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お待ちかねの悪意

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 そろそろ日付けが変わろうという時間、パソコンに向かっていたセルティは、玄関が開く音を聞きつけ、画面から目を離した。足音はあっという間に近付いてきて、部屋の扉を開け放つ。
「セルティー! ただいまぁ!」
 言うなり飛びついて来た新羅の顔を押し返し、セルティは椅子から立ち上がった。腕の長さだけ距離を保つ。
『酒臭い。酔ってるのか?』
 セルティは影を伸ばして、ノートパソコンに打ち出した。
「ふふ、臨也のとこでバカ高いウイスキー空けてやった」
 機嫌良く笑う新羅に、セルティは僅かに考えると、再び椅子に腰を下ろした。
『臨也? 静雄か?』
 並列された名前に、新羅は肩を竦めて見せた。静雄が先日警察に捕まったのは、セルティも知るところだった。すぐに無罪で釈放されたが、静雄の機嫌が地の底を這っているのは、想像に難くない。様子を見に行こうか思案していたセルティは、新羅の答えを待った。
「そ。こっぴどくやられてたよ。新宿に越したのは他にも事情があるんだろうけど、これは引越して正解だったね。池袋にいたら、すぐに殺されちゃうよ」
 新羅は呆れたような口調で言った。新羅はセルティの隣の椅子に腰掛けると、机に両肘を突いて上体を支えた。
『あの二人、もう少し何とかならないのか?』
 セルティがそう打ち込むと、新羅は苦笑を滲ませた。
「セルティは優しいなぁ。でも、無理だよ。本人達にその気が無いからね。」
 新羅は、完全に机に突っ伏した。
『静雄はともかく、臨也はどうしてあんなに静雄に拘るんだ?』
「そりゃ、思い通りにならないからでしょ」
 視線だけを動かしてパソコンの文章を読むと、新羅が軽い調子で言い放った。セルティは、荒くキーボードを叩く。
『だったら放っておけばいい。死ぬような目にあってまで、ちょっかいをかけている意味が分からない』
「妙に絡むね。臨也が……いや、静雄か。そんなに心配?」
 新羅は上体を起こすと、訝しむようにセルティを見つめた。
『茶化すな』
 セルティは冷たくあしらった。新羅はやれやれといった様子で溜め息を吐くと、椅子に深く座り直した。天井を仰ぎながら、セルティの要望を叶えるために言葉を紡ぐ。
「俺の推論だけど、臨也はね、ずっと前からゲームをしてるんだよ。目ぼしい人物やグループに役目を決めて、裏から働きかけて、過程に介入して結果を楽しむ」
 新羅は珍しく真面目な顔で、何か考えるように顎に手を添えた。セルティは、無言で新羅の言葉を待つ。
「……臨也は本来、静雄にも何らかの役目を当てはめようとしてたんだと思う。でも、静雄は性格上、臨也の思い通りに動かない。それどころか、ゲームのパワーバランスを破壊してしまう。無視したくても、時に偶然、時に必然、静雄は臨也の邪魔をする。だから気に入らないし、フィールドから排除したい」
 新羅は、考えながら言葉を組み立てた。セルティが、憤慨したように言葉を打ち込む。
『なんて迷惑な奴だ』
 首の断面からたゆたっていた影が、不規則に乱れる。新羅は、セルティの言葉を受けて、困ったように笑った。
「迷惑。そう、確かに迷惑だ。でもね、セルティ。臨也はそれだけなんだよ」
『???』
 新羅の意味深な言葉に、セルティは無言で疑問符を並べる。
「例えば今回の件だと、ブルースクウェアだっけ? 幹部が何人か捕まって、ゴタゴタの末にチーム崩壊。静雄が一杯食わされたわけだから、当然臨也が噛んでるんだろうけど、確かあのチーム、薬の売買とかもやってたよね? 暴力沙汰は当たり前だろうし、自業自得じゃないかな? 関係ない人からしたら、カラーギャングが潰れて治安が良くなったって喜ぶかもしれない」
『それはそうだが』
 セルティはさらに続きを打とうとしたが、新羅が片手を上げてそれを制した。
「静雄だって同じだよ。静雄の暴力は日常茶飯事だ。それこそ、臨也に出会う前からね。確かに今回は冤罪だったわけだけど、元々いつしょっぴかれても不思議じゃ無い。むしろ、あんなに殺したい殺したいって喚いてるのに、結果はこれっぽち」
 セルティはじっと押し黙った。新羅は、困ったように笑ってセルティを見つめる。
「駄目だよ、セルティ。騙されちゃ。臨也が悪い奴なのは間違いないんだから。それに、時には手を滑らせることもある」
 新羅がおどけたように言うので、セルティは混乱する。
『結局お前は、何が言いたいんだ?』
 セルティは素直に疑問を浮かべた。新羅は、腕を組んで椅子を鳴らした。
「うーん。何かなぁ? ただね、セルティ。あいつの役には、正義のヒーローとか、お姫様とか、そういうのもあるんだ。それをあえて引き受ける人間もいる。あいつが場を引っ掻き回してるだけだって、分かった上でね」
 セルティが、理解できないとでも言うように首を振った。新羅は苦笑を返しながらも、言葉を続けた。
「で、話を静雄に戻すけど、臨也が静雄に求めた役ってさ、何だったんだろうね。今となってはどうしようもないけど、今と比べれば、もう少しマシな状況になったんじゃないかと、たまには思うよ。引き合わせた責任を感じないでもないしね。そりゃ、あいつの手の平で踊らされるのは癪だろうけどさ」
 セルティはしばらく考えてから、パソコンに文字を打ち出した。
『お前は何だ』
「何?」
『あいつのゲームで、お前は何の役なんだ? 闇医者で、いつ捕まってもおかしくないお前は』
 攻撃的なセルティの文面に、新羅は相反して穏やかな笑みを浮かべた。
「僕はあいつに、役を与えられたことは無いよ。ただの救急箱さ。皮肉なことに、静雄と臨也がいがみあっているうちは、僕は絶対に安全だ。必要だからね」
 セルティは、複雑な思いで新羅の言葉に耳を傾けた。新羅は、度々臨也との仲を「腐れ縁」と称する。そんな拙い関係を何年も保っているのなら、確かにそれは腐れ縁に他ならなかった。じっと押し黙るセルティに、新羅が苦笑を浮かべた。
「僕はあいつの手の平の上も、そんなに不快じゃないよ。分かっていれば臨也を恐れる理由は無いし、何より、君と一緒にいられれば、僕は何だっていいんだ」
 セルティは僅かに動揺し、体を強張らせた。新羅は悲しげに首を振ると、指を組み合わせて溜め息を吐いた。
「ただ、仮に、万が一、臨也が静雄を排除したとしたら、僕はお払い箱かもしれないね。そのための保身はしてきたつもりだけど、ちょっと想像したくないなぁ。あいつのゲームに、友人の役があればいいんだけど」
 どこか遠くを見据えるように語る新羅に、セルティは完全に言葉を失った。


作品名:お待ちかねの悪意 作家名:窓子