し示すような、わかりきったことを訊かれて逆に戸惑ったときの曖昧な表情をしている。
耳を塞いだヘッドホンを外し、陽介は意味ありげな視線を馨へ向けた。さりげなく歩調を合わせて横に並ぶと、しかし視線を合わせず足下へ落としてしまう。
「花村?」
「……あのさ。俺らを選んだのってどういう理由で?」
「……それは」
「りせのナビのが性能いいのにわざわざクマ指名するしよ」
「あ、そうそう! なんか一番初めの頃みたいだよね。雪子を助けにお城に行ったとき」
千枝までが馨の隣を歩き出す。左には俯きがちな陽介、右には目を輝かせた千枝が馨の退路を塞ぎにかかっている。さっきから沈黙しているところをみるに、クマも聞き耳をたてているに違いない。
あえて虚偽を語るのも無意味だ。
「……花村とクマとは一番最初にテレビに入ったときからの付き合いだし、花村とかと里中はマヨナカテレビに映る前にペルソナを手に入れた同士だから、俺も似てるかなと思ってさ」
そっと、ひとつ息をつく。結局は自己保身が先に立った選抜だ。
「……ごめん、甘えてるな。花村たちなら引かないでくれるんじゃないかって期待してる」
直斗たちのことももちろん信じている。
きっと馨のシャドウがどんなに醜悪なものであってもこの仲間たちならば受け入れてくれると、それは疑っていない。ただ馨がかつて助けに向かった後輩たちや雪子に対して見苦しいところを見せたくないだけだった。
「そっか。……安心したぜ、ちゃんと理由あって」
「……は?」
「や、まだ混乱してんじゃねーかって思ってさ。おまえマジ顔で限界まで溜めるとこあんだろ?」
そう言われても自覚のない馨には答えられない。言葉に詰まっていると、へら、と笑った陽介が沈黙を補うように更に言葉を足した。
「思い詰めんなっつっただろ。心配しなくても引きゃしねーよ」
陽介の言葉に何度も頷いた千枝も、呆然とする馨の胸を軽く叩いて歯を見せる。
「安心しなよ、あたし、キミのシャドウがどんっなに強烈でも受けとめてあげるから!」
「……なんか、里中が言うとマジですんげーの出てきそうだな」
ぶるりと大袈裟に体を震わせる陽介の緊張感のなさにとうとう馨も肩を揺らした。
まだ何も解決していない、現場に辿りついてもいないのに、この安堵感はどこから来るのだろう。
「――ありがとう、ふたりとも」
「わけわかんねーな、しかし」
駆け足で静寂と霧の重くまとわりつく廊下を進むなか、微かに唇を尖らせた陽介がふいにそう呟いた。マンションへ進入してからずっと何か思わしげにしていたのもそのせいであるらしい。馨と目が合うとちらりと笑い、親指で自らのこめかみを叩いてみせる。
「なんでおまえのシャドウが出たんだーって考えてたけどさ。やっぱ俺にはわかんねーな」
「……そうなんだよな。なんでだろう」
メディアに取り上げられた人物へ視聴者が抱く好奇心がきっかけとなり、マヨナカテレビにその姿が映される。映像の人物を放置しておけば死んでしまうと思いこんだ生田目が足立にそそのかされて彼らを攫い、保護のつもりでテレビの中へ落としては行方不明者を生み出していた。去年起きた事件の大筋をなぞるとこうなる。
ただ馨にはこの法則は通用しないし、そもそも最前から確認しあっているようにすでに元凶を撃破している。原因となるべきものが何もないのだ。
疑問は尾を喰らう蛇のかたちをしていて出口がない。馨と陽介が沈黙すると、軽快な足取りのまま、千枝がのんびりと首を傾げる。
「んー……誰か堂島くんに興味ある人でもいるとか? それも集団で!」
「……普通に嫌だなそれ」
「ひとりかもしんねーぞ。すっげー熱狂的なの」
作品名:【P4】はじめからコインに裏表など 作家名:yama