鬼の彷徨奇譚
「何だ、小僧」
屈強な男が新八をじろっと見た。
首にマフラーをしているので隊長クラスだろう。
「あの、えっと、その」
特に誰を、とは決めていなかったのでどうしようかと迷ってしまった。
「山崎さんはいらっしゃいますか?志村新八と言います」
そう言ってぐっと手を握った。しかし話しかけた隊士は新八をちらっと見て素っ気なく言った。
「・・・いや、そんな隊士はいない」
男の意外な反応に新八の声が思わず高くなった。
「え?山崎退さんですよ」
隊士は今度はぎゅっと新八を睨みつける。
「いないと言ったらいない。帰れ」
有無を言わせぬ言葉に息が詰まった。
「あの、じゃあ、えっと沖田さんは」
「今は見回り中だ。今度来たまえ」
取りつくすきもないとはこの事だった。
「分かりました」
肩をがっくりと落としてくるっと向くと、大きな声が聞こえてきた。
「新八くん!どうしたこんな所に!」
近藤だった。
「あ、近藤さん!」
現金にもぱっと顔が明るくなったのが分かった。
「局長のお知り合いでしたか」
男はさっと右手を上げて敬礼した。近藤は軽く手を上げて新八の方に向かって笑いかける。
「ああ、どうした?そうだお茶でもどうだ」
人懐っこい笑顔につい気を許してしまう。
「あ、ありがとうございます」
お辞儀をすると近藤は軽くうなずいて新八を屯所の中へ招き入れた。
近藤の後ろを歩くとすれ違う人たちがみな近藤に挨拶をしたり、敬礼をしたりする。
(何だか家にくる時とは全然違う)
志村家に来る近藤はいつもお妙に情けなくやられてしまう姿しかない。
(案外・・・いやいや!絶対阻止する)
新八が頭を振った。ちょうど振り返った近藤がその仕草を見て不思議そうな顔をした。
「どうした?新八くん?」
「姉上は渡しません」
はあ?といって近藤が不思議そうな顔をする。
「それを言いにきたのか?」
はっと新八がもう一度頭を振った。
「山崎さんに会いにきたんですけど、そんな隊士はいないって」
はあっと近藤が言った。
「監察はだな、一応密偵だ。堂々とここにいる事を知られるのは得策ではない」
にやっと近藤が笑うと、新八はなぜか恥ずかしい気持ちになった。
「山崎を呼ぶか?」
そう近藤に言われて、頭を振った。
「いいえ、これを土方さんに渡してもらえれば」
そう言って手に持った紙袋を近藤の前へ差し出した。
「何だ?」
近藤が紙袋を受け取ると新八の方へ向かって首を傾げた。
「あの、花田屋で借りたマフラーです」
新八はその視線を避ける様に下を向いて小さい声で言った。
「ふーん。こういうのは直接本人に渡した方が良いのではないか?」
近藤の言葉に新八が身を固くした。
「分かってます。そう思ったんですけど・・・」
言葉を濁す新八を見て近藤の顔が微かにほころんだ。
「何かあったのか?」
そう言われた新八が首を振る。
「い、いいえ。でもそのあまり会いたくないと言うか・・・」
しどろもどろになる新八の言葉に近藤はゆるりと笑って紙に何か書き出した。
「これはここの直通の電話の番号だ。秘書が出るからトシが空いている日時を聞いてアポを取ってから来ると良い」
手渡された紙切れには番号が並んでいた。
「きちんとトシに手渡して言いたいことを言うんだな。今日から1週間休暇を取っているから、来週早々にでも電話をしてアポを取ると良い」
近藤の柔らかい言葉に新八の顔が赤くなる。
「いえ・・でも」
「新八くんはそうしなくてはいけないと俺は思うぞ」
諭す様に言う近藤の言葉に新八がさらに顔を赤くした。
「それに君も本当はそうしたいんじゃないか?」
この言葉に新八がはっと顔を上げる。前に座っている近藤と目が合うと、近藤はにっと笑った。新八がぎゅっと口元を締めた。
「はい、分かりました。きちんと気持ちを整理してから来ます」
この言葉に近藤がゆっくりと頷きそしておもむろに口を開いた。
「それから、お妙さんにもその電話番号渡しておいて」
お妙の名前が出てきたとたん、近藤の顔はにやけどうにも局長らしく見えなかった。
新八がお妙譲りの笑顔で答える。
「分かりました。大事な電話番号は僕の胸にしっかりと刻んで、誰にも決して教えません」
そう言って立ち上がり勢い良くお辞儀をすると近藤の「え?いや」と言う声も聞かずにきびすを返して走って行った。
屯所の玄関から外に出ると日が陰っていた。しかし夏の夜にはまだ早い。
走っていると汗が噴き出してきた。
地面は日中吸い込んだ熱を放出して、夕暮れだというのに昼間の様に暑かった。
はあ、はあ。
新八の息づかいが荒くなってくる。
(僕はどうしたいんだろう。この気持ちをどうしたいんだろう)
納得させたいのか、怒りに任せて誰かを攻撃したいのか。
キミの目に溜まった涙と、まつげを湿らせ潤む目を思い出すと不思議な気持ちになった。
(関係ないことない!)
しかし肝心の市の顔は思い出せなかった。
(薄情だ。僕は)
土方にされた仕打ちを許せなかったのは確かだった。あの事がなければ市は今頃蝦夷にいたはずだ。
(本当に?)
新八がその先を想像するには、情報も経験も足らなすぎた。
走ってついた先は万事屋だった。
「はあ、はあ、はあ」
息を整え扉を開けた。
「ただいま」
しかし、その家からは返事がなかった。
「神楽ちゃん?銀さん?」
草履を脱いで板の間に上がると、足跡がうっすらとついた。
(汗まみれだ)
手に持った紙袋を机の上へ置き風呂場に直行して着ているものを脱ぐ。
ほてった体を温いシャワーで冷やしていった。頭からぬるま湯を浴びると気持ちよかった。
(僕は少し頭を冷やすべきかな)
そう思うと少しお湯の量を減らして頭からもう水に近い温度のお湯をかけた。
(分からない事だらけだよ)
風呂から上がると短パンとシャツになった。
そうして汗だらけの長着や袴を干しているとカンカンカン、と音がした。
「ただいま〜」
「けえったぞ」
二人の声がした。
「あ、新八、帰ってたアルか?ご飯は?」
神楽がそう言ってポケットから酢昆布の箱を出し食べ始める。
「まだ。これから」
「かあちゃん〜、腹減ったよお」
銀時が口を尖らせた。
「夕暮れまでに帰って来なかったから晩ご飯は抜きです」
そう笑うと銀時が軽く笑った。
「へへ、でもまだ暗くねえから」
「暑いアル!シャワー浴びるネ」
神楽はそう言って風呂場へ行った。
「っていうか、晩ご飯抜きって僕がご飯の支度するんですよ。僕が帰って来なかったらあんた達がメシ抜きでしょうが」
銀時がソファーに座った。
「すっきりした顔して〜。何か抜いてきちゃったの?ん?」
何やらニヤニヤしている銀時に向かって新八が真っ直ぐ向いた。
「あんたとは違います。抜かなくても沈める方法はあるんです」
新八がにいっと笑い、その顔に銀時が意外そうな顔をした。
「新ちゃん、少し大人になった?」
「だてに銀さんの元で働いてませんよ」
そう言って新八は台所に立ち米を研ぎ始めた。
「うーん、複雑」
銀時は真面目な顔で腕を組んだ。
「お父さんの出番はないってこと?」
そう口にして軽く首を揺すった。
「俺今お父さんて言ったよ。ヤバいよ。お兄さんじゃなくてお父さんだってよ」