Days / after my life
問いかけた日
同じ家に住むにあたって、帝人君から指示があったのは一つだけだった。
「うかつに外に出ないでくださいね」
以上、終了。
新聞に顔写真まで載った自殺者が、その辺をうろうろしていては困ると言うことだ。それは理解できた。だが、ここはどこだと問いかけて池袋と返事が返ったとたん、外出なんて選択肢は俺の中から綺麗に消え去ったのは言うまでもない。
池袋。
なんでよりによって池袋!
「・・・最悪だ」
「天敵のいる池袋で?」
「最悪だよ!」
「あははは」
俺の中でどうしても唯一絶対許容できない、ほんとにあれだけはダメな平和島静雄の活動圏内なんだからどうしようもない。死んだことになっている身で、あれに見つかるようなことがあったらどれだけ厄介なことになるか、正直考えたくもない。
「引っ越そうすぐ引っ越そうそうしよう!」
「やですよ、学校が遠くなるじゃないですか」
ここではまだ仕事が残ってるんですよね、と帝人君は携帯を操作する。殺しに必要なデータ類は、すべてそこに揃えてあるらしい。
「それに、ペットの都合で飼い主が動くわけがないでしょう」
あっさりと切って捨てた帝人君の言い分は最もなので、それ以上の訴えはやめておいた。あまりしつこくして、やっぱりいらないから捨てるとでも言われたら困る。
「大体あなたがちゃんと死んだふりしていてくれないと、僕の信用が落ちるんですから。丁度いいです、しばらくは家事だけやっててください」
「・・・俺が暇すぎて本当に死なないことを祈っててよ」
はーっと大きくため息をついて零せば、帝人君は大真面目な顔で頷き、善処します、とだけ返した。こうなったら帝人君の仕事が早く終わることを祈るしかない。
ところがそんな俺の願いをよそに、帝人君はなかなか忙しいのだった。
「なんとまあ」
「さすがにすみません」
こんな予定じゃなかったんですけど、と帝人君がつぶやいたのも無理はない。っていうかこれをみて驚かない人間はそうそういないと思う。
「見事な血まみれだね、着替え出すよ」
「はい、お風呂入っちゃいますから出しといてください」
「まさかそれ、洗えとか言わないよね?」
「制服の予備くらいあります」
夜も大分ふけた時間に、制服を血まみれにして帰宅した帝人君は、それでも自分自身には怪我はないらしい。あーあ、と大きく息をつきながらジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、無造作にそれらをゴミ箱に突っ込んでから、一番血にまみれているシャツを着たまま風呂場へ直行する。
遅くなる日は前もってそう言われているので、その日に仕事があると言うことくらいは理解していたが、さすがにこれは強烈だ。
俺は漂う血の匂いに眉をしかめて、消臭剤か何か無いかと探したけれど、そんなものはありそうになかった。
「どうしたらこんな血まみれになれるわけ、しかも返り血だけで」
パジャマを風呂場に運んだついでにといかければ、ガラスの扉の向こうから、返事は短く返った。
「相手が暴れるから」
「・・・押さえこめるほどの力はないってことでいいの?」
「人のコンプレックスえぐらないでくださいよ、今日畳の上で寝てくださいね」
「あ、うそうそ、そんなの帝人君には必要ないもんね!」
この家に来てから、夜は帝人君の布団にもぐりこんで寝ている。何しろこの家には布団が一組しかないので、初日にそうすることに俺が勝手に決めた。帝人君は買えば良いと言っていたけれど、一度一緒に寝てみればそれほど気にならなかったようで、翌日には何も言われなかったのでそのまま続けている。
まあもちろん、俺としてはできればそのうち恋人的な営みを、と考えていたりするのだけれど、帝人君はそういうのはまだ断固拒否の構えだ。彼がその気になれば俺を殺すことはとても容易いと知っているので、俺も無理強いはできない。
せっかく生き返ったのに、瞬く間にもう一度死んでたまるか。
タオルとパジャマを置いてから、投げ出された血まみれのシャツと制服の下を回収して、とりあえずビニール袋に詰め込んだ。しかしこれをそのままゴミとして出すわけにはいかないだろうし、どうするべきかと考えていると、即行でシャワーを終えた帝人君が風呂場からひょいと顔を出した。
「紙袋ありますから、それに詰めてもらえます?」
「紙袋?」
「押し入れの中」
言われた通りの場所に、新聞屋が配るような紙袋が数枚置いてある。俺は言われた通りにそれに血まみれの服を詰め込んだ。
「これどうするの?そのままゴミには出せないでしょ?」
「燃やします」
「どこで?」
「学校の焼却炉ですよ。何のために学校になんて通ってると思ってるんです」
どうやらこういうことも想定していたらしい。さすがだ。確かにあれなら、いちいち中身を確認なんかしないだろう。
「慣れないナイフなんか使うもんじゃないですね、まったく」
ぼやきながら帝人君はおおざっぱに髪を拭き、台所で麦茶を一杯飲みほした。いくつかの武器をターゲットによって変えているらしいが、今回の場合は多分、ただ練習したかったからナイフにしたのだろうと思う。
「無事に終わったんでしょ?」
「ええまあ。運が悪かったら明日あたり、東京湾に死体が上がったってニュースになるかもしれませんけどね」
そんなことは自分の知ったこっちゃないとばかりに、帝人君は布団にダイブする。疲れたから寝ると言う意思表示だ。俺は電気を消して、そのとなりに滑り込んだ。
いそいそと帝人君の小さな体を抱き寄せると、ふわりと石鹸のにおいが鼻をくすぐる。意識して嗅いでみてもそれは変わらない。
彼が仕事から帰るたびにそうして鼻に神経を集めてみるけれど、ついぞ彼からは人殺しらしい匂いがしたことは無かった。それが、本当に不思議だ。
どれだけ風呂場で洗い流しても、人殺しの匂いと言うものは、裏稼業の人間にごまかしきれるものではないはずだ。臨也だって町を歩いていて、あれは人殺しだと言うのが空気と匂いでなんとなくわかることがある。暴力団の構成員とか、その筋の人間あたりには、決して消しきれない空気が必ずある。
だというのに、日常的に人を殺す帝人からは、そういうものが一切感じられなかった。
今だって、この少年はただの一般市民で、普通の高校生ですと強く言われたらうっかり信じそうになるくらいに。
「・・・ねえ帝人君」
そんな人間が、どうしてあんな風に、無造作に殺せるのだろう。
自分自身に向けられた殺意の温度。あの、絶対零度。あの空気とこの、普通の人間みたいな空気を、どうすれば一瞬で切り替えられると言うのだろう。
「帝人君、聞いていい?」
猫のように擦り寄りながら、囁く。
帝人君は少し邪魔そうに身動きしたけれど、やがてあきらめたように目を開けた。
「なんですか」
何の感情も表に出さない瞳が、暗闇の中でも冴え冴えと俺を見据える。ああ綺麗な目だ。
「帝人君は、何を思って人を殺すの」
好奇心のままに尋ねた問いは、最初の夜に彼に尋ねたかったことだ。何を思って俺を殺したのか、死にゆく俺を目にして何を思ったのか。そして、そんな俺を助けたとき、具体的にはどんな葛藤があったのか。
帝人君に関することを、俺は少しでも多く知りたい。
作品名:Days / after my life 作家名:夏野