ERROR DETECTION
シチューを作るという灰原に下拵えを手伝わされたオレは、三十分ほどで役目から解放されて、ようやく読書に没頭することを赦された。
最初に選んだ本のトリックは、どうもいまひとつ手応えがなくて、野菜を煮込む間にさらさらと読み終えたオレは親父に向かって悪態をついた。
「ミステリー作家の端くれなら、もっと送ってくる本をえらべっての」
それを聞き咎めたらしい阿笠博士は朗らかな笑い声をあげ、珍しく灰原も口許を緩めている。
「…ンだよ?」
「あなた、読みながら文句言ってたわよ」
英語で、と最後につけ足され、本にハマり込んでいたことを指摘されたオレは頬に血を上らせた。
「いいだろ。放っとけよ」
だけど英語に堪能なふたりは、オレが何か文句を言うたびに吹き出すのをこらえるのが大変だったと揶揄ってくる。
気恥ずかしくて、腹を立てているふりでリベンジのもう一冊を選んでいたら、博士のパソコンの前に座った灰原が、かるくオレを差し招いた。
「工藤くん」
「何だよ」
「これでも参考にしたら」
言葉に気を惹かれて寄っていってみると、画面には海外の書評サイトが映し出されていた。
「本を読みながらブツブツ言われるのって、結構不気味だもの」
「悪かったよ!」
こういうことを言うから、こいつの行動が嫌味なのか好意なのか、いまいちわからなくなるんだ。
だけど実際にこれを参考にすれば、スカを引く確率は低くなるだろうし、だからオレは勝手に灰原の好意だと解釈することにして、ありがとうよ、と礼を言って画面を覗き込んだ。
「気がすんだら言ってね。食事にするから」
「おう」
言いながら灰原は立ち上がり、場所を譲ってくれる。どうやら夕食の支度をしに行くらしい。
入れ替わりで空いた椅子に座ったオレは、表示されていたサイトに投票ランキングがあるのに気づいて、そこをチェックすることにした。できれば先入観なしで読みたかったので、仕入れる情報は口コミ程度に押さえておきたかったからだ。
オレはランキング上位になっていたタイトルのあらすじと、何人かが書いていたレビューにざっと目を通して、いくつかに目星をつけた。
これまでの例からいって、絶対にこのうちの何冊かは親父が送ってきた中にあるはずだから、あるものを読めば良いと思ったんだ。職業柄なのか、親父はいつも流行りどころは押さえてたし、あれで結構ミーハーだったりするからな。
そうして実際に本の山を崩してみると、あっさりと三冊ほど見覚えた書名が見つかった。このうちのどれを読むかはまたあとで決めることにして、オレは博士と灰原が待つダイニングに顔を出すことにした。あんまり待たせても悪い。
「もういいの?」
気配に気づいた灰原が、温めたパンを籠に盛っていた手を止めて振り返り、面白がっている様子で片方だけ眉を上げた。
「ああ。──博士? 何熱心に見てんだ?」
言われるまえに皿を運ぶくらいの手伝いはしようと灰原のほうへ行きかけたオレは、けれどもふと、黙ったまま博士が食い入るようにテレビを見ているのに気づいて、そっちに訊ねた。
「面白い番組でもやってんのか?」
「ほれ、アレじゃよ。怪盗キッドの、」
「……ああ! そういや今日が予告日だっけ?」
得心がいってポンと手を打つと、なぜか博士はほんのすこしばかり非難がましい目でオレを見た。
「なんじゃ。新一は興味がないのか」
「いや、予告状の暗号が新聞に載っただろ? それ解いたらもうどうでも良くなったんだよなー」
怪盗キッドというのは、正式には怪盗1412号という、世界中のあちこちで盗みを働き、世間を騒がせている国際手配中の泥棒のことだ。
レトロにも、あらかじめ暗号にした犯行予告状を関係者に送り、警察の厳戒態勢も堅固な金庫も何のその、奇術まがいの手練手管で突破して、顔だけでなく声や性格まで完璧に模写する変態──もとい、変装の名人。
実際、オレもヤツが蘭と白鳥刑事に化けたところを目の前で拝んだことがあるけど、あれは、頭から疑ってかからずに見破るのは至難の業だと思ったな、うん。
とにかく本人は気障でやることが派手で、義賊ではないけど、生臭いこともしないから、英雄のように扱われている節がある。実際、予告が出るとマスコミも大喜びで特別番組を作ったりしてるし。
博士が観ていたのもそのうちのひとつ、大手民放のもので、ブラウン管の中では夕方のニュース番組でお馴染みの女性キャスターが、かの泥棒の犯罪歴をボードにまとめたものを真面目な表情で解説していた。
そのうち画面が変わって、今回の予告状が大写しになるのを見て、オレはポリポリと頬を掻く。
いやでも、なんつーか手抜きだろ、ありゃ。
警察の解読能力を軽んじているのか、それともやる気がないのか。オレが知る限り──おっちゃんのところにひそかに持ち込まれたり、新聞で公開されたりした最近の暗号は、どれもこれも簡単で、正直なところ面白くなかった。
そう言うと、博士はがっかりしたような顔をした。
「新一は対決したこともあるのにのぅ」
「いやだから、もともと窃盗ってのはオレの管轄外だし。それに担当警部がよそ者の介入を嫌ってるとかで、よっぽど大きな事件じゃねぇとおっちゃんも現場どころか所轄にも呼ばれねーんだよ」
テレビでは、今回のヤツの獲物についての説明が始まっていた。どこぞやの会社の社長令嬢が持ってる指輪なんだとか。婚約指輪として贈られたものが珍しいルビーだとか何とか──蘭から聞いた通りの内容が繰り返されている。
といっても、オレは蘭が新聞を見ながらおっちゃんに説明するのを横で聞いてただけだから、はっきり覚えてないんだけど。何にしても、今回はオレの出番はまったくなさそうだったので、細かい部分は聞いた端から右から左へと抜けてしまっていた。
「だけど、あなたの正体を知ってるんでしょ? その泥棒さんは」
「ああ」
湯気の立つ皿を両手で運んできた灰原が口を挟むのにオレはうなづいた。
「オレの格好して事務所まで来やがったからな」
園子の親父さん──鈴木財閥の会長が持っていたインペリアル・イースターエッグの秘密があらわにされたその夜、ヤツはご丁寧にオレに化けて、わざわざ毛利探偵事務所までご足労下さった。そして、江戸川コナンの正体を疑っていた蘭に会って帰ったのだ。──工藤新一として。
結果、オレの秘密は守られ、ヤツはオレにひとつ大きな貸しを作った。
借りがあるとは思いたくもないが、オレのふりをしたことがヤツの鳩を助けた礼だというなら、今なお沈黙を守っているのがどういうつもりなのかわからない。
「新一の秘密を知って、キッドはどうするつもりなんじゃろうな」
まさしくいまオレが考えたのと同じことを、博士が言って気がかりそうに眉をひそめた。
「さあな」
オレはかるく肩をすくめた。正直、オレだって知りたかった。まぁ、他人の秘密をベラベラと喋って歩くのはヤツのスタイルではなさそうだし、もしかすると恩を売っておこうと考えたのかもしれないが。江戸川コナンにはともかく工藤新一──高校生探偵のオレになら、多少の利用価値はあるかもしれない。
「気になるわね」
作品名:ERROR DETECTION 作家名:にけ/かさね