【捏造】 真選組!
それはそうなんだけどねェと山南は笑いながらも立ち上がろうとはしない。ミツバは隣に座って持っていた湯飲みを差し出す。
「病気じゃないから、平気だよ」
「ですけど、調子が悪いときはあるでしょう」
顔が蒼いわ、と亜麻色の前髪に隠れた頬を見て言った。元々色白だが、今日は血の気が失せて紙のように真っ白だ。ウチで休まれたらいいわと提案してみるが、困ったなァと首を傾げた。
「此処の人たちはいい人ですけど、そう言うことは分かりませんから」
山南は湯飲みの中のお茶を飲み干し、よく考えたらそうだねと噴出した。近藤さんに山南さんをお借りしますってお願いしますからね、と頷く。まるで母のようですね、湯のみを玩びながら山南は笑った。
「強引だなァ、ミツバさんは」
「えぇ、私、ここの人たちの健康管理を任されていますから」
行きましょうと立ち上がった。かなわないなァと山南もそれに続いた。
「何でお前が居るんだよ」
昼食の片付けもそこそこに姉が近藤邸を辞したのが総悟には気に喰わなかった。別に一人で行って帰ってくることは出来るが、どうやら一緒に帰ったのが居るらしいというのは午後の稽古の面子を見てみれば自ずと分かることである。
昼の稽古を終え、皆井戸端で水を使ったり汗を流した。それを尻目に家に戻ってみれば此れである。最近と言えど、もう十日になるが山南と言うのが近藤さんの道場には居座っている。他の連中も目障りだから出て行けばいいのにと思うし、こいつも例外ではない。
同じく食客として居座る連中はオレのことを総悟だの名前を呼び捨てする。無論、年功序列という「有り難い」儒教の教えだ。年が達ってるっていうだけで早々大きな顔をされては堪らない。だがこいつは媚びているのか知らないが、必ず師範代と「役職」で呼ぶ。
馬鹿にしてるのか、そうでないのか。どちらにしたって気に入らない。
気に入らないのが自分の家で、一番涼しい座敷で蒲団で寝ている。頭に濡れた手拭を載せ、袴を脱いで多分風呂まで入って。更に姉に団扇で扇いで貰っていやがる。何様だ。
ただでさえ気に入らないのがどうしてうちにまで来るんだと、総悟は荷を縁にあげて敷かれている蒲団に横たわる山南に詰め寄った。
「これ、そうちゃん。静かにしてあげて」
ミツバはお帰りなさいと声を掛けたがそれには返事もせず、枕でも蹴飛ばしそうな語気の弟を窘めた。山南は気配に気がつくと素早く身を起こしたが、どういうわけかよろめくように起こした自重にふらつきながら、不調法な格好で総悟を見た。
「すみません師範代。こんな状態で」
総悟はそれを見て鼻で笑う。己に居ぬ間に、しかも真日中に蒲団なんか敷いて、他人の姉に扇がせる。まともに見て気分のいいものではない。不愉快だ。
「稽古休んでこんなところで昼寝かよ、いい身分だな」
帰れと言い出しそうな弟の剣幕を察し、ミツバが溜息を吐きながら総悟を見上げた。随分背が高くなったから、見上げるのも最近は苦労する。
「総ちゃん、女の人は調子が悪い日あるのよ」
ミツバは諦めたように止めていた手を再び動かしながら弟に正した。
「え」
「面目もありません」
姉君がお気を使ってくださったんです、と道場での気合一閃篭った声とはうってかわり、山南は心細い声を出した。ミツバが起き上がる山南を制し、隣に立つ弟に団扇をすぅと差し出す。
「総ちゃん、私ちょっと出てくるから扇いであげて」
優しく諭すように言われて其の侭団扇を受け取った。竹の柄は姉の手の熱が篭っていた。どれほど長い時間握って扇いでいたのか。ハイと其の侭正座する。
畳の上を滑るように姉の足音が遠ざかる。するする、さらさら。せせらぎの様な音が遠くへ消え去った。油蝉が朝からずっと鳴いている。じりじりとなべ底のように今日は暑い。
女、と言った。
総悟はゆっくりと煽ぎ始めた。
女だったのか。
青白い顔をして頭に濡れた手拭を宛てている人間は確かにまごう事なき女だった。確かに肩の辺りは他の連中に比べて細いし、腕も逞しいとは言いがたい。どうして今まで気がつかなかったのだろう。
姉と比べると背も随分高いし、顔つきも違う。だから気がつかなかったのだろうか。上手くは言えないが、山南は自分が知る「女」の顔とは似ても似つかない。剣の腕も立つし、むさくるしい男達に混じって大声でわらい、時には立膝で掛け将棋をした。立会いになればその笑い顔は消えて、驚くほど怜悧な表情をした。
女だったんだ。どういう理由かは知らないが、調子が悪いといった。女の人は時々調子を崩すと姉は言う。姉も時々季節の変わり目には調子を崩す。そう言う類の物なのかもしれない。
「病気なのか」
いいえ、山南は頭の上に載せられていた手拭を取りながら、消え入りそうな掠れた声で言った。
「違います。ちょっと疲れが出た所為かな」
山南は歳若い師範代を見上げた。骨格のよく似た手が団扇をゆっくりと動かしていた。総悟は長い亜麻色の髪の毛が、流れる水を描くようにさらさらと動くのを見る。かすかに肌蹴た襟を気にしながら、山南は静かに正座した。
「江戸からこっちへ来るのにずっと気を張っていましたから」
乱れた髪の毛を手櫛で直しながらにこりと笑った。その顔色はまだ青白い。
「どうもありがとうございました」
礼を言い、自分で扇ぎますからと手を差し出す。団扇を渡せというのだ。総悟はなんとも無しに手を止め、手の中に在る団扇の柄を玩ぶ。
「お姉ちゃんも」
時々、季節の変わり目には風邪を引いた。熱があるのに悟られまいとして立ち働く姉の蒲団を引いたことも或る。
「時々調子を崩す」
涼しい季節ならいい。風鈴がりんともならぬ暑い盛りなどは、熱で奪われた体力を更にそぎ落とすようで、ゆっくり涼しい風を送ることもあった。そういえば、そう言うときさっきの山南と同じことをいう。もういいよと。
それには構わず煽げば、とても嬉しそうにありがとうと言った。
「煽いであげると気持ちがいいってよろこぶ」
姉は優しい。寝苦しい夜などは氷枕を置いてくれたり、自分が眠るまで団扇を使ってくれる。じゃぁ姉を煽いで呉れるのは誰なのだろう。父も母も随分前に亡くした。姉を甘え支えてくれる人たちは居ない。そう言うものに、自分がならなくてはと思う。まだ、何者にもなれていないが、歯痒い思いをしながら総悟は思う。
ちりん、風鈴が鳴り始めた。日が翳り始めたのか、座敷の奥まで光が入った。
「師範代は、お優しい」
そう山南は言った。その言い方が随分と優しく、初めて聞くような調子であったので思わず総悟は顔を上げる。山南は笑う。ふわりと吹いた風に長い亜麻色の髪が揺れた。ああ、おんなのひとのかおだ。総悟は思わず言葉を失う。言われたことねェよ、ぶっきらぼうに言うことしか出来なかった。
ちりん。
あぁ、涼しい風が、と山南が目を閉じる。
*
「あれ、山南は?」
原田は手拭で頭を拭きながら、夕餉の豆の筋取りをする井上に尋ねた。暑さ寒さも彼岸までと言うけれども、盆を過ぎても暦が秋になっても一向に涼しくはならない。食客などといってもすることなど無いのだ。