Adagio
2.思い出のすぐそばで
アドルフには、特別な相手がいる。
その相手とは、いつ会えるか、というのは割と事前から二人で予定を合わせておくのが常だ。
それぞれの生活もあるから、あまり無理はしない。
お互いの日常に多大な負担をかけてまで会いたい気持ちだけを満たすのでは、一緒にいる意味がないとアドルフは思っている。
マイナスではなくプラスに作用しなうような関係を作っていこう、相手もそう言った。
もちろん、多く会えればそれに越したことはないのだけれど。
何せ、少年時代のあまりに多くの時間を共に過ごしすぎた。
それは別にヘスラー一人に限ったことではないけれど、共にいることが当たり前すぎて、離れた生活を送り始めた当初は、仲間がすぐそばにいないことに違和感を覚えたものだった。
一人だけの部屋というのはこんなにもがらんとして広いものなのか。
もともと雑多な家具を置くことを嫌う傾向にあるアドルフの部屋は、至極さっぱりした景色を作り出していて、だから、余計にそう感じたのかもしれない。
今、休日の朝食後のうとうととした時間を、一人でコーヒーを啜りながら過ごしていると、思い出されるのは共同で仲間との生活を送っていた頃のことだ。
いつもそれなりに賑わっていた食堂。
おそらく自分たちはかなり仲が良い方だったのだろう。
食後のゆったりとした時間、大抵は、エーリッヒが紅茶を入れるかコーヒーを入れるかで迷い、結局それぞれの我が儘に合わせて両方を用意していた。
紅茶が飲みたいと甘えてねだるミハエルと、片眉ひとつだけ動かしてコーヒーだと主張するシュミットと。
一歩下がってそれを見守るヘスラーと。
懐かしい映像が昨日のことのように脳裏に浮かんで、ひとつ、苦笑をした。
昔のことだ。
大切なものではあるが、今はそばにあるものではない。
しがみつくのは好きではない。
……とりあえずは賑やかさも個人的な予定もない今日は、一人分の食器を片付けて一人分のカップを洗って、それからなにをしたものか、と考えを巡らせる。
壁にかかった飾り気のないカレンダーにふと目をやると、ちょうど月替わりの今日、先月のままのものになっていることに気付いた。
……とりあえず、それを一枚破いて新しい月を新しい気持ちで出迎えるとするか。
そんなことを考えて、びりりとカレンダーをめくった。
と、月の初日、つまり今日を表す「1」の数字の欄に目が引かれる。
1の数字のわずか下、小さな「○」が打ってあるのを発見した。
「………?」
こんな印をつけただろうか。
だとしたら何の印だ?
記憶する限り、今日は何の予定も……、
「ない、よな?」