はじまりは 驚愕と困惑と
勝真は絶賛不機嫌真っ最中であった。
ずんずんずんと足取りも荒々しく、道行く人たちが何事かと目を向けてくるのがまたうざいったらありゃしない。
ええい、ジロジロ見てんじゃねぇ!
ギロッ!と視線を走らせると、目が合った人々はひゃあと肩を竦め、そそくさとその場を立ち去っていく。
「……」
こんなのは、八つ当たりだ。
勝真は自分が情けなくなって、はあ、と肩の力を抜いた。
歩調を落とし、往来にまぎれるように歩き出すと人々の視線も感じなくなる。
ざわざわといつもの様相を取り戻した大通りを足の向くままに通り過ぎながら、勝真は先程の一件に思いを馳せた。
ぱしん!と軽く、だが鋭く響いたあの音と衝撃。
「……」
触ってみようなんて、考えるんじゃなかった。
いや、確かに温度なんて触ってみなければわからないのだけれど。
しかし自分に触れられれば頼忠が腹を立てることくらい予想はついただろうに。
(…いや、でもあんなふうに振り払うことはないよな…!)
ムッカーと怒りがわいてきて、勝真はぐぐぐっと拳を握った。
武士と(下級とはいえ)貴族だということを差し引いても、あれはハッキリ失礼な振る舞いだ。
いい大人なのだから我慢したっていいわけだし、そうだそもそもたかが触るくらいで!
別に自分が触ったくらいで振り払わなくてもいいではないか。
もし逆に自分が頼忠に手をのばされたのだとしたら、自分なら――
……。
(…自分なら?)
ぴたりと足が止まる。
すれ違う人々が道のど真ん中で立ち尽くしている勝真を邪魔そうに見ていくけれど、そんなこと気にもならなかった。
何だ?
