心紡
つい視線が給湯室の床に向く。つられた臨也は眼を見開いた。そこには数え切れないくらいの白い錠剤がばらまかれていて、俺が大量に服用した事が容易に予想出来る。虚ろな眼をした俺に一瞬だけ唇を噛み、俺をぎゅっと抱きしめた。
「馬鹿なシズちゃん……。俺はちゃんと帰ってくるよ。だから、夢に逃げないで」
「夢でも臨也に会えるなら構わない」
「それじゃあ現実の俺が寂しいでしょ。俺を独りにしないで、シズちゃん」
「……うん」
丸一日分を埋めるように抱き合う。臨也が自宅を空ける事なんて昔はよくあった。なんだかんだ言っても、明日には、明後日には、明々後日には帰ってくると言い聞かせ乗り越えて来た。なのに、こんなに切なくて心細くて恋しくなったのは初めてだ。どうしてだろう。環境が変わった所為か。
「なあ……。いざ、や、は……」
言いかけて口を塞ぐ。『どうして俺と一緒じゃなくても平気なんだ』。それに対する臨也の答えを聞くのが怖いと感じたから。また昨日の朝みたいな後悔に苛まれるのかと怯える俺。でも言葉を繋がないと不自然だから、かなり遠回しになる。
「っ……俺、の……事、好きか?」
「シズちゃんが聞きたいのってそんな事じゃないでしょ?」
何で即答出来るんだ。臨也は俺より一枚も二枚も上手だけど、心の中まで覗かれるのは一方的過ぎて嫌だ。だって対策が立てられるって事だ。俺の心は俺のもので、言葉を見失う。本心に対する答えまで用意されているのなら俺はお手上げだ。真っ暗闇で戸惑う俺に手を差し伸べる者が臨也なのか判らなくなる。
「言って。正直な言葉で、脚色せずに。思った事をストレートにそのまま出せば良いんだよ」
臨也、馬鹿だな。一昨日の夜に俺が一体何の科目に苦戦していたのか忘れたのか。文章を纏めるなんて芸当俺には出来ない。
言って良いのか迷った。言った後悔と、言わなかった後悔。どちらが大きいのか俺には判らない。臆病な俺は常に後者を体験していたから。被害が俺だけなら、臨也は傷付かない。俺はどちらを選べば良いんだ? 従来通りに首を振り続けて、昨日の朝みたいに「言っても変わらない」と不貞腐れれば良いのか? どちらが正解なんだ。どちらが。
「怖い……臨也、いざ……俺は怖い。……怖いんだ……!」
震える手で臨也の服を鷲掴む。頭を抱えて髪を撫でてくれても、不安は解消しない。嘘よりは事実の方が好きだ。でも、それが真実であるかどうかは判らない。俺は何時からこんなに臆病になったんだ。臨也は俺を愛していると言ってくれるのに、俺から本人に確認する事は出来ないのか。って、あれ。そういえば前にもこんな事思ったような。臨也は口では好きだ好きだって言う、って。
「何が怖いの?」
「い、ざやが……俺を要らない、って……思う、事……」
「どうしてそうなるのかなあ。俺、そんな風に見えるの?」
「……。だ、って。……俺は臨也が好きだから一緒に居たいと思う。……でも、実際……最近は時間が取れなくて一緒に居られない。俺はそれが嫌で仕方ないけど、臨也は俺が高校行く前と変わらないから……。こんな風に思ってるの、俺だけなのか、な……って」
歯切れ悪く吐露する。俺の頭を抱く臨也が少しだけ震えるように振動した気がした。事実、降ってきた言葉は普段よりも掠れている。
「俺だって寂しいよ。シズちゃんが外に出てる間に俺から離れて行くんじゃないかって」
「それなら今まで通りにして、俺を高校なんかに行かせなければ良かったじゃねえか。俺は……その……臨也が俺を高校に出したのって、俺が……、い、ら……ない……んじゃ、ないかって、思ってた」
「本当に要らなくなってたら左手切って捨ててるよ? 俺はね、自分でも馬鹿らしいと思ってるんだけど……聞いてくれる?」
何処か寂しげな声。俺はゆっくり頷く。臨也の表情は見えないから感情の機微は判らないが、たっぷり間を置いてから口を開く気配がした。
「大好きなシズちゃんを見せびらかしたい優越感と誰にも見せたくない独占欲に挟まれてさ。前にも言ったけど俺は一度外にシズちゃんを出して、シズちゃんが俺に抱く感情を強くして欲しいって思ったんだ。一層の事、強く深くね。君が俺だけを見てくれるように。自信はあったけど実際にやってみると……正直堪えたな。色んなものと比較して最後に俺の方を向く。そんなシナリオを描いたつもりだったのに。でもこんな感情がバレたら、登場人物のシズちゃんに作者の俺が語りかけた事になる。だから表には出さなかった……。反面、少しくらいは気付いて欲しかったけどね」
一気に入ってきた言葉の波に溺れそうな俺は頭の中で整理した。俺と同じ、矛盾した感情。小さく吹き出した俺は肩を揺らす。
「……馬鹿だろ。そんな事しなくたって……」
「試したかったって言ったら怒るかな。見たかったんだ、シズちゃんがどれだけ俺を好いているのか。この前みたいに口から出る言葉だけじゃ俺は不安なんだ。君が通い始めてすぐに泣き事言って俺に頼って来た時はそれはそれは満足だったよ。欲張りな俺はもっともっと、って、毎日登校させてたんだけどね。俺はシズちゃんが思っているほど出来た男じゃないのさ」
言い終えた臨也が俺の頭を包み持ち上げる。今にも泣きそうな顔をした駄目な大人は熱の籠った美声を放つ。
「ごめんね」