ERROR DETECTION
夜のせいなのか、ごくかすかにではあったけれど、表の門が開かれる軋むような音が聞こえた。
それからざりざりと土を踏む音が近づいてきて、最後にひそめた声が耳に届く。
「──新一?」
「博士、こっちこっち」
南天の影から顔を出したオレは、ライトを握った手を振って、オレを探してあたりをキョロキョロ見回していた博士に合図を送った。
「おお、そこか」
ほっとした表情でころころ駆けてくる博士の後ろには、灰原の不機嫌そうな顔も覗いている。
「……それで、世にも珍しいものはどこにあるのかしら?」
詰問する声の温度は氷点下のごとく低い。どうやらあの冗談は通じなかったようだ。
オレが苦笑していると、博士がまあまあ、と灰原を宥めながら、しかし、と不安そうにオレを見下ろした。
「本当にどうしたんじゃ、新一。急にこんなところに呼び出して。見たところ怪我はなさそうじゃが、救急箱が要るというのは──?」
「や、怪我人はオレじゃないんだ」
そう言ってオレはふたりにきちんと説明しようとしたが、いざ話そうとしたら何からどう言えば良いのかわからなくなって黙り込んでしまった。結局、ちょっと乱暴な方法だとは思ったけど、いっそ実物を見せるのが一番の近道だからと、胡乱そうな顔をしているふたりを狭いこちら側へ手招く。
「とりあえずこっち来てくれよ」
博士は窮屈そうに、灰原は無表情に、オレのほうへとやってきた。
「でさ、悪ィんだけど、ちょっとこいつを見てやってくれよ」
「え……?」
さすがにまさかこの場にオレ以外の人が居るとは思っていなかったらしく、オレの横に並んだ灰原は、一瞬だがきょとんとした。それから黙ってオレが指差した方向へ視線をやって、絶句すること数秒──いや、正確には息を呑んでたっていうか。
「……どういうことなの、これ」
「いやだから、世にも珍しい……」
「ふざけないで」
……やっぱりこのジョークは不発だったか。
「しーっ!」
わずかに語気を荒くした灰原にキッと睨まれ、気圧されながらもオレは慌てて自分の口唇の前で指を立てた。なのにその一拍あと、今度はやっとのことで灌木の隙間を抜けてきた博士が、灰原よりもっと大声を出したもんだから台無しだ。
「新一! これはもしや怪盗キ──」
「博士! しーっ!!」
灰原が、上着がわりに羽織ってきたのだろう博士の白衣の裾を引き、オレは精一杯伸び上がって両手で博士の口を塞いだ。それで我に返った博士は自分の両手で口を押さえ、バツの悪そうな表情をする。
……いや博士、気持ちはよくわかるから。
そのまましばらく三人とも息をひそめていたが、幸いにもどこかで騒ぎが起きる気配はなかったので、オレはほっと息をついて博士から手を離した。
「すまん。びっくりしての。いやしかし、どうしてキッドがこんなところに……」
それは当然の疑問だった。オレ自身、何でって訊かれたら、どう答えれば良いのか困るしよ。しかもそいつが脳震盪起こして気絶までしてるなんてさ。
だけど説明できるのはオレしかいないわけだし。
オレは、自分でもまったくもって嘘くさく聞こえると思いながら、とりあえずキッドがいきなり現れたところからついうっかり屋根から突き落として、気絶させてしまったところまでを簡単に説明した。
ふたりの反応はといえば、博士はずっと口を開けてたし、灰原は黙りこくってキッドを睨んでいた。
そしてオレが話し終えると同時にキッドの側に膝をつき、博士に手元を懐中電灯で照らすように頼む。
「さっきざっとは見たんけどさ、目立つほどの外傷はなさそうだった」
「頭は?」
「わかんねー。だからおまえに来てもらったんだ」
「私は薬学の勉強はしたけど、医者じゃないのよ」
「だから悪いって──」
そんなことを話しながらも、灰原はキッドの後頭部から側頭部にかけてを検分していく。
「……どうやら強く打ってるわね。ここ、大きな瘤になってるわ。出血はしてないようだけど」
「どこ?」
灰原が見つけた瘤は後頭部にあった。教えられた箇所を手を伸ばしてそっと触ってみると、本当にかなり腫れているのがわかる。
ということは、ヤツは後ろ向きに落ちたってことで──いやでも、この角度で倒れてるなら壁にぶつけたっていう可能性もあるな。
習性で、ついそんな検証していたら、動かさずに触れる範囲を確認した灰原に、工藤くん、と冷ややかに呼ばれた。
「手伝ってちょうだい。私ひとりじゃ動かせないわ」
灰原は、今度はキッドをひっくり返して前側も確認しようとしているらしかった。確かに気絶した男を女の子ひとりの力で自由にするのは難しいだろう。オレはあわててキッドの肩からマントを外している灰原の作業を手伝った。
「頭は外から見ただけじゃなんとも言えないから、ちゃんとした設備のある病院に運んだほうが良いと思うんだけど」
「……いやでも、いろいろ難しいだろ、それ」
「そうね」
さらっと言うところが食えねぇ。もしかすると、さっきの冗談のお返しかとも思いながら、オレたちは力をあわせてよいしょ、とキッドを仰向けに転がす。そうしてもヤツはやっぱり目を覚まさなかった。
そのかわりキッドの頭を支えていた灰原が、奇妙に抑揚のない声でオレを呼んだ。
「……工藤くん」
「ん?」
灰原のほうを見て、それで、そういえばキッドの素顔を確かめる絶好の
そして、ひどく不思議なデジャヴュを覚えて困惑したのだった。
気のせいでなければそれは、オレにとっても、ものすごーく見覚えのあるもののような気がする。
「こりゃあ……」
自分の照らした光の中に浮かんだ顔に博士も度肝を抜かれたように呟いた。それを合図にさっきまでの慎重な手つきなどどこへやら、灰原は、いきなりキッドの顔をぎゅっと抓った。どうやらこれが素顔かどうか確認しているらしい。
やがて、息を呑んで見守っていたオレと博士の前に、鼻、両頬、顎、と触れるところすべてたっぷりと抓りまくった灰原の審判が告げられた。
「これ、自前みたいね。思ったより若いわね」
「真っ先に年の話かよ……」
思わずオレはその場にへたりこみそうになった。灰原の正確な年齢は不明だが、女としては年が一番気になるもんなのかねぇ? いやべつに良いけどよ。
ともかく、よく見れば微妙に差異はありそうだが、こうして灰原の手の中でおとなしく目を閉じていると十七歳のオレ──工藤新一にしか見えない顔が、キッドの素顔ということでファイナルアンサー?
「なんとまぁ、」
博士はそれしか言葉が出ないらしく絶句していた。オレもまったく同じ状態だった。神様の茶目っ気にしたってとんでもない話だ。
「……どうするの?」
「どうするったって──」
正直、いまそんなことをオレに訊かれても答えられるかっつーの。とりあえず、いつまでもここに寝かしておくわけにはいかないし、ほかに怪我はないのか確かめなきゃならないし、やることはなんだかんだとありそうなんだけど。
「じゃあ、とりあえず隣に連れて行きましょうか。詳しい話は本人が気がついてからじっくり聞けばいいでしょ」
「……ああ」
作品名:ERROR DETECTION 作家名:にけ/かさね