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恋を思って死ねたなら

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7.

「レン、歌ってもらえる?」
「もちろん。歌うよ。しっかりと歌うから、ちゃんと聞いていてくれよな」

 マスターの自室で、マスターから楽譜を受け取ってレンは笑う。楽譜に書かれた文字を目で辿り、そのまま口に出していく。
 マスターの優しげな歌に乗せるのに似合わせるために、レンは柔らかな声で歌をうたいあげていく。
 瞬間、レンの胸を痛みが襲った。

 ──なんでこんなときに。やだ。やめてくれよ。
 痛みに音程が狂う。僅かだったからだろうか、マスターは気づいていないようだった。ほっとしたのもつかの間、レンの胸に次々と襲いくる痛みに、レンは無意識に自身の胸を押さえた。マスターが異変に気づいたのかレンを見て、曲をとめる。

「レン?」
「大丈夫、大丈夫だから、まだ歌えるから、歌うから……」
「大丈夫じゃないでしょ。だって、顔色が──」

 マスターの手の平がレンに触れる。暖かくて滑らかな感触に、レンは薄く微笑んだ。胸を襲う痛みをおしかくすように、もう一度だけ、大丈夫、と呟く。発した声はとても震えていた。

「ちょ、ちょっとでも、ちょっとだけ、休んでいいかな。ちょっと喉渇いたから、お茶汲んでくる。直ぐ戻るから」
「レン…?」

 胸を襲う痛みが、マスターの指先の温かさを振り払わせる。レンは身を引いて返事も聞かずにマスターの部屋から素早く出て、扉を閉めた。足が痛みで震える。喘ぐように呼吸をして、そのまま扉の前にずるずると座り込んだ。
 胸が痛い。痛みを吐き出すように、服をぎゅっと掴み、レンは呼吸をする。

 痛いは好きだからと、甘受していた痛みは、今やレンの身体を確実に蝕んでいた。
 精神が疲弊し、歌っている最中に痛みが襲ってくると音程を狂わせてしまう。酷いときは息をするのも辛くて、胸元をかきむしりたくなる衝動に襲われる。痛い、痛い、痛い。叫んで、転んで、のたうちまわりたいくらいだった。
 身体を丸くさせて痛みに耐える。廊下に座っていると、リビングに居るほかのボーカロイドに気付かれる恐れもあったが、そんなことは些細なことで、今レンの頭を占めるのは痛みを吐き出す方法だけだった。

「う、ぐぁ……」

 マスターの扉の前から離れなければならない。痛みに悶える姿を見られたらきっと驚かせてしまう。それだけは嫌だった。

「大丈夫、大丈夫、痛いのは好きだから、好きだからしょうがないんだ、好きだから痛いんだ」

 うわごとのように呟いて、レンは目蓋を閉じる。好きだから痛いんだ。この痛みは好きという感情が引き起こしているものなんだ。だからしょうがない。だから痛くても全部受け入れるんだ。
 呪文のように脳裏で繰り返し、レンは浅く息をする。不意に、耳朶を足音がついた。ぺたりぺたりと廊下を歩く足音。誰が近づいてきたかは、足音を聞いただけでわかった。
 ぎゅっと綴じていた目蓋を、必死に開いてレンは近づいてきた人物を仰ぎ見る。リンが居た。

「レン? どうしたの、こんなところで」
「……なんにも」

 リンの手が伸びて、レンの背中を触った、瞬間、直ぐに離れた。リンが驚いたような声を出す。

「あっつ! なにこれ、どうしたの? オーバーヒートしてるんじゃないの?」
「大丈夫、だいじょうぶ、だいじょうぶ、だから、だいじょうぶ」

 伸びてくるリンの手の平から逃げるように身体を動かし、レンは扉の前から身をどかす。リンはなおも言い募ろうとしたのか口を開いて、けれど、何を言うこともなくマスターの部屋の中へ入っていってしまった。

 オーバーヒート。しているのだろうか。一人残された廊下で考えて、レンはそっとスキャンプログラムを起動しようとした。何かしらおかしなところが無いかをチェックしようとしたのだが、スキャンプログラムは起動しなかった。スキャンプログラムが起動しないなんて、きっとおかしなところがあるのだろう。自己修復機能を起動しようとして、やはりこちらも起動せず、レンは僅かな焦燥を覚えた。

 なんで起動しないんだよ。この前まで起動していたのに。必死にスキャンプログラムと自己修復機能を併用して起動させようとするが、どちらも何も返してこない。なんでだよ。痛みが消えないとマスターの歌が歌えない。歌えないとボーカロイドの意味が無くなる。傍に居られなくなる。好きという感情が伝えられなくなる──。
 嫌な想像をしてしまい、レンは首を振る。きっとマスターはおれが歌えなくなっても、傍に置いてくれる。きっと、そうだ、きっと大丈夫だ──。
 マスター。声を出さずに言葉を口ずさむ。甘い響きの言葉をかみ締めるように呟いて、痛みを逸らす努力をしている矢先に、マスターの部屋の扉が開いた。
 リンの足音のほかに、もう一つ、聞き知った足音が聞こえた。

 この足音は。背筋を氷塊が滑り落ちるような心地がした。レンは身を起こす。

「レン、リンから聞いたよ。大丈夫じゃないって。メンテナンスセンター行こう」

 マスターの柔らかな声が響く。伸ばされた手の平を拒めるはずもなく、レンはその手を取った。直後、マスターの指先がぴくりと震えた。優しげな表情が浮かべられた顔に、強い苦渋の色が浮かぶ。そんな表情を浮かべさせたいわけではないのに。胸の中を、よくわからない感情と、強い痛みが占拠していく。喘ぐように呼吸をして、レンはぽつりと言葉を零す。

「……マスター、痛いんです……」

 マスターの手の平を強く握ると、マスターの唇から痛みを耐えるような声が漏れた。強く握りすぎているらしいが、レンには力の制御が出来なかった。

「胸が、痛い、痛いよ、痛いよお……。好きがこんなに辛いなんて、知らなかった」

 声が震えて、どうしようもないくらい掠れた。レンはマスターを抱き寄せる。強い力で抱き寄せたせいか、マスターが驚いたような声を出すのが聞こえた。リンが、離しなさいよ、と怒りながらレンの腕を掴むのがわかった。

「好きって、好きって伝えたら、痛いのってなくなるのかなあ……」
「レン、好きは痛いだけじゃ──」
「でも!」

 マスターの言葉を遮るように声を上げ、レンはマスターの身体に強く腕を回す。

「おれは、おれは、マスターが好きで、好きだから、胸が痛いんだ……っ!」

 異変に気付いたのか、他のボーカロイドがよってくる。カイトが「わー告白だー」とのん気な声を出し、ミクが「そういう場合じゃないと思います」と突っ込む声が、レンの耳朶を打った。

「レン、メンテナンスセンターに」
「おれ、おかしくないよ。大丈夫だよ。痛いのは好きだからってわかってるんだ……」

 マスターの身体が離れる。悲しそうな顔が視界一杯に広がり、レンの胸がどくりと脈打った。なんで悲しそうな顔をしているんだろう。なんで。そんな顔をしてほしくなんかないのに。
 マスターの笑顔が見たくて、レンは笑みを浮かべた。胸が強く痛んで、途中で表情は歪んでしまった。痛みを逃がすために浅い呼吸を繰り返して、何度も何度も笑みを浮かべようとする。その度に痛みが邪魔をして、レンは上手く笑みを浮かべることが出来なかった。
作品名:恋を思って死ねたなら 作家名:卯月央