鬼の恋
護衛をすると言ってから最初の3日ははりきっていた。だが最初に声をかけてくれた女の子の言うとおり、無理な生活に少し疲れた表情で新八が妙を送ってくるのを見かねて、店長が店で待つようにと言うようになった。
何もしないのに店にいる訳にはいかないと最初は帰っていたが、一週間もすると暑さと日中の仕事でますます疲れて帰って行く新八を、控え室で寝るようにと促した。
「新ちゃん、もう大丈夫だから」
お妙がそう言っても聞かなかったが「せめて店にいて」と言われ、結局仕事が終わるまで店の控え室で仮眠をとり、お妙と一緒に帰ることにした。
そんな日々が続いていたが新八といる時は怪しい人影はなかった。真選組の人員もそれほど多いわけではないので、最初の一週間だけは見える所を歩いていたが、そのうち時々見かけるだけになってきた。
襲ってきた天人は襲撃の日以降姿を見せることはなかった。取り逃がしたのは不覚だったと近藤は言っていたが、天人の方も真選組が付いたという事が分かればそれ以上の関わりはないだろうと、土方が護衛の規模を縮小したのだった。
時々近藤がお妙を護衛するという名目でアフターに誘ったが、一蹴(まさに一蹴り)して新八と帰った。最近はお互いの生活がバラバラになっていたので、行き帰りの二人の時間は貴重なものになっていった。
「そういえば、姉上、あの女性は大丈夫なんでしょうかね」
ふと新八が助けた女性の事を思い出した。お妙にこんな風に危害を加える輩ならば、あの女性にも何かしてもおかしくないと思いついたのだった。
「そうねぇ、でもどこの誰かも分からないし・・・」
お妙も少しだけ心配になっていた。だが、お妙の言うとおりあの後その女性は深々と頭を下げそのまま雑踏に消えてしまった。
「大丈夫だと思うわ」
漠然とした答えしか出せなかったが、その日はそれ以上話題になることはなかった。
「新ちゃん、朝よ」
うだるような暑さはまだまだ続いていた。お妙の声に新八の意識がうっすらと現実に戻されていく。異常気象のせいで夏が長くなったのだと神楽が得意げに話していたことを、ぼんやりと思い出した。
しかし、視界はお妙の声が遠くに聞こえた後そのまま暗くなっていった。朝だというのに、新八は全く起きることが出来なくなった。
「新ちゃん、銀さん来てるわよ、今日お仕事じゃないの?」
いつもなら乱暴に起こされるはずだったが、さすがに連日の疲れを察したお妙は敷き布団を軽く引いてゴロゴロと転がすだけにしていた。
「あああ、あねう・・・」
転がった先には銀時が頭をかきながら立っていた。新八を足で少し蹴ると後ろにいた神楽が新八に飛び乗った。
「おらおらーダメガネ!仕事だコノヤロー」
往復ビンタを浴びせる神楽の襟首を猫のようにつかんで銀時が持ち上げた。
「おいおい。それじゃあ、永遠に起きなくなっちゃうよ」
あきれる銀時がそれでもまだ寝ぼけて起き上がろうとしない新八を足でつついた。
「今日は休みですか?新八君。ちゃんと休暇届とか出せよな」
ううん、と目を擦りながら新八が起き上がった。くるりと見回して銀時と神楽、そしてお妙の姿に慌てて立ち上がった。さすがに自分の身に起きている事が分かったらしい。
「すいません、今から支度しますから、っていうか、二人とも先に行ってください」
そう言って、慌てて鴨居にかけてあった着物に手をかけた。ばさりと落ちた着物と袴を見て銀時がふうとため息をついた。
「新八、慌てなくていいからよ、とりあえず寝間着は脱いで着ろよな」
銀時達は慌てて寝間着の紐を解いた新八を残して部屋を後にした。
