恋を思って死ねたなら
2.
先日、マスターに渡された恋の唄を歌いおえ、レンはすることもなくぼんやりとソファーに座り込んでいた。リンとミクはマスターから新しい歌があるとかで、今はマスターに調整されている最中であり、メイコはレンから離れた場所で雑誌を読んでおり、カイトはリビングには居ない。いつもうるさい二人が居ないリビングは、どこか寂しい心地さえするほど、無音だった。
ソファーにゆっくりと身体を沈めたレンは、ふと、先日歌った歌詞を頭の中に思い浮かべた。恋。苦しい。好き。歌詞には、特に苦しい、と好き、が多用されていた。マスターは笑いながら語彙がなくてー、と言っていたが、レンの中には好きとは苦しいものであるのだ、というたしかな思いが根をはっていた。恋は好きで、苦しいもの。好きとはなんだろうかと、この数日ずっと考えていたレンが掴んだ答えはそのようなものだった。
でも、とレンは息を落とす。好きとは素晴らしいものだとリンが言っていた。苦しいことが素晴らしいことなのだろうか──。
リンの言葉が理解できず、レンは思い立って自身の頬をぺちりと叩いて見た。僅かな衝撃と、すこししてからほのかな痛みが広がる。痛い。痛いとは苦しいことだろう。ならば、この痛みは好きということ、なんだろうか。素晴らしいことなんだろうか。
どうしても納得が出来ず、レンはソファーへますます深く身を沈める。目蓋を閉じても、何をしても、恋に関しての答えは得られない。恋について考えることは、好きという感情を知ることは、レンにとっては蜃気楼を手で掴めと言われているような、難題をふっかけられているような気分になった。リンには理解できるのに。おれには理解できない。知らず、顔に苦渋の色が浮かんでしまう。
「よくわかんないよ……」
「なにが?」
ぽつりと発した言葉は、誰かに聞き取られたようだ。声がした方向へと顔を向ける。カイトが立っていた。手にはアイスと、そしてスプーンを持っている。カイトはスプーンを口でくわえ、そのままアイスの蓋を開けるとスプーンで中身をほじくりだしながらレンの横に腰を下ろした。甘い匂いがレンの鼻腔をつく。
「カイトさんには関係ないよ」
「そうかなあ。もしかしたら相談に乗れるかもしれないよ」
カイトの声は穏やかで、レンはうろんげにカイトを見つめる。窓から差し込む光が二人の髪の毛を濡らした。窓から穏やかな風が拭きこんできて、レンはカイトから視線を逸らし、そっと目を細める。窓の外を見ると雲ひとつ無い快晴が広がっていた。美しい青だ。マスターが、レンとリンの目は青空みたいだと形容したことがあるが、自身の目は今広がる青空のような美しさを、今もたたえているだろうか。
レンはぼんやりと空を見つめ、視線を逸らさないまま、言葉を口にした。
「……好きとか恋とかわかる?」
「好き、とか恋とかについて……か。正直に言うと、おれに好きという感情はあるけれど、それは人間の言う好きではない。ものに対する、いわゆる、ライクの感情だね」
カイトの声を背中で受けながら、レンはそっと耳を澄ます。相槌を打たなくても、カイトは言葉を続けてくれるとレンは知っていた。
「愛する感情は、おれの中にはないから、レンの言う好きが、愛することなのかそうでないのかがわからないと、おれにはなんとも言えないよ。でも」
密やかに紡がれた言葉にレンはカイトへ視線をちらりと向けた。海のような広がりを見せるカイトの瞳は、レンを見ておらず、どこか空虚をさ迷っていた。
「──マスターの書いてくれる歌詞を思い返すと、恋をする、つまり愛することは楽しくて、幸せで、苦しいことらしいよ」
「それは知ってる。恋は、好きで、苦しくて、痛くて、素晴らしいものなんだって」
「そっか」
カイトは口を閉ざす。レンも何も言えず、口を閉ざした。恋をすることは、好きになること、好きであること。楽しくて、幸せで、苦しくて、痛い。相反する感情を持つもののこと。苦しいは痛いと同じ意味だろうから、きっと恋をする、好きになることは痛いことなのだ。
考えれば考えるほどに思考の紐がこんがらがっていくような感覚を覚え、レンは表情をゆがめる。カイトが「きっと」と言葉を続けた。
「きっと、レンにはわかるときがくるさ。もしもわかったら、おれに教えてくれよ」
そうであるといいな、と思いながらレンはしっかりと頷いた。
作品名:恋を思って死ねたなら 作家名:卯月央