Mein lieber Lehrer
事の始まりはよくわからない。ただ、日中あまり会うこともなかった所為か、稀にその姿を見たときはつい目で追った覚えはある。帝国にいる彼は体格やら色彩やらの違いで非常に目立ったし、『師匠』と尊敬の念を込めた呼称をされれば誰だって可愛く思う。飲み込みもよく、応用も利かせて相談もしてくる利発な弟子を俺は大いに気に入っていて、長く雑談をすることも多かった。
その中の一節。『私の国には、貴方の様な綺麗な方はあまりいませんから』。
・・・いや、俺だってな、あいつがそんな意図で言ったんじゃないってわかってんだぜ。でも、夜で、辺りが全部のアイツの色に染まっているその中で、正直少し眠くて思考がゆるゆると動いていた俺の頭は非常に素直にその言葉を大脳に刻み込んだ。・・・素直?ああ、もしかして、俺の本音の希望はそっちなのかもしれない。驚いて一時的に覚醒した俺の優秀な頭脳は一瞬でその結果をはじき出した。ついでに顔が超熱い。
「・・・兄さん、その書類は葉っぱじゃないからお湯を注いでも紅茶にはならないと思う。あとそれ大事な書類だ」
幼い弟にそんな指摘を受けるほど動揺してるなんてそんなことはない。まさかあれから1週間も経ってるのに。・・・もはやあんなことを口走って気まずそうにゲストルームに帰った弟子の意図がわからないのか、動揺する自分の本音がわからないのかさえわからない。多少規模がでかいとはいえ、今は一つ屋根の下で暮らしていて、もう半月もしないうちにアイツは自国に帰ってしまう。ちなみにこの1週間あいつの態度に変化はない。
俺が大事な書類をぼんやりしつつティーポットから救出していたその頃、男色に寛容な弟子が『ああ、私は師匠が好きなんですね!』と大いに納得しているなど俺は知る由も無い。
それから、まだ生まれて人間の寿命分も生きていない弟にもう少し一緒にいたらわかるんじゃないかという助言を貰い、実行した。
仕事はそろそろ引き継がないといけないから、などと最もらしい理由を付けて本来のドイツ帝国に押し付けてきた。
一緒にいてわかったことと言えば、俺自身、確かにこいつへの態度が変わったこと。でもそれ以上にこいつの俺に対する態度が変わった。最初は凛とした表情を崩さずに、冗談の一つも言わない国なのかと思った。邂逅を重ねるうちに見せるようになったゆるりと笑ったその顔、今度はそれのどれが本音なのかわからなくなった。きっとどちらも内心を悟らせないというこの国の本質なのだと思う。
そしてその読めない内心に一層心臓を高鳴らせて、頬が熱くなる自分は知らない間に大分キテるんじゃないかと弟に報告した。
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恋というのは自覚すると急速に進展する、と近所のお嬢さんが言っていましたっけ。その通りだと実感しました。あの人を愛しいと思う気持ちは進むばかり。親しくしていただいて、案外幼い仕草や表情が多いことを知り、それがが可愛らしいと思う。それが弟君を始めとする限られた人に対するものだとわかると尚愛しい。さらに言うなら、軍事指揮をとる勇ましい姿、仕事をするときの真剣な顔、そして先も見た物想いに耽るときのぼやりとしたそこはかとなく色気のある顔。どれも愛おしい。
・・・そう、なんです。最近あの人は物想いに耽っていることが多いのです。それはおそらく政策とかそういったものではなく。人に対するものだと私は直感で思うんです。ふらりと夜に酒場に出掛けることも多いこの人ですから名も知らぬ少女にでも恋をしたのでしょうか。きっとこの人が好きになる人のことです、楚々として大人しく、さらりとした綺麗な人なのでしょう。恋敵?そんな、恐れ多い。私はこの想いが叶うことなどないと知っていますから。そんな風には決して思っていません。逆にあの人が好きになる人がどんな人なのか、是非拝見したいのです。
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明日、可愛がった弟子は自国へ帰る。別れと、再会を願って開いたパーティで弟は知らない間にプレゼントを用意していて、照れながら渡していた。その後、パーティもお開き。彼はそれでは師匠、おやすみなさい、と挨拶を残して部屋を出て行った。この期に及んで俺の脳内は彼の部屋を訪ねてもいいものか、どうかで一杯だった。そもそも訪ねたところでどうする。俺はまだ、アイツへの気持ちを整理し切れていない。弟子として好きなのか、友人として好きなのか、一人の男として好きなのか。残念なことにどれも経験が無いから比較も出来ない。・・・いや決して経験しなかっただけで、できなかったわけじゃn(以下略)ここで、一つ問題がある。前者2つはいい。最後の1つだった場合、俺はきちんと・・・幼い頃からの教育を割り切れるのか。あれやこれやと悩んでいる間にも、彼の部屋の前に辿り着き、しかも主の知らぬ間に我が手はノックをしていた。
「おや師匠。どうしたんです、ここまでいらっしゃるなんて珍しい。ふふ、どうぞ入ってください」
こちらに来ても頑なに浴衣を寝間着として着る日本に迎えられてベッド脇に備え付けてある小さいテーブルと椅子がある場所に収まった。お待たせしました、と言って日本が紅茶を淹れてくれた。
「それで、本当にどうしたんです?なんだか思いつめた顔してらっしゃいますよ」
・・・なんでこの弟子はこんなにホクホクした顔をしているんだろう。なんだかすごく楽しみにされてる気がする。
きっとバレはしない、安直な考えで俺は歳上のこの弟子に慎重に言葉を選んで話だけはすることにした。
「日本は・・・好きな人、いたことあるか?その、恋愛的な意味の」
「・・・ありますよ。とても、大切な人です」
「俺・・・それっぽいのがいるんだけど、わかんねえんだ。話してりゃ楽しい、会えないとなれば、すごく会いたくなる。でもそれは友達も一緒だろ?」
「・・・師匠は、その方が自分以外の人と話していたり、自分以外の人の話ばかりしているとすると、悲しくなりますか?」
「悲しい・・っていうか、見たくねえ、聞きたくねえって思う」
「ふふ、それは友達には抱かない感情ですよ、きっと」
日本が笑いながら言う。何かを慈しむようなその笑い方は、日本がさっき言っていた恋が現在進行形なのかもしれないという連想を呼んだ。
ああ、これやっぱ、恋なんだ。
「日本・・・俺、どうしたらいい」
「・・・詳しくは存じませんが、伝えるも、伝えないも師匠の一存であることに変わりはないですよ。・・・そういうものは難しいですから」
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作品名:Mein lieber Lehrer 作家名:桂 樹