食事の並んだ食卓に銀時と神楽が座って新八を待っていた。お妙が用意したであろう怪しげな食事を丁寧に断り、それでもなお食べさせようとするお妙との静かなバトルに終止符を打ったのは新八の大きな声だった。
「すいません!早く行きましょう!今日十時でしたよね」
「新ちゃん、朝ご飯は?」
「すいません、食べている暇が・・」
と言う新八の言葉にほっと胸をなで下ろした二人の前にいつの間にか弁当箱が3つ並んでいた。
「そう思って用意しておいたから、お弁当」
お妙の笑顔にもう誰も断れなかった。
「朝昼抜きはつらいよな・・・」
結局仕事には遅れてしまい、とりあえず平謝りをする新八の後ろで神楽がかわいらしい着ぐるみに身を包んではしゃいでいた。
「ウサギさんアル!」
「これ、猿だよな、どうみても猿・・・」
茶色の布に紅いお尻の猿の着ぐるみを持ち上げて銀時がぽつんと言った。
「銀さんの体に合うのそれしかないんですから」
新八の手には白い犬の着ぐるみがあった。急いで短パンとTシャツの上から着ぐるみを着ると大きなお面を被った。
「じゃあ、あっちを看板持って歩いて」
今日開店する店の宣伝の仕事だった。やる気のない猿と、やたら動くウサギの後ろから元気のない犬がついて行く。看板は他の人からはみえない方向に向いて全く宣伝にはなっていなかった。いつもならちゃんと持てと大声で叫ぶ声は後ろから聞こえない。そんな静けさを特に気にする風でもなく歩く銀時の背中にいきなりがんと衝撃が走った。
「ごわっ!いで!誰だ!」
かぶり物のせいで視界が狭まってしまった銀時が、もう一度身体に衝撃を受ける事で何かおかしな事態になっていることだけは分かったようだった。
「誰だ動物虐待で訴えてやる!キーーー」
しかし、身体にかかった重量はその重さを増していった。ふと背中に乗ってどんどん石になる妖怪の顔が浮かんだ。
「ちょ、あの、あ、誰ですか?」
返事はない。被り物を取って確認するという事は思いつかなかった。
「ちょ!新八!神楽!なんか、背中にぃぃぃ取って!取って!」
騒ぐ銀時の周りでざわざわと声がする。訳も分からずじたばたとしていると、神楽の声が聞こえた。
「新八!大丈夫アルか?!」
神楽のいつもと違う声に銀時はやっと猿の面を取った。銀時が身体を起こすとゴロンと犬の頭が取れ、中から真っ青な顔をした新八が現れた。
「ちょ、新八、おい、大丈夫か?」
体がひどく熱い。日陰の下で新八の身体をそっと寝かせると、周りに出来た人垣がさっと割れた。人垣の真ん中から黒い制服の男が歩いて銀時の方へ向かってくるのが見えると、銀時は少し眉をひそめてその黒い人影から目をそらした。
「おい、こんな道中で何やってんでぃ」
「ほら、新八、起きろ」
声を無視して新八の顔を軽く叩くが新八の目は開かなかった。新八の姿を見つけて沖田が吐き捨てるように言った。
「だらしねえの」
沖田の声に銀時は反応することはなかった。銀時が黙っていたので沖田もそれ以上何もしない。ただ地面に寝かされている新八を無言で見下ろす。
「総悟、どうした」
人混みをかき分けてもう一人黒い制服を着た男が近づくと今度ははっきりと舌打ちする。
「助けねえならあっちに行ってくれよ、多串君」
言われた言葉に土方がむっとして新八の前に座り込んだ。
「今度こそちゃんと手当してやるから」
銀時を押しのけ新八をぐっと抱え上げた。軽い手応えに土方が苦笑する。
「女の子を抱えてるみたいだな」
その言葉に銀時が土方の肩をぐっとつかんだ。
「多串君、今時そういうのってセクハラって言うんだよ」