【捏造】 真選組!
「ミツバさん、もちなおしたってね」
油蝉がじわじわと鳴いている。灰皿に灰を落とすついでのように言う。土方は柱に凭れ掛かり、動かない夏雲を見ていた。風が吹かぬから、雲は姿を変えぬ。
「聞いてる?」
「何で俺に言うんだよ」
山南は縁側に座りながら、此方を見上げて口唇から白い煙を立ち上らせた。
薄い口唇が酷薄そうに歪んだ。
「独り言」
じゃぁなんで聞いてる、なんて言うんだ、そう思わないでもなかったが返事はしない。じわじわと蝉が鳴く。いつもは風が通り過ぎて涼しいのに、今日は油を流したように暑い。
「ねェ、トシさん」
どういうわけか山南は二人で居ると昔の癖で旧い名を呼ぶ。二人きりのときだけだ。近藤さんや藤堂や原田、源さんに総悟、旧い仲間だろうが誰かがいるときは土方さんだの副長と呼ぶくせに、二人のときはトシさんとふっと口に出る。気が付いているのかいないのか。
「盆休み、どっかいくの」
いかねぇよ、正しはしなかった。此の場に、誰が居るわけでもない。
「なにするの」
「映画でも見るかな」
何見るの、色白の手がすぅと伸びた。煙草の先、長く連なる灰をそっと灰皿へ落とす。
「…風の丘の噺家」
「え、なにそれ、面白いの?」
怪訝な顔をしながら此方を見上げた。暑苦しい真っ黒な巻き髪が背まで垂れている。
「さぁ、風の丘で落語でもすんだろ」
タダ券貰ったからなァ、と付け加えた。観たいとも思わなかったが、タダなら暇つぶしに行ってもいいかもしれない。
「行くか?」
内ポケットに入れていた招待券を目の前に差し出した。貰った券は二枚ある。山南は首を傾げながら、券の表示を見た。主演と監督の名が連ねて書いてある。風の丘のハナシカって、落語家のこと、なにそれと独り言ちた。確かに余りそそられないタイトルだ。散々首を傾げたあと、招待券を其の侭突っ返した。
「…原田君と行ったら」
原田はあぁ見えて映画好きだ。面白かろうが面白くなかろうが誘えば乗ってくるかもしれない。それもそうかと思い、招待券をまた受け取り胸ポケットに戻した。
「あちィな」
「暑いね」
じーわじーわと鳴く寒蝉。制服を脱いで水浴びでもしたいほどの熱気だ。一番暑い時間に外回りがある。此の一服を終えたら行かねばなるまい。正直やっていられない。
「アイス」
アイスが食べたいわねって言ったの、灰皿に手を伸ばした。
「外回りついでに買ってきて。私ダッツがいい」
「何でオレが」
何でって、と山南は分かるでしょうといわんばかりに此方を見上げる。
煙を吸い込みながら眼を細めた。
「冷蔵庫に山崎のガリガリ君があったぜ、アレ食っちまえ」
スタンド灰皿に短くなった煙草を押し込んで火を消した。そろそろ行かねば。じゃぁなと言い捨てて日陰を出る。鋭い熱線が肌を刺し、その光源を見上げた。真っ白い太陽が、じらじらと睨む。
「一雨欲しいな」
雲は白く立ち上るばかりで雨の気配など微塵も無い。じーわじーわと蝉は鳴く。山南はそうねと静かに煙を吐いた。
「嵐でも、くりゃぁいいのに」
<5=「青の時代」>
「やぁま、な、みぃ」
がっしりとした太い腕がどんと肩に回された。声と仕草で誰かなど、すぐ分かる。
「なに、原田君」
昼からずっと事務処理を続けていたので肩がこる。休憩でもしようかと立ち上がって煙草を吸いに出た矢先だ。
「氷、食いに行こうぜ」
表はじらじらと太陽が照りつける。暦の上では来月から秋のはずだが、残暑と呼ぶには余りにも厳しい。原田はこう暑くちゃぁなと剃っている頭頂部が熱いのか濡れた手拭を乗せている。
「そりゃぁいいけど」
「お、藤堂っ、テメェも来い」
丁度通り掛かった藤堂にも声を掛けた。トレードマークのようにいつも頭にタオルを巻いている。それも汗で湿って色が変わっていた。いイっスねェとにやりと笑い二人に続く。
「でも隊長が二人も連れ立って、出ていいの?」
「大丈夫だって、近所だし」
オゴリっスか、と藤堂はさも当然のように尋ねる。原田君が奢ってくれるよと、山南は原田の肩を叩いた。
「テメェのもかよ」
「当たり前」
しょわしょわと刃が氷を削る。ペンキのはげた氷掻きを親爺が汗だくになりながらハンドルを回していた。「氷」と書かれた涼しげな絵の暖簾が熱風の中に舞う。風鈴がちりんと鳴った。
「お待ちどう、宇治金時ね」
山南は汗だくの親爺から氷を受け取りどうもぉと言った。原田は悩んで悩んで悩んだ末に、スタンダードなイチゴ練乳にしたことを後悔していた。今親爺が削っているのは藤堂の氷だ。
「懐かしいわね、此の氷掻き」
今は電動のカキ氷機が主流である。しかも氷の上にやれ生苺のピューレだのマンゴーだの乗った軟弱なものが若い娘の間では流行っている。けれども屯所近くにあるこの甘味屋では、未だに昔ながらの合成着色料の味のするシロップと練乳だけのスタンダードなメニューである。しかも一体いつから使っているのか分からないほど古いカキ氷機。しかも手動。だが不思議なことに此処の氷は美味いと思う。
「武州のさ、あの道場からちょっと行ったとこにある、川っぺりにあった駄菓子屋覚えてる」
苦味のある抹茶と甘い餡をスプーンに載せながら口に運ぶ。今まで何度繰り返したか知れぬ夏の味。原田はあぁと首をかしげてすぐに合点した。
「あのババア、まだ生きてんのかね」
「さぁ、でも結構な御歳だよね」
近藤曰く、自分が子供頃から婆だったと言っていた。駄菓子屋というより金物やら雑貨やら、とりあえず何でもある店。一応乾物屋らしい。だが品にも店にも売り子にも年季が入り過ぎて、どれもこれもがばあさんまでも商品と同じように色あせ乾いていた。店先で一番品が動くのは駄菓子の類で、よく近隣の子供が小銭を握り締めては買いに来ていた。
「よく総悟がババア騙してたよな」
「刻蕎麦よろしくやってたね」
ばあさんの計算は恐ろしく速かった。細かく複雑な菓子が数多ある店先から子供が選んだ菓子の合計金額を一瞬で計算する。誤魔化しようも無いのだが、総悟は刻蕎麦宜しく、今何刻でぇ、へぇここのつとばかりによくばあさんを騙していた。他にも目が悪いことをいいことにアイスの当たりくじの偽造だの、アイスの無銭飲食だの放蕩の限り。事が露見して何度姉のミツバが謝りに行ったか知れないほどだ。
「アイス選ぶ振りして冷凍庫の中に頭突っ込んで食ったりとかな」
「あれよく完食できるわよねぇ」
山南は誘われたことは無いが多分藤堂辺りは余罪があるはず。総悟と藤堂はそんなに歳は離れていない。叩けば埃が出るだろう。原田と山南はどちらとも無く笑い出す。蝉の季節は終わりかけなのか、蝉に混じって虫の声が聞こえる。散々な暑さだが、季節が動き始めていた。
「あの日もこんな風に暑かったよな」
「いつ」
柄の長いスプーンで氷と小豆を馴染ませながら山南は尋ねた。原田は練乳の甘さを噛み締めながら氷苺を口に運ぶ。
「テメェが道場破りに来た日だよ」
原田はにやりと笑って山南を見た。山南は心底厭そうな顔をして無意識に身を引く。
「止めてよ、それ黒歴史なんだから」
原田は何言ってんだと当時と随分様変わりした同僚を見た。どのくらい前だろうか。随分昔のような気もするし、そう長いことではないようにも思える。