コイゴコロ
ぐるぐると頭の中を様々な思考が駆け巡り、その夜もなかなか寝付けなかった。
しかし、昨晩のように出歩いてまた誰かの秘密の話を聞いてしまったらと思うと、部屋の外に出ることもできず、ティナは永遠とベットの中で考えた。
自分の感情についてこんなにいっぱい考えることなんて今までなかったかもしれない。
操られていたせいなのか、幻獣と人間のハーフだからなのか、ティナはもともと感情の起伏が激しくなかった。
感情の波に浚われそうになりながら、ティナは必死に岸にしがみ付いた。
自分はどうしてしまったのだろう。
ふと、気がつくとティナは海の中にいた。
うねる様な波に浚われないよう必死に反りたった崖から出っ張ったわずかな岩を掴んで必死にすがり付いていた…。
「…ナ、ティナ」
名前を遠くから呼ばれた気がして、はっと身体を起すと、リルムの顔があった。
そこではじめて、いつの間にか夢の世界にいたのだと気がついて、ティナは周りを見渡した。
「大丈夫?起きられる?」
「…わたし」
なんだか身体がひどく重たかった。
頭もぽーっとするし、クラクラする。
「熱があるのよ、大丈夫?」
そういって、不安定に揺れているティナの身体をリルムが支えてくれた。
「あり…がとう」
お礼を言う声もいがらっぽい。
「起きたんだ、よかった。昨日そんな薄着で甲板に長時間いるから…無茶しちゃだめじゃない」
今度は、セリスが美味しそうな湯気のたっているリゾットを持って部屋に入ってきた。
声は少し怒っているようだが、それもティナを心配してのことだと分かる。
「…ごめんなさい」
「怒っているわけじゃないんだ。ただ、ティナは昨日の朝からなんだか変だから…。何か悩みでもあるんじゃない?」
「……」
“悩み”とはつまり、セリスのことであり、マッシュのことだ。
「あ!」
「…?!どうしたの」
突然思い出したように声をあげたティナに二人はびっくりして、ティナを見つめる。
「私、マッシュと約束してたの。今日朝からトレーニングしようって…。どうしよう、今何時かしら。朝早く起きられるって言ったのに…、約束を破ってしまった。怒っているかしら」
ベットから降りようとするティナをリゾットを机に置いたセリスが制す。
「落ち着いて、ティナ。貴女が熱を出して寝てること皆知ってるから大丈夫だ。もちろん、マッシュも」
「そうだよ、ティナ。このリゾットだってマッシュがティナの為に作ったんだし」
「え…?」
美味しそうな目の前のミルクリゾットをマッシュが作ったのだろうか。
他でもない、自分のために。
そう思うと、ティナの心は温かくなった。
大きくて優しい光に包まれているように。
「マッシュが…私のために…」
「うん、意外だよね。自炊してたって言っても、こんなに上手なんて。紅茶とか好きだし図体に似合わず結構オシャレな趣味だよね」
と、リルムがリゾットと一緒にトレイにあった紅茶のビンの蓋を開けて手で香りを煽る。
「あ、いい香り。レモンティーだって。咽にいいからって。これもマッシュのお勧めだよ」
「ありがとう…私、私」
リゾットを受けとったティナの瞳からぽろりと涙が溢れた。
嬉しくて、苦しくて、なんだか分からないうちに、ぽろぽろと零れ出る。
一度流してしまったらもう止まらない。
ぽろぽろと静かに涙を流すティナに驚いた二人だったが、ティナの涙がとまるまで、じっと待ってくれた。
セリスがティナの背中をゆっくり優しくさすってくれる。
その手は温かくて、ティナの心に落ち着きを取り戻させた。
「ねえティナ。一体何が貴女をそんなに悩ませてるのか教えてくれないか。人に話すことで少しは楽になるかもしれない」
優しいセリスの声にティナは昨日のエドガーの言葉を思い出していた。
確か、同じようなことを言われた。
でも、自分の悩みを今セリスに言ってもいいのか、ティナには分からなかった。
悩みを話すということはつまり、立ち聞きしていたということ話すということだ。
「…ごめんなさいセリス、リルム。私…」
「ん?」
言いよどんだティナにセリスが優しく応えてくれる。
それに後押しされるように、ティナはゆっくりとあの夜のことを話し出した。
「ごめんなさい、私、一昨日の夜、2人の話を聞いてしまったの…」
「一昨日の夜?…ああ空調の調子がおかしくて寝苦しかった日ね。…!ティナ、あの時聞いていたのか!」
「ええ、聞くつもりはなかったの。でも、声が耳に入ってしまって…、ごめんなさい」
リルムとセリスは謝るティナを見て顔を見合わせた。
そして、少々大げさにしまったというように額に手をやって見せた。
「ごめんなさい、謝るのは私の方だ、ティナ。私たちの余計な噂話が貴女を悩ませていたのね」
「違うの、私が勝手に聞いて、悩んでしまったの、ごめんなさい。吃驚しただけだから…セリスがマッシュのこと好きだなんて知らなかったから…」
「え?」
そこまでして、ようやくセリスは思い立ったように、リルムを見た。
すると、リルムも吃驚したようにセリスを振り向いた。
そして2人は勢いよく立ち上がってティナをベット際に追い詰めた。
「ティナ!貴女私がマッシュのことが好きだと思ったの?」
「それで悩んでたの?!」
詰め寄る2人にティナは戸惑いがちに恐る恐る頷いた。
妙に興奮している2人に、何か悪いことを言ったのだろうかと不安になる。
「違うんだティナ。私はもちろんマッシュのことは好きだ。おおらかで優しい頼りになる大切な仲間だと思ってる」
セリスの言葉は何故かティナの胸をツキンと刺す。
胸が苦しい。
「だから…セリスはマッシュのことが好きなんでしょう?結婚…するの…?」
「違う、ティナ。私は確かにマッシュのことが好きだけど、ティナもリルムもエドガーも…ロックも。みんな好き大切なんだ」
「?」
「家族愛というのかな、大切な仲間だけど“恋”じゃないの。だから結婚はしない」
すっと胸に突き刺さっていた何かが抜ける気がした。
同時に力が抜けて、壁に凭れ掛ってしまった。
セリスはマッシュに恋してない…?
結婚しない…?
「ほっとした?ティナ」
何故か嬉しそうに微笑んでいるリルムが力が抜けて俯いているティナを下から覗き込むようにして聞いてくる。
ほっ、とした?
自問自答する。
「ほっ…とした、と思う」
「それが何故か分かる?」
きっと、ほっ、としたのだと思う。
その証拠にさっきまで入っていた力は抜け、何かの病気かと思うような胸の苦しさはどこかへ行ってしまった。
でも、それが何故なのか分からない。
「いいえ、分からないわ。何故かしら、でも、とても気が楽になったの」
「ティナは安心したのよ。セリスがマッシュに恋してないって分かったから。結婚しないって分かったから」
マッシュは結婚しない。目の前からいなくならない。
ティナはその事実にとても安心したのだ。
それは何故か。
あの力強く大きな男の手で頭を撫ぜられたら、くすぐったくなる様に嬉しいのは何故。
あの青い、エドガーによく似ているけどぜんぜん違う瞳で見つめられると鼓動が早くなるのは何故。
あの優しい声で名前を呼ばれると、心が温かくなるのは何故。