ロング・グッドバイ
穴の底と外界をつなぐものは何もなく、人ひとり入れるようなタイトなくらがりの中で、取り残された折原自身のビジョン。それはたしかに折原が、深層心理では知っている場所ではあったのだけれど、この平和島の独白を聞いたときに彼の穴のうちに光があふれる、ようなビジョンが見えた。
(ばかばかしい)
と、思うことは容易い。だけれど平和島の一言一言に、影響されて穴に降り注ぐ光の渦、やさしいにおい、美しい音楽は絶えず注ぎ込んでくる。
(こんな、こんなものは要らない)
(要らない、のに)
ビジョンの意味するところを、自分が求めているものごとを、「認識したくない自分」がいることに折原は気づく。自らの生き方に対するアンチテーゼ。これを受け入れたら、今までやってきたことや、生き方や、性格まで、崩壊してしまうのではないかというほどの絶対的な恐怖。
「……なあ、もしかしたら、お前と俺は」
(……やめてくれ)
(俺は、こんな形で、世界とつながりたいわけじゃ、ない。ないんだ)
折原の自意識が、幸福や愛情を凝縮したような表の光に晒された彼の目がくらんでよろけて何かにすがらなくては立っていられなくなりそうになる。
折原を世界につなげるのは平和島の言葉ただ一つで、この先の文言を聞きさえすれば、折原は今までの自分の生き方を代償に、望んでいた世界、どうしても欲しくて欲しくてたまらなかった世界を手に入れられるような錯覚。
光は、そこここに存在していた。生も死も憎悪も暴力もつつみこんで、ただありのままの、存在の意味と無為をたしかに折原の脳髄に刻んで刻んで刻みつくす。
くるってしまうのではないかと、思った。
世界に受け入れられることがただ一人とのコミットで成し遂げられるものなのだったら、ああ、自分の信じている「世界」というものはなんてなんて陳腐なんだろう!
――だけれど短い平和島の独白は、折原の体感時間に反してはじまったときと同じように音もなく終わりを告げる。
もしかしたら、と平和島は言った。それで、そこで終わりだった。