Days / after my life
その日、平和島静雄は仕事帰りの日課として、公園で一服をしていた。
この時間帯になると公園から全く人影が無くなるのはそのせいなのだが、静雄本人はそんなことをしるはずもなく、ただ静かで居心地のいい公園だとか考えている。
夕暮れの赤がだんだんと濃くなり、やがて黒へと変わる寸前のころのことだ。
静雄の前に、一人の少年が現れたのは。
「こんばんは、平和島静雄さん」
声は、男のものにしては少し高く、小柄なその体躯と合わせて考えれば、まだ幼い少年であろうことが容易に想像できる。静雄はゆっくりと顔を上げた。
まさかこんな小さな少年が一人で、自分に喧嘩を売るなんてことはなかろうと思ったのだ。
しかし、顔を上げた先の姿を見て、思わず手にしていた煙草をぐしゃりと握りつぶしてしまう。
「・・・お前」
絶句した、と言っても過言ではない。
静雄はその姿に酷く動揺せざるを得なかった。何しろ、彼がまとっているのは真っ黒のモッズコート。
そう、あの、天敵のものと同じ。
あれが自殺するなんてことは、天地がひっくり返ったって無いと、静雄は思っていた。臨也が死んだと新聞でもテレビでも確かにその報道はみたけれど、そんなはずはないと誰よりも強固に信じていたのは静雄だったのかもしれない。静雄は誰よりあいつを殺したいと思っていたが、同時に、あいつが死ぬなんてことはあり得ないと言うこともよく知っていたのだ。
だから今回のこの騒ぎも、きっとあいつの策略に違いない、と静雄は思っている。死んだふりをして存在を消して、そうして何がしたいのか。それを考えると胸がムカムカした。絶対にろくなことにはならない。
だからこそ静雄は、ここ数日警戒を怠らず、必死でその動向を探っていたのだ。だが、探っても探っても臨也の気配はどこからもしてこなくて、少し焦っていたころでもある。
「・・・それは、どうした」
そんな中、ひょっこりと現れたのは見知らぬ少年だ。けれどもそのコート、それからは確かにあの天敵の匂いがしている。
低く唸るように尋ねた静雄に、少年はこてんと首をかしげて見せた。フードをかぶった幼い顔が、街灯に照らされてかろうじて見える。
邪気のない顔だ。
まるで何も知らないとでも言うような。
「ああ。コートですか?いいでしょう、少し大きいんですけどね。借りものです」
「・・・誰から」
「それはご存知でしょう」
にっこりと、少年は切り返す。静雄から湧き上がる静かな怒りなど、何も感じていないかのように。実際ここに第三者がいれば、その静雄の空気に怖気づいて逃げ出しただろう。そのくらいに強烈な威圧感を、静雄は醸し出していた。
「臨也はどこに居やがる!」
叫んだ。いや、吠えたと言ってもいい。静雄の全身から沸き立つ怒りが、全神経が、その天敵を憎悪して噴き出している。こんな少年まで使って静雄をおびき出そうとでも言うのだろうか。だとしたらなんて、なんて性根の腐った男なんだ。分かり切ってはいたけれど、やっぱりあいつは殺さねばならない、絶対に。
「それを知って、どうするんです?」
怒りにベンチの手すりを手折るほど我を忘れている静雄とは反対に、少年は酷く冷静だった。常人ならば、泡を食って逃げる鬼のような形相の静雄を前にしても、慌てるどころか眉ひとつ動かさない。
ただ、凪いだ海のような静かな瞳が、見詰めてくる。
「臨也さんがどこにいたとしても、あの人はもう死んでいるのに」
「んなこたどうでもいいんだよ!」
静雄はベンチから立ち上がる。つかつかと歩み寄って、少年のコートをわし掴んだ。小柄な体躯は軽く、少し揺さぶればその通りに揺れる。
「テメエのようなガキが、あんな歪んだ蟲にかかわるな!あれはなあ、最低の男だ。あれにかかわったらろくなことがねえ」
「・・・命令されるのは好きじゃないです」
「テメエの好き嫌いは聞いてねえ!」
「僕も、あなたの好き嫌いは聞いてませんけどね」
少年は息を吐き、それから酷く緩慢な動作で首を振ると、次の瞬間、跳躍した。
「っ!」
静雄はとっさに顔をかばう。その腕に、何かが突き刺さる感触があったが、静雄がそれを振り払うよりも腕を蹴った少年の足がくるりと一回転して地面につくのが先だった。すぐさま間合いを詰められる。
「っテメエ!」
やみくもに突き出した拳に、少年がモッズコートをたたきつけた。反動でからまるコートに一瞬対応が遅れる。その隙をめがけて、静雄の目に向けて針のようなものが突き出さる。とっさにそれを左手で握ることで刺さるのを避けたが、握りしめた手のひらがじんじんと痛んだ。
これは、なんだ?
「・・・さすがですね静雄さん。僕が二度も攻撃しても無事なんて、初めてですよ」
クスリ、と小さく笑って、少年が言う。
次の瞬間、静雄の手にしがみついた少年が、思いっきりその腹にとび蹴りを食らわせてきた。
「っぐ!」
ダメージそのものはごく軽いもので、少年はろくにパワーもないようだが、しかし蹴り込む場所を心得ている。体が宙に浮く感覚など、最近では忘れていたが、足が地面から離れて初めて、静雄は自分が蹴り飛ばされたことを理解した。
とっさに、受け身を取ってそのまま回転し、すぐさま起き上がって追撃に備える。あの小さな少年が相当強い相手であることは、既に理解していた。
しかし、予想していた追い打ちは存在せず、少年は静雄から数歩離れた位置で静かに静雄を見つめていた。
それは何か厳かな、判決を下す判事のような空気でさえ、あった。
「・・・何者だ」
静雄にしては努めて冷静に、問いかける。少年は小さく小首をかしげて、それからゆったりと微笑みを浮かべた。
「折原臨也を、殺した者です」
声は、毅然と、揺るぎなく。
「あの人は最初の攻撃しか避けられませんでしたよ」
そしてほほ笑みは、いっそ最悪の悪夢めいて。
静雄は言われた意味をつかみかねて、呆然と少年を見返した。誰を、殺したって?この子供が?あれを?
混乱し続ける静雄に、少年は眉根を寄せて、少し困ったような表情をして見せた。
「期待していたんですけどね。あの人の天敵だなんていうから、どれほど薄汚く、どれほど混沌としているんだろうと。なんだか期待外れです、目を見ればわかる」
そうしてそのまっすぐな目が、静雄を静かに貫く。
「あなたは、綺麗すぎる。僕の嗜好に合いません」
興味が失せました、と少年は吐き捨てる。
そしてそのまま、煙草の煙のように、夜の闇にまぎれて消えた。
作品名:Days / after my life 作家名:夏野