Linus's blanket
「うん。それでおかしいなって考えてるうちに、気がついたんだよね」
「何に?」
「僕、居眠りってしたことなかったんだ」
「……どういうこと?」
「えーと、つまり、学校とか電車とかバスとか──とにかくよく考えてみると、自分の家以外で寝たっていう記憶がなかったってこと」
それまでずっと端的に入れられていた合いの手が途切れたので佳主馬のほうを見やると、彼は細い眉を顰めたまま厳しい顔つきで健二を見つめていた。外で居眠りをしないのはむしろ良いことなので、話の飛躍を奇妙に思ったのかもしれない。自分でも、漠然とした予感がなければそういう方向へ考えは向かなかっただろうな、と苦笑して続ける。
「まあ、それでさ、居眠りできるか試してみようと思って、ある日丸一晩OZで遊んでそのまま学校に行ったんだ」
徹夜のおかげで眠気はMAX、登校途中もあくびはひっきりなしに出た。これなら眠れるんじゃないかと期待しながら教室へ向かい、席について鞄を置くなり机に突っ伏した。
「だけど、眠いのに全然眠れなくって、授業なんかもう聞いてられなくて上の空だし、四時間目になるとおなかもすいて気持ち悪くなって、結局保健室に強制送還されちゃったよ。その時にクラスの保健委員がついてきてくれたんだけど、保健室に行ったら先生がいなくてさ。とりあえず探してくるから寝てればって言われて、勝手にベッド使ったんだ。どうせ寝れないのにって思いながら」
けれども薄い上掛けをかけて横になったあと、すこんと意識が飛んでいた。寝ていたのだとわかったのは、ドアが開いた音に驚いて飛び起きたせいだ。
せかせかとした足取りでベッドまでやってきた養護教諭は、一目で健二を寝不足だと見抜き、昼休みが終わるまで寝ているよう言い置いて、クラスメイトを教室へ帰した。そしてしばらくカーテンの向こうでごそごそしたあと、健二に声をかけてからやりかけの用事を済ませるために保健室を出て行って──とたんにふたたび眠りに落ちた健二は、ドアが開け閉めされるたび自分が寝たり起きたりすることに気づいて、やっと理解した。どうやら自分は近くに他人の気配があると眠れなくなるらしいということを。
「どんだけ神経質なの」
「ですよねー」
佳主馬が呆れた調子で言うのに健二は苦笑した。実際、自分でも気づいた時には茫然としたものだった。起きている間はまったくそういうストレスを感じた覚えがないだけに、どうしてなのかもわからなくて。
「それっていつから?」
「さぁ……小学校に入る前はふつうに保育園で昼寝とかしてたと思うんだけど」
少なくとも、昼寝をしなかったといって叱られた記憶はない。むしろ、よく言うことを聞き、ほとんどぐずりもせずにひとりで静かに遊ぶ、手のかからない良い子だと褒められていたような。
「僕、一人っ子でしょ。早いうちからひとりで寝るのに慣れちゃってたせいなのかなって」
だから、いまのところはまだ自分と同じく一人っ子である佳主馬にさっき訊ねてみたのだ。あまりにもあっさりと否定されてしまったが。
そもそも佳主馬と自分は全然タイプが違うのだし、比べること自体あまり意味がなかったのかもしれない。ひそかに反省しながらそろりと隣を窺うと、佳主馬はいつのまにかあらわになっていた両目で、じっと健二を見据えている。
「それで、なんで佐久間さんのおかげで治ったの?」
「え? 佐久間?」
佳主馬の口から急に飛び出してきた友人の名前に、違うことを考えていた健二はぱちぱちと瞬いた。それから数秒後に自分が言ったのだと思い出し、あぁ、と息をこぼして笑う。
「佐久間とはさ、高校で一緒になったんだけど。お互い結構なパソコンオタクっていうか、OZにハマってるのがわかって、それで打ち解けてふたりして物理部に入ったんだよね」
入学式の日に声をかけてきたのは、出席番号が一番違いだったせいで真後ろに座った佐久間のほうからだ。お互いほかにクラスに親しい生徒が見当たらなかったこともあり、それをきっかけになんとなく一緒につるむようになって、新入生向けの様々なオリエンテーションが終わる頃には意気投合。彼の主導で物理部にも入った。
それからすぐに彼がグラフィックを扱うプログラムが得意なことを知り、作品を見せてもらうことになった。しかし部の備品のパソコンはほとんど毎日特定の先輩が占有している状態で、新入部員の自分達は滅多に使えない。だからある日授業が終わるとふたりして部活を休み、学校から佐久間の家へ直行した。健二が一度家に帰らなかったのは、佐久間の家が学校を挟んで自分の家とは逆方面にあったことと、それほど長居をするつもりがなかったからだ。
だが、とてもじゃないが中学生の素人が創ったとは思えないような作品を見せられ、夢中になってあれこれ話し込んでいるうちに、すっかり時間のことなど忘れてしまった。佐久間の腹の虫が鳴って気づいてみれば、窓の外はもう真っ暗で。
(げっ、もうこんな時間かよ)
驚く佐久間の声に慌てて時計を見れば、あと三十分もすれば日付が変わろうかという時刻だった。
(ヤバいって。もうバスないぞ)
(え、)
折りたたみの丸椅子から腰を浮かすと、がりがりと髪を掻き毟った佐久間は数拍考えて、くるりと健二を振り返った。
(……しょうがないなー。おまえ、今日はもう泊まってけよ)
(へっ?)
(ちょっと親に言ってくるわ)
(ちょっ、佐久間っ)
まったく思いがけない申し出に、健二は中腰のままで声をひっくり返らせた。しかしすでに佐久間は姿を消している。しばらくして戻ってきた時には、両手で食べ物の載った盆を支えていて、開けてくれと声をかけられ、とりあえずドアを支えて佐久間を中へ通した健二は、狼狽しながら口にした。
(ねぇ……あのさ、僕帰るよ)
もの心ついてから友達の家に泊まったことなどない健二の頭の中は、すっかり混乱していた。逆に佐久間のほうは落ち着いていて、ずっしりと重みのある盆を健二に押し付けると、部屋の隅から小さなテーブルを引っ張り出し、部屋の真ん中へ据えている。
(ん? やー、なんかうち、今日は親父いないらしいんだわ。車出せないし、送ってけないから親も泊まってけって言ってんだけど、なに? おまえんち、そういうのうるさい?の)
(え? や、どうだろ。わかんない……けど)
(わかんないって、なんだよそれ)
口ごもると一瞬怪訝そうな顔をしたものの、すぐに気を取り直して手を伸ばしてくる。
(まあいいわ。とりあえず連絡入れろよ。んで、それ貸して)
(うん。じゃなくて、ねぇっ)
(あ、そうだ。教科書取りに帰るんなら朝早く出ないとなんないんだけど、ロッカーに置いてたっけ?)
(置いてるけど)
(オッケー。じゃあ着替えは俺のでいいよな)
(いいよなって、)
いちいち律儀に答えてしまう自分もどうかと思うが、さくさくとひとりで話を進めていく佐久間も佐久間だ。戸惑っている健二の意向など完全に無視で、受け取った盆の上の皿をてきぱきとテーブルに移して、そこに座るよう目顔で示した。
(とりあえず晩飯食おうぜ。そんで、食ったら風呂)
(佐久間ってば)
作品名:Linus's blanket 作家名:にけ/かさね