Days / after my life
対峙した日
薄暗い通りを歩く男が一人、街灯の下を横切る。
帝人はその歩調と行く先をしっかりと確認してから、音もなく動いた。歩数、15歩分。仕事はすばやく、そして的確に。
すれ違いざま、その首筋に叩きこむ針は特別製だ。男は小さな違和感を感じたかも知れないが、何事もなかったかのように歩き続けている。
そしてきっかり、離脱から5秒後。
「・・・っう、」
苦しげな声を一言だけ漏らして、男は道路に倒れ込む。その音を背に聞きながら、帝人は振り返ることなく歩き続けた。
あわよくば車でも通りかかって挽かれてしまえば良い、そんなことを思いながら。
「・・・最近、忙しいよね」
ふてくされたような声が出たのは仕方がない。何しろ俺は明確にふてくされているのだから。
帝人君は制服のジャケットを脱ぎながら、そうですねと造作もなく答える。時計の針はすでに夜の9時を回っていて、勤勉な学生でもある帝人君は、俺が用意した夕食を食べたら宿題にいそしまなくてはならない。そして、それが終わったらすぐに寝てしまう。
これだけ一緒にいるのに、構ってもらえないと言うのは結構苦痛なのだ。しかも俺が接することができる人間は、今現在帝人君一人だと言うのに。
「暇だったらネットでもしてたらいいじゃないですか」
「面白そうなところには鬼のようなパス付けてるくせにー」
「あたりまえです、仕事の情報を無防備にさらすわけないでしょう。そうじゃなくて、チャットとか掲示板とか、ゲームだってあるでしょ」
「そんなの、何一つ帝人君にかすらないじゃないか。つまんないよ」
俺が知りたいのは帝人君のことであって、情報屋・折原臨也が死んだ今となっては、他の情報はわりとどうでもいいことなのだ。それでもいくつか掲示板サイトや情報サイトにもぐりこんで探ってみれば、俺の残した情報は波江さんが上手く利用しているようでもある。まったくこれだからあの女は優秀だよ、と思うが、それだけだ。好きなだけ利用すればいい。もうあの情報は俺のものではないのだから。
「・・・まあ、いいけど。明日は土曜日だよね、家にいるの?」
「ああ、明日は夕方から出かけますよ」
「また仕事?」
「また仕事です」
帝人君は平然と言って、用意してあった夕食に向かっていただきます、と手を合わせた。今日の夕食は帝人君のお望み通りにつけ麺と焼きナス。なんでお望み通りかと言えば、外に出られない俺の代わりに食料を買ってくるのは帝人君だからで、帝人君が自分で選んで買ってくるんだから、何を作ったとしてもそれが帝人君の望みなんだと言うことにしておく。
「まあでも、明日の仕事は臨也さんにも多少関係があるんですよ」
「へえ?」
珍しく仕事の話題を振ってきた帝人君に、お手軽に気分を上昇させて、俺は帝人君の隣に座った。何時に帰るか分からない帝人君なので、食事は待つなと言われている。だから俺の夕食はとっくにすんでいる。
「どこから情報が漏れたのか、あなたを殺したのは僕だと、小耳にはさんだって人が現れましてね」
焼きナスをつまみつつ、帝人君はしかしその情報漏洩自体には全く興味がなさそうな顔をしている。心底、どうでもいいのだろう。
「それで、あなたを殺せた僕にならきっと殺せるはずだと、直々に依頼をよこしたんです」
「・・・なんか、嫌な予感するなあ、それ。・・・もしかして、」
「平和島静雄」
冗談のように口にしようとした名前を、帝人君ははっきりきっぱりと断言して、ずずずっとつけ麺をすすった。
俺は言葉を言いかけて開けた口をひきつらせ、息をのみ込む。
「・・・最悪」
かろうじて声にできた単語は、かすれていた。それからもう一度息をのみこんで、深呼吸をして。
「・・・キャンセルしたほうがいいよ、それ」
俺にしては珍しいほどの真剣さで、そう言う。
あれに関しては、嫌悪だとか憎悪だとか、そういうものしか沸かないけれど。何度殺そうとしてもダメだった、何度その命に手をかけても、決してとどめを刺せなかった男。
あれは、人間ではない。
あれは・・・バケモノ、だ。
「もう引き受けちゃいました」
「今からキャンセルしたほうがいいって言ってるの」
「無理です。信用問題なんで」
それとも、と帝人君は、食事をする手を止めることなく俺の方を見る。
「僕が負けて死ぬと、思いますか?」
そんなことは思わない。欠片だって思わないけど。
「・・・でも、たぶん」
これは確信であり、そして確かな未来でもあるように、俺には思える。
「帝人君にあいつは殺せない」
勝つか負けるか。そういうことでいうならば帝人君があいつに負けるだなんてことは、絶対にない。けれども殺せるか殺せないか、その二択ならば、帝人君が平和島静雄と言うバケモノを殺せる可能性は極端に低いもののように思われる。
「あいつは、あいつはねえ、死ぬような体じゃないんだよ、知ってるでしょう」
たった数日前に殺し合いをしたばかりだと言うのに、もうその感覚は遠い昔のことのように感じる。それでも対峙した人間にしか分からない、あの男の存在の特異性。
「ナイフも刺さらないし、殴っても刺しても大したダメージを与えられない。なのにあいつにかかれば、その辺にある標識やガードレールでもなんでも武器になるんだよ?」
「ビデオは何度か見ましたが、あの人コントロールは良くないですね」
「そう言う問題じゃなくてさあ!」
だん!と机に手をついて、俺は困り果てた顔で帝人君を見た。残念なことに、帝人君が意外に強情だと言うことを、既に俺は把握している。
「相手はバケモノなの!理屈の通じない怪物!そんなの殺せないでしょ、トラックに挽かれたってものともしないのに!」
思わず声を荒げた俺を見て、帝人君はぱちぱちとゆっくり瞬きをして、それからゆるりと微笑みを浮かべた。
「・・・実に興味深いです」
静かな声が言う。
「間近で見たいと思っていたんですよね、一度」
憧れの相手でもかたるようなその口調に、俺は今度こそ絶句して、呆然と帝人君を見つめた。この小さな体であの化け物と?どうやってやり合おうって、言うんだ。
「帝人君、お願いだから」
俺は、そう、正直に言うならば恐怖した。
もしかして帝人君があの男を気に入ってしまったらどうなるのだろう。俺は、どうなってしまうのだろう。あの男にも、帝人君は俺にしたのと同じように手を差し伸べるのだろうか、考えただけでも虫唾が走る。
「臨也さん?」
思わず肩を抱いた俺に、帝人君はただ、静かに凪いだ瞳を向ける。
「・・・大丈夫ですよ」
そしてその手が、くしゃりと俺の頭をなでた。
何が、大丈夫だっていうの。
きっと俺が本当に危惧していることは、彼には伝わらない。
作品名:Days / after my life 作家名:夏野