Days / after my life
生き返った日
目を開けたら、そこはボロアパートの一室だった。
「・・・あれ」
思わず声に出して、瞬きを繰り返す。まさか天井が目に入るとは予想外だ。俺、確かさっき殺されなかったっけ?何で生きてるんだろう、なんて。
そんなことを考えることがそもそもおかしかったのに、俺はそのおかしさに気づけないくらいには混乱していた。昨晩はあれほど痺れきって、動かすことさえできなかったはずの手足が問題なく動くことを確認して、俺はゆっくりと上半身を起した。
年季の入ったワンルームは、築何年だよと突っ込みを入れたくなる色合い。っていうか畳がしなびてきてないか?がらんとした部屋を見渡せば、自分の寝ている布団以外には、パソコンの乗ったローテーブルくらいしかない。
はて、ここが天国ならばずいぶんと貧素だし、地獄だというのならばなんて好待遇だろう。回転の鈍い頭でそんなことを考えたとき、ガチャリと音が響いて、ドアノブが回った。
「ああ、起きました?」
のろのろと振り返れば、そこには確かに昨夜自分を針のようなもので殺した男が立っていた。その道のプロ、のはずの、殺し屋という肩書きを持つ少年が。
「俺・・・死んだんじゃないの?」
ぱたぱたと室内に入ってきて、食材の入ったビニール袋を台所へおいた少年に問いかける。今現在生きているのだから死ななかったんだろうけど、どうして助かったのかよく分からなかった。
「死んだと思いますよ」
いまいち頭の働かない俺とは反対に、少年は無造作にそう言って、ビニール袋の中から新聞を一部投げてよこした。何枚か折ってたたんであるその新聞の一部に、見慣れた自分の名前が印刷してある。なんだ?と思ってよく目を凝らしてみれば、それは他ならぬ自分の死亡記事だった。
しかも、自殺報道。
「・・・俺、デパートから飛降りたりはしてないと思うけどなあ・・・」
夜の人通りのまばらになってきた時間帯、どうやら駅前のデパートから飛降り自殺をしたことになっているようだ。工作だということは分かっているが俺が自殺だなんて、ちょっとありえないよなあと苦笑する。
「仕方ないじゃないですか、死体なんてなかなか都合つかないんだから」
少年は食料品を冷蔵庫に詰めながら、こちらを見もせずに答えた。
「顔を潰さなきゃ、あなただって主張もできないでしょ」
苦労したんですよ、なんて。
無造作に言い捨てて。
「・・・なんで俺を助けたの」
やっぱり、彼が死体を都合して、俺が死んだことにしたらしい。どうしてそんなことをされるのかわからずに問いかける。あのまま俺を殺せば、こんな小細工は必要なかったのに。
しかし少年は、小さく笑って言い切った。
「僕はあなたを殺しました、ちゃんと」
僕はプロですから、その辺妥協はしないんです。声は淀みなく、明確に。
「だから、あなたが勝手に生き返っただけです」
一度ちゃんと心臓は止まったのに、しぶといですね、なんて軽く言われて、少し頭痛がした。ならもう一度殺せばいいだけの話だったのではないだろうか。っていうかあの状況でなら、俺を殺すことなんて何度だって簡単にできたはずだ。何しろ俺は手足がしびれて全く抵抗さえできなかったのだから。
何故それをしなかったのか、それを問おうともう一度開きかけた唇に、冷たいものが押し付けられる。
ミネラルウォーターのペットボトルだ。
「・・・どうも?」
「僕は薄汚いものが好きなんです」
礼を言って受け取ろうとしたら、突然、脈絡もなく彼は言った。
「笑って死ねる人間なんて、滅多にいないので気に入ったってのもあります」
真顔で言う少年の顔を呆けたように見返して、俺はゆっくりと瞬きをした。持たされたペットボトルが存在を手のひらで主張する。
どうやら、どうしてここにつれてきたのか、その答えらしい。
「君、物好きだって言われない?」
辛うじて切り替えしたら、そうですね、とやっぱり真顔で頷いて、少年は息を吐いた。
「残念なことに、悪趣味とも言われるんですよ、こんな善良な小市民を捕まえて」
「いやいやいや、善良な小市民は暗殺とかしないし」
突っ込みを入れてから、言われたことをもう一度反芻する。
汚いものが好きで、死ぬときに笑っている根性が気に入った。そう言ったように聞こえた。しかしそれだけのために、死体を手に入れて自殺に見せかけて、さらにそれを「折原臨也」に見せるという手間をかけたとは、相当の物好きだ。
「・・・俺、死んだんだよね、この新聞が偽造でない限りは」
新聞を指差して問いかければ、ええ、と少年は頷く。
「不安でしたら、テレビでもネットでも確認したらいかがですか?」
どうぞご自由にと言われては、疑うまでもなかろう。俺はため息をついて、受け取ったペットボトルのふたを開けて、水を飲んだ。冷たいものが喉を滑り落ちる感覚に、何とか冷静さを取り戻したような気がした。
「いや、生きてたことはありがたいけど。戸籍なくして、どうしろっていうのさ」
死んだ人間が生きていくには、この世は少し世知辛い。自殺したってことになっているなら、今頃波江が俺の使っていた事務所やら自室やらを綺麗に処分してしまっているかもしれない。だとしたら今俺は、無一文でゆくあてもないということだ。
この先をどうやって生きていこうかと考えていると、少年がクスッと笑った。
「あなたを拾ったのは僕ですよ?そこのところ理解してますか?」
中学生か高校生か、というくらいの年齢のその少年が、殺し屋だと言って、一体どれほどの人間がそれを信じるだろうか。かけてもいい、きっと100人居たら99人信じない。そのくらい邪気のない笑顔だった。
言っとくけど、信じるたった1人は俺だ。
「つまり俺は、君のものってこと?」
それならそれで面白いかもしれないとそう言えば、少年はまじまじと俺を見詰めた。予想外のことを言われたとでも言うような顔で、「じゃあそういうことにしましょうか」とつぶやく。それからおもむろに俺の頭に手を伸ばし、くしゃりと撫でた。
「ペット志願の拾い物は初めてです」
「・・・そういう意味じゃ、なかったんだけど・・・」
「ちょっと場所をとりますけど、黒猫かなんかだと思うことにしましょう」
小声の抗議はスルーされた。
っていうか黒猫って。俺そんな可愛らしい生き物にされちゃうの?
間近で見た少年の、癖のない柔らかそうな髪や、表情の読めない瞳や、その年頃の少年にしては細身の体躯をしげしげと見詰めて、あーあ、こんな貧弱そうな子供に殺されたのか、と息を吐き、その実それをちっとも嫌がっていない自分を笑う。
どうやら本当に、折原臨也は死んだらしい。
ならば俺はただの彼のペットで、それも悪くないような気がした。
「まあ、それでいいや。ヨロシクねご主人様」
「うわあ予想以上に気持悪いですね竜ヶ峰帝人です帝人様とでも呼べばいいですよ」
ウインク付で言った言葉はたいそう不評だった。その後一息で名乗られたその名前、竜ヶ峰帝人というのは、聞いたことがる。
「ああ、やっぱりプロだったんだ。殺し屋なんて本当に居るとは驚きだよねえ」
作品名:Days / after my life 作家名:夏野