鬼の恋
二人が向かったのは歌舞伎町から少し離れた若い子達が集う街だった。一軒の店に入るおはなに新八が続いていく。慣れない音と騒がしい店に新八は落ち着かない様子で辺りを見回した。
「彼はどんな人なんですか?背格好とか」
おはなにそっと声をかけるが、おはなは落ち着かない様子で返事はなかった。
不安になる新八が店内を見回すとおはなは「あっ」と声を出した。
「いたんですか?」
おはなが見ている方向に顔を向けると、そこに若い男が立っていた。
「彼?」
そう言うと首を横に振っておはながそちらから顔を背けた。
「あれは、真撰組の密偵です」
「え?」
そこには場にとけ込んだ派手な格好の若い男が何かを捜すように辺りを見回している。
「彼を捜しているのかも」
声をひそめるおはなの様子に新八は緊張した。
「先に見つけないと」
新八が密偵の方に気をとられた。目が合いそうになったので慌てて目をそらすと隣にいるおはなに声をかけた。
「彼の写真か何かありませんか?」
しかし、そこにいるはずの彼女はいなかった。
「おはなさん?」
あわてて辺りを見回すが、暗い店内に時おりきらめく怪しい光が誰かわからない人影を浮かび上がらせるだけだった。
新八に大きな不安が押し寄せる。
その時。
「捕まえたぜ」
いきなり腕をつかまれ、引きずられるように人混みの中に連れて行かれた。
「!」
抵抗できずにそのまま連れて行かれたが、あわてて手を振り払い無我夢中で走ると店のドアが見えた。すがるように開けると暗い路地裏に出た。少し遠くに大きな男の陰が見える。
「なんでい・・・あ!」
新八の姿を見た男が何かに気がついたように新八を見た。
「てめえ!」
大きな体の男が狭い路地を新八の方に向かってもどかしそうに走り寄ってくる。
新八はあわてて店の中に入ると今来た道を走って戻った。騒がしい店内を人にぶつかりながら突っ切っていく。今度は立派なドアを開けると、明るい繁華街に飛び出した。
後ろを振り返る暇もなく走る。店近くの路地に入って息を整えた。
「おはなさんが・・・」
小さくつぶやいた。ザワザワと辺りが騒がしくなってくる。
「こっちか!」
「あの女に違いねえ!」
明らかに自分を探している風で、新八はその場に座り込んでしまった。なぜ自分が追いかけられているか考えても分からない。
だが、このままではおはなが危ないと考えた新八は、意を決して助けようと立ち上がった。するとすぐ近くで声が聞こえた。
「みつけたぜぃ」
心臓が止まるほど驚いたが、なぜか聞き慣れた声で不安にはならなかった。
「いたんですね!」
敬語を使う方の声にも聞き覚えがあった。
「ああ、こいつ・・・ふざけやがって」
腕をぐっとつかまれた拍子にウィッグがずれた。
「こんなもん被りやがって」
と乱暴にそれがとられると、その下から黒い髪の毛がさらさらとこぼれ落ちた。
「?!」
一瞬すべての動きが止まった。
「っつーかおめえ!」
声の主は沖田で新八の姿を見て反射的に叫んでいた。
「何やってんでぃ!また邪魔しやがって!」
手に持ったものを思いっきり床にたたきつける。新八は状況が全く読めずしゃべることができない。
「こんなところで・・・!」
沖田はあきれてそれ以上話すことができない。
「新八君・・・」
後ろにいたのは光正だった。その顔を見ると声が出てきた。
「・・・女性を・・・ある女性を助けたいんです・・・手伝ってください・・・」
新八にはそれを言うのが精一杯だった。
「二重スパイになった・・・彼を止めるために・・・」
そう言った言葉に二人が顔を見合わせた。
「二重スパイって?」
光正は新八に問いかけた。
「前に、姉上が助けた女性の婚約者さんが、春雨と・・・真撰組の二重スパイになって・・・今日取引があるから」
「女がそう言ったのかぃ」
「はい、おはなさんって、でも、本名じゃなくて・・・」
新八が下を向いて話している間、二人は真剣にその言葉を聞いていた。
「今いた店で・・・」
沖田はもう良いと首を振った。
「取引があるって、たれ込みがあったぜぃ。ついでに二重スパイとやらの姿も」
「やっぱり!」
沖田の顔を見て目を大きく見開く。
「早く、助けないと!彼女が!」
沖田が光正の顔を見てあごをしゃくった。
「光正、この馬鹿にたれ込み情報教えてやれぃ」
光正が言いにくそうに口を動かした。
「情報の送り主は・・・女です。そしてこれが二重スパイだと・・・」
光正から見せられた携帯にあった写真には不鮮明ながら先ほどまでの自分の姿が映っていた。
新八の顔がさっと青くなった。
「やつは名の通ったたれ込み屋でねぇ。何様のつもりか知らねえが自分ではフラウって名乗ってた。おはなさんかぃ・・・ふざけやがって」
沖田の声に侮蔑の色が含まれている。
「色仕掛けみてえのでやられちまったんだろぃ?あいつの十八番だからねぇ」
新八にかけられた声にも同じニュアンスが含まれているのがはっきりとわかった。新八は恥ずかしさで体中が真っ赤になった。
「とにかく、その女どこに行ったか教えろぃ。このままコケにされて黙ってるほど俺たちもお人好しじゃねえ」
「それが・・・途中でいなくなって・・・」
消え入るような声を出すと、沖田が大きなため息をついた。
「おおかたおめえを囮にして、なんやら持ち出そうって思ってたんじゃねえのかねぇ」
吐き捨てるように沖田が言うたび、新八の心臓がきりきりと痛んだ。
そんな新八の様子を見て沖田が地面に落ちたウイッグを拾い上げ少し考えてから新八の顔をじっと見て口を開いた。
「おめえ、連れてこい」
その言葉に光正がびっくりした顔で沖田を見た。
「もう一度店ん中戻って女ひっつかまえてこい。まだ店の中にいるはずでぃ」
「沖田さん!いくらなんでも、一般人ですよ?!」
光正が思わず声を上げた。
「うるせえ、自分がやった事は自分で始末つけねえと。ねえ、新八さん」
「わかりました」
新八の返事は早かった。沖田はにやりと笑って懐に手を入れる。
「ほら、これもってけ」
沖田は懐から携帯を取り出して新八に投げた。
「見つけたら連絡しろぃ。俺たちは女をはっきり知らねえから、捕まえとけよ」
光正がおろおろと沖田と新八を見比べている。
「新八君・・・」
「わかりました。見つけたら連絡して何とか捕まえておきます」
そう言うと、路地からさっと飛び出した。店まで戻ったが、先ほどの連中はもう店の中におらず、相変わらず騒がしく曲が流れていた。誰も新八に目を向けるものはいない。暗闇が続いているが目が慣れるのに時間はかからなかった。歩きながら辺りを見回すと、先ほどの路地裏につながるドアを見つけた。
そこにもう一つ、見つけたものがあった。
「・・・おはなさん・・・」
ドアに手をかけ、出て行くおはなを新八は追いかけた。慣れない携帯の操作に少し手間取ったが、沖田が出ると短く声を出した。
「裏の路地から出て行きました」
それだけ言うとさっと電話を切り、おはなの後をついて行くことにした。
路地には先ほどの男達も誰もいなかった。追いかけられたのとは反対の方向に向かって歩いていくが、細い路地ばかりで迷いそうになった。しかしその路地をおはなは慣れたようにすいすいと行く。