ERROR DETECTION
そりゃあ、まるっきり可能性がないとは思ってなかったよ。割合でいうなら、一パーセントぐらいは疑ってみたりもしてた。
でも、まさかって気持ちのほうが強くて、臭いものには蓋っていうか、オレの頭は勝手に最初っから考えてないふりをしたんだ。
だって、ありえねぇっていうか、こっちの現実のほうがおかしいって。
今日の怪盗キッドの犯行予告時間は八時二十七分。
どうしてそんな半端な時間なのかは、多分雑に暗号を作ってあとから時間を合わせたというのが本当のところじゃないかとオレは睨んでるんだけど。
ともかく、オレが博士の家を出てきたのが、大体八時半だったから、予告通りに犯行を成功させれば確かにタイミングは合うけども。
「なにしてんだよ、こんなとこで」
そりゃこっちの台詞だ。
不躾にも、人が閉めようとしてたカーテンを勝手に外から全開にして、そのうえ人の家の出窓部分に土足のまま足を突っ込んできた不作法野郎は、ついさっきまで空を飛んでたとは思えないくらい平然とした顔でオレに話しかけてきた。
「自分の家にいて悪いかよ」
……っていうか、不法侵入してんのはおまえだし。
「ああ、そうか。ここっておまえん家だっけ」
憮然と返したオレに得心がいったようにうなづいてみせたヤツは、しかし次にはまた首を傾げていた。
「でも、いまはあの可愛い幼なじみのところに居候してるんじゃなかったっけ? 追い出されたのか?」
「だーれが追い出されたんだよ。それに、居候って言うな! 同居だ、同居!」
蘭もおっちゃんもこんないたいけな子供を追い出すような鬼じゃないし、何よりオレはあの家にただで置いてもらってるわけじゃない。両親がちゃんと養育費を渡してる──っていってもこいつは知らないし、関係ないけど。
「ふうん。ま、どっちでもいいけど」
そうやって喋ってる間にも窓枠に座ったキッドは、器用にバランスを取りながら、背中のグライダーを外していった。
飛ぶ時には手間要らずでも、降りる時には手がかかるらしい。詳しく構造を見たかったが、さすがに頼んでも見せてくれないだろうと思って(その前に頼むのが嫌だった)、オレはそれを遠目に眺めるだけで我慢することにした。
──じゃなくて。
「そういうお前こそこんなとこで油を売ってて良いのかよ。お宝持って逃走中なんだろ?」
「お、ニュース聞いてた?」
呆れるほど自己顕示欲が高いやつだな。
犯行前のゴールデンタイムには特集番組、その後場合によっては現場から、犯行が中継されることもある。そして犯行後には夜のニュース番組でたっぷりと顛末が報道される──そんなフルコースを期待してるようじゃ、本当にただの愉快犯だ。段々オレにも疑わしく思えてきたぜ、泥棒さんよ。
だから、オレはキッドが片頬を歪めるようにして笑うのに、鼻を鳴らして冷たく返してやった。
「バーカ。誰がそんな暇なマネするかよ。この時間にこんなとこをその
だけどキッドはとくに感じるところもなかったようで、背中のマントをキザったらしく着け直しながら、面白がるようにオレを見た。
「オレがしくじったとは思わないんだ?」
月明かりだけでも、これだけ近い距離なら、どうにか表情くらいは判別できる。
あくまで公平に、客観的にみて、善悪すらも省いてオレは答えた。
「中森警部よりおまえのほうが上手だろ」
「認めてくれるんだ」
キッドが笑った。
それは、光彦や源太や歩美が、褒められた時に見せる表情にどこか似ていたかもしれない。なるほどキッドとはよく言ったもんだ。
オレも余裕を見せて腕を組んで笑い返してやった。
ああ、認めてやるさ。そのことは。
でもな。
「オレと勝負したらオレが勝つけどな」
過去数回の勝負では、オレがヤツに獲物を渡さないかわりに捕り逃すという結果で終わっているので痛み分けということになっている。けれどもオリンピック競技のようにきちんと勝敗をつければ、これもあくまで客観的な見地からいって、きっとオレが判定勝ちになるはずだった。
そのことはキッドも思っていたのか、ここでヤツがちょっと表情を変えた。
悔しそうだというのが一番近いかもしれない。
──絶対まだこいつは若いな。この瞬間、オレは直感的にそう確信した。
そして、のほほんと和んでいたのが場違いだったことを思い知らされたのも同時で。
「でも、名探偵にはオレを捕まえられない」
そのひと言で、オレとヤツとの関係がくっきりと浮かび上がった気がした。要するに、はっきりと敵対しているわけではないが、共生できる間柄でもないってことだ。
だけど、腹立たしいことこの上ないが、キッドの言う通り、オレはいまはまだヤツを警察に突き出すわけにはいかない。オレの秘密をどういうつもりで握ったままでいるのかはっきりさせるまで、警察に捕まってもらっては困ると言い換えても良いだろう。
「──盗んだ宝石はどうした?」
だから、せめて自分の立場に相応しい質問をしたオレに、キッドは肩をすくめてさらりと答えた。
「いまは持ってない」
「どこに隠した?」
「三日後の新聞をお楽しみに──ってとこだな」
頬に手を添えて語尾を楽しげに弾ませたヤツに、オレはげんなりと顔をしかめた。
どうやらまた下らないイタズラを考えたらしい。
「……そうかよ。じゃあオレはもうおまえに用はない。さっさと出て行ってもらおうか」
反射的に三日後に、こいつがどこにどんな方法を使って、盗んだ宝石を出現させるつもりなのかオレは考えそうになってしまったが──そこをぐっ、と理性でこらえて、犬を追い払うしぐさでシッシ、と手首から先を振った。
「つれないな」
「泥棒はオレの趣味じゃねーんだよ」
バカなことを言って苦笑するヤツに、自分の管轄は殺人だと言外で言い切って、オレは右手でカーテンの布地を掴んだ。本気で捕まえたくなる前に退散してもらわないと、窃盗犯は管轄外だといっても、犯罪者という括りでは十分にストライクゾーンなんだからこっちのほうが困るんだ。
そんな気持ちが伝わったのか、オレが顔をしかめていると、キッドは口許に苦笑を乗せたまま、ふっと両手を動かして窓枠の上下を掴む。
「じゃあ、名残惜しいけど、帰りますか」
……オレにおべっか使ってどうするよ。
まったく本当に何をしに来たんだか。さも残念そうな口振りでほざいたキッドは、窓枠から腰を浮かし、オレはますます表情を歪めた。
本気でそこを飛んでて偶然オレを見つけて話をしに寄っただけだっていうなら、おまえが一番暇人なんじゃねーか。
悠々トンズラするところを、とてもじゃないが見送ってやりたいとは思えなくて、オレは内心で忌々しく毒づきながらいささか乱暴にカーテンを引いた。 そのたった布一枚のあるなしで、ヤツの姿はオレの視界から消える。
月明かりもなくなった部屋はほとんど闇に包まれていたし、目をつぶっていなくてもキッドだけでなく何も見えない。
作品名:ERROR DETECTION 作家名:にけ/かさね