【イナズマ】仔兎の鼓動
黙ったままの自分に、なにも言わず根気よく、風丸は向き合っていた。
急かすでもなく、苛立つでもなくただ自分を見下ろしている気配を感じる。
「あ……その、」
何か、口を開かなければと思うのに、そもそも何を言えばいいのかわからないので、気持ちばかりが焦って肝心な『何か』が出てこない。
風丸が、ふ、と小さく息をつくのがわかった。思わず肩がびくりと震える。
「迷惑、かな」
「そんなことは、」
そんなことはない、と首を振る。
それならただ突っぱねればいいのだから、何も迷うことなんてない。
むしろ迷惑でないからこうして困っている。
風丸がふと笑った気配を感じて、少しだけ顔を上げる。
夕日の淡い橙色に染まって、深い琥珀に沈んだ瞳が、柔らかく細められていた。
「良かった。それが心配だったんだ。鬼道が迷惑したら嫌だなって」
「そんなことはない、ない、が……」
多分、凄く情けない顔をしている。
口を開けては閉じ、開けては閉じ、を繰り返す金魚のような自分に、風丸は微かに声を立てて笑うと隣にすとんと腰を下ろした。
「食べるか?」
「……え?」
「チョコレート」
差し出された銀色の包みを思わず受け取って、風丸の顔をまじまじと見つめる。
変わらない笑顔で、風丸も銀色の包みを解いてチョコレートを口に放り込んだ。
甘い匂いがふわりと広がる。
「別に、無理に答えようとしなくてもいいさ」
静かな、けれど、しっかりとした声だった。
風丸の瞳は柔らかく細められたままで、逃げるように視線を逸らす。
まともに顔を見ていることなんて出来なかった。
心臓は落ち着くどころか、ますますぱたぱたと音を立てる。
口から飛び出してくるんじゃないかと心配になるくらいに。
その後、何事もなかったみたいに今日の学校の事だとか、部活のことだとかを話して、時報のトロイメライが聞こえる頃に鉄塔の下の道で別れた。
どこをどうやって歩いたのかも覚えていないのに、ちゃんと家にたどり着くのだから、人間の習慣とは凄いものだと思う。
鞄を置いて、服を着替えて、食事までに細々しい用を済ませてしまおうと思うのだけど心臓は相変わらずで、鬼道は結局何もかもを諦めてベッドに倒れこんだ。
このまま壊れてしまうんじゃないかと思うほど、体も頭も言う事を聞かない。
「好き」
試しに口にしてみた、馴染まない言葉に深々と息をついた。
作品名:【イナズマ】仔兎の鼓動 作家名:茨路妃蝶