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願い事、ひとつ

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それは、覚悟を既に決めた声だった。まだ十五歳という、これから先がいくらでもある年齢で、なぜこんな声を出せるのか、静雄には理解できない。
「生死は問わぬ、必ず成功させよ、と・・・それが本部からの通達ですから」
この場合の生死とは、敵ではなく味方の意味だ。上が言う言葉を乱暴に訳せば、お前たちの命を賭けて敵を殺せと、そう言う意味だ。
馬鹿げている、と静雄は息を吐く。追い詰められている戦況だと、分かっている。わかっているが、そんなのはまっとうな作戦ではない。
「上がそんなに大事か!テメエの命のほうがよっぽど大事だろ、なあ!?」
少なくともこんな小さな少年が、命を賭けるほどの作戦だとは思えなかった。静雄はその標的の敵部隊を知っている。その部隊がたとえ壊滅したとして、ほんの少しも変わらないであろう戦況を知っているのだ。
そんなことは、言うまでもなく帝人も知っているはずだ。
無駄死にだとは言わないが、限りなくそれに近いと、知っているはずなのだ。
「・・・静雄さん、少し、外で話しましょう」
詰め寄った静雄に、帝人は苦笑いを返してそう言った。他の隊員たちに考える時間を与えるという名目で、静雄だけを連れ出す。
そうして彼は、最初に静雄と会った木蔭まで静雄を促して、今度は自分が地面に座り込んだ。隣を軽く叩かれて、静雄もそこに座る。
「・・・やめておけよ」
沈黙に耐えかねて先に口を開いたのは、静雄のほうだった。彼は死を知っている。戦場の最先端の、惨状を知っている。
この、小さな少年に、自分よりもずっと年下の少年に、その惨状の犠牲者になってほしくないと、ただ純粋にそう思った。大人びて悟りきったような声を出す帝人に、本来の少年らしさの中で生きてほしいと、本当にただそう思った。
けれども帝人は小さく息を吐いて、ゆっくりと、言う。


「・・・ねえ静雄さん。あなたが最初に居た隊には、僕の親友が居たのです」


「・・・は?」
言われた言葉の意味を、とっさにつかみ損ねて静雄は瞬きをした。それからぽかんと、問い返す。
今何を言ったのかと。
どういう意味だと。
「正臣っていって、明るくて元気で、お調子者で。僕はいつも彼に引っ張られていました。これでも小さい頃は本当に引っ込み思案で、親友の陰に隠れることしかできない、おとなしい子供だったんです」
懐かしむようにそう言った帝人が、静雄の手のひらにそっと触れた。
びくりと体を硬直させた静雄に、静かに、声は続ける。
「あなたが三番目に居たところには、僕の後輩がいました。青葉君って言うんです、僕に負けず劣らずの童顔でしたから、ある意味目立っていたかもしれませんね。士官学校を中退してしまった子なんですけど、人懐こくて計算高いところもあって、でも少し抜けてて、そんなところが可愛かった。弟みたいに思っていました」
静雄は酷く緊張して、息をのんだ。
微動だにしない静雄の手のひらをなぞるように、帝人の小さな手がゆっくりとゆっくりと、動いている。
「・・・あなたが3日前まで所属していた隊にはね、僕の恩人がいました。ご存知でしょう、折原臨也。・・・殺しても死なないような人だったんですけどね、まさか退去の途中で転落死なんて、ばかばかしい死に方をするなんて。いえ、でもそれもあの人らしいのかもしれませんけれど」
折原。ああ、あのいけすかないやろうか。あれは軍部でも力を持っていた奴だったから、もしかして第七小隊の後ろ盾をしていたのは、あいつだったのかもしれない。そんなことを思った静雄の手を、帝人はただ優しく包み込むように握った。
ますます、冷や汗が静雄の背中を伝って落ちる。
こんな風に手を握られたのはいつ以来だろうかと、そんなどうでもいいことを考える。
「・・・竜ヶ峰、隊長殿」
何か言わなくてはと口を開いた。けれども何を言っていいのかが解らない。怨んでくれと、俺を憎めばいいと、そんなことを言うのは帝人に対して失礼な気がした。帝人はそのすべての原因が静雄ではないことをちゃんと知っている。静雄を怨むことは筋違いで、だからそれが楽だったとしても、道理に反することはしないだろう。
静雄と同じ隊にいたということは。
皆死んだということだ。
例外はなく、皆等しく、誰ひとり戻らなかったということだ。
静雄は今更のように、それを理解した。今までいくつかの死線を越えて、いくつもの戦場を駆け抜けて、何人も何人も目の前で死んでいったけれど、それは静雄にとっての仲間の死であると同時に、他の誰かにとってもそうだったのだ。
ああそうか、皆失ったのは、皆死んだのは、俺だけではなかった。それなのに俺は、自分ばかりがそれを知っているような気がして、自分ばかりが不幸せだとでも言うように、生きることに疲れたなんて馬鹿なことを言って。
静雄は唇をかむ。
帝人が名前を告げた三人を思い出そうとしても、誰ひとり明確に思い出すことはできなかった。自分の隊に何人いただろうか、そんなことも覚えていない。その一人一人に、こうして待っている人間がいて、大事に思う人間がいて、それなのに。
誰も、戻らなかったのだ。
誰も。
「僕があなたに会えたのも、運命ですよ」
帝人は、静雄の手をなでながら、和やかに言う。
そんな運命はいらねえと、怒鳴りつけたかった。そんなくだらない運命に寄りかかるなと、言ってやりたかった。
お前は生きろと、その人たちの分までちゃんと生きろと、そう言ってやれたらどんなにか楽だっただろう。けれどもそれは静雄には言えない。静雄にだけは、帝人に向かって言えない言葉なのだ。
「静雄さん。だから僕は、死ににいくのです。だからあなたは、もう一度本部に戻ってください。静雄さんなら大丈夫でしょう、今まで通りに、ちゃんとここに戻ってくださいね」
約束、ですよ。
帝人が笑う。
それはあきらめたという顔ではなく。
それは絶望を訴える顔でもなく。
ただただ、あるがままの、帝人の願いだというような、純粋な笑顔で。




「僕が死んだと、僕を待っている人たちに、伝えて欲しいんです」




ぎゅっと握りしめられた手のひらに、静雄は、何か言いたくて、でも、何を言えば良いのか分からなくて唇をかむ。わがままでごめんなさいと、申し訳なさそうな声が続ける。
言われなくても静雄にできることはそれしかない。
静雄が返るということは、他は全滅だと伝えることだった。
けれどもそれは、あまりに、静雄にとって残酷なことで。だから帝人は謝る。
静雄は震える手で、帝人の手を握り返そうとして、その余りの小ささにもう一度息をのんだ。ああ、こいつもみんな失ったのだと思うのと同時に、静雄に明確にわかるのは、これからこいつさえも俺は失うのだと言う未来だけだ。
泣きそうだと思った。
今まで何人も失ったと思っていたけれど、これほど胸を締め付けられたのは初めてだった。竜ヶ峰隊長殿、ともう一度呼ぼうとした唇は、けれど震えるばかりで声を吐き出さず。
そんな静雄の様子に困ったように笑って、帝人は泣きそうに、眉を寄せて静雄を見上げる。その目はやっぱりどこまでもまっすぐで、その表情は変わらず酷く大人びていて、だから静雄は。だから。
「なあ」
声は震えていた。
それでも許されるなら、と願った。
「嫌だと言っても、無駄か?」
作品名:願い事、ひとつ 作家名:夏野