鬼の恋
新八は真選組での仕事が終わっていつもの様に万事屋へと通っている。特に仕事もなくぼんやりと日々を過ごしていた。とりあえず掃除をしたり洗濯をしたりと動いていたが、それほど広くもなく、人も少ない万事屋ではあっという間に終わってしまった。ソファーに座りお茶を飲みながらぼんやりと午後の緩んだ時間を過ごしていた。
「はあー」
ため息をつく新八を尻目に万事屋の主はだらしなく雑誌を読んでいる。
「ふうー」
さすがに一日に何度もため息をつく新八に銀時は少し呆れて声をかけた。
「なんかさー俺の分までシアワセが逃げる気がするからやめてくんない?」
は?と顔を銀時の方へ向けると「はあ」とため息とも取れる返事を一つして立ち上がった。
ジリリーン、ジリリーン
携帯電話の普及した時代に古風な電話の音が響いた。銀時がチッと舌打ちをして受話器を持ち上げる。
「はーい万事屋でぇーす」
やる気の無い声を聞きつつ新八が台所から湯のみを持って部屋へと戻って来た。
「はい、え?あ、はい」
と、銀時の電話の対応が急に丁寧になった。
「おい、新八、お前に電話だ」
至極真面目な顔で新八の方を向いて受話器を差し出してきた。
「お巡りさんからだ」
新八はへ?と言う顔で差し出された受話器を耳に当てた。
「あはいお電話変わりました。はい、志村です。はい妙は、姉です」
銀時が新八の様子をじっとみつめていると新八の顔色が見る見るうちに青くなってきた。
「はい!分かりました、すぐに行きます」
慌てる新八に銀時が声をかけた。
「どこ行くんだ、バイク出してやる」
受話器を置いて振り返ると銀時の手にはヘルメットがあった。
「ほれ、かぶれ」
「あ、ありがとうございます」
手渡されたヘルメットを被り、草履を履こうとしたが、うまく指の間に草履のつぼが入っていかなかった。足が震え、ねらいが定まらない。後ろから銀時が新八の肩にそっと手を置いた。
「どこに行きますかねぇ?」
座り込んで手で草履を履こうとしている新八が見上げると銀時の顔はいつもと変わらず、行き先を尋ねる声は近所のスーパーへ連れて行く時と一緒だった。
「真選組へ」
それだけ言うとゆっくりと草履を足に履かせて落ち着いた声で銀時の前を歩き始めた。大きく息を吸って吐くのと一緒に声帯を震わせた。
「天人に襲われたそうです」
銀時の表情が変わることはない。
「あの姉ちゃんなら大丈夫だ。おめえが一番良く知ってるだろ?」
銀時のその言葉に新八は黙って頷くだけだった。
屯所の前に凄い勢いで止まったバイクから、転げ落ちながら飛び降りた新八を銀時が早足で追いかけた。
「すいません!志村ですが!」
大声で叫んだ新八に近くにいた隊士が声をかけた。
「ああ、こっち、大丈夫だから」
黒い隊服に身を包んだ若い男は新八も何度か会話をした相手だった。新八を不安にさせないような気遣いが見える。後ろから銀時がゆっくりとついて行った。
救護室と書かれた部屋にはいると、お妙は長いすに座って医師らしき初老の男と談笑していた。
「あ・ねうえ?」
声の大きさがまちまちで、語尾は少し上がり気味だ。しかしお妙の顔を見て安堵の表情を浮かべた。
「あら、あのゴリラ、連絡するなって言ったのに今度会ったらタダじゃおかないから」
ほほえみながら息継ぎ無しで言う台詞がいっそうの迫力を与えていた。おそらく本当にタダではすまないだろう。
「何言ってるんですか、天人に襲われたって・・・」
妙の前に立ちオロオロとする新八はしかしお妙のいつもと変わらない表情にほっとしていた。詳しい様子をお妙に聞く。
「なんだか分からないけど、俺らの顔に泥を塗りやがってとか何とか」
その台詞に新八はあることを思い出した。
「あの、女性を助けた事じゃないですか?」
お妙は少し上を向いて、ああ、と小さくつぶやいた。銀時が割ってはいる。
「お前の姉ちゃん、また何か余計なことしたんだろ」
お妙の蹴りが銀時の向こうずねにヒットした。言葉もなく崩れていく銀時のスローモーションのような動きを新八はただ見守るしかなかった。
「まあ、とりあえず大丈夫だと思うわ」
涼しい顔で言ったお妙の横顔を新八はじっと見つめその場に黙って立っていた。ある決心を胸に。
「送り迎えします」
一晩経って、朝お妙の前に新八は食事の支度をしたままの割烹着できちんと座っていた。先ほどの言葉はお妙の前に食事を並べてからしばらくの沈黙の後に発せられた言葉だった。
「もう大丈夫よ、新ちゃんたら」
お妙は手を合わせはしを手に取って笑って言った。店長には休んでも良いと言われたのに店にはきちんと出た。遅く帰ってきたはずだが、昨日の疲れを見せる事は無くいつもと同じ様子でいる。
「ダメです。これ以上姉上に何かあったら」
口元を真一文字に結んでじっとお妙を見据えていた。
「大丈夫よ。一人じゃないし」
お妙にはとりあえず真選組から護衛が付くことになった。その事を言っているらしいことは新八にも分かっている。しかし。
「ダメです!また何かあったら父上に申し訳がたちません!」
薄らと涙を浮かべ声を荒げお妙に怒鳴りつけた。いつもなら鉄拳が飛んできてもおかしく無いものの言い方ではあったが、新八の真剣な様子を見てお妙はじっとしたままだった。
「新ちゃん・・」
泣くまいと唇を噛み、メガネの奥からお妙をじっとみつめる新八を見て軽く笑った。
「そうね、行きだけは一緒に来てもらおうかしら」
新八がメガネを外して目に溜まった涙をぐっと拭うと
「いえ、帰りも迎えに行きます」
と一言つけて机の上にあった茶碗を手に持ってご飯をかき込んだ。口いっぱいにご飯を詰め込み、モグモグと動かして飲み込むと、大きな声で言った。
「僕が姉上を守りますから!」
お妙のあきれるような、しかし嬉しそうな笑顔に新八は気がつかなかった。
ガツガツとかき込む新八はそれ以上お妙に何も言わせないように、目をそらしてただ食事を続けた。お妙はため息をつき、しょうがないわねと小さくつぶやいてうなずいた。
「今日から、お願いするわね、護衛のお兄さん」
その言葉に新八は返事をすることなく、ごちそうさま、と言って茶碗を持ったまま立ち上がった。
こういうときに限って万事屋に仕事が多く来る様になった。長い期間ではないが暑いこの季節は、割と人手を要する事が多いらしい。
じりじりと照りつける炎天下の中万事屋はかつて無い仕事量をこなしていた。かつて無い、とはいえ普段の仕事量からすれば、という程度ではあったが暑い日々 は体力を余計に消耗する。
万事屋での仕事をこなした後、夕方にはお妙と一緒に「すまいる」まで歩く。
「じゃあ、新ちゃん帰りもよろしくね」
華やかな衣装に身を包んで普段より少し厚めの化粧をする女性に混じってお妙はそれほどいつもと変わるわけではない。
それでも新八は少しだけ胸を痛めて、お妙が店に出るまで見送っていた。
「弟さん、ここで待ってればいいのに」
短い着物を着た若い女性が新八に笑いかけてそう言った。
「や、でもご迷惑になりますから」
目のやり場に少し困ってうろうろとさせていると、若い店の女の子はくすりと笑った。
「最初からがんばっちゃうと、もたないよ」
しかし、新八はあいまいに笑ってその場を去っていった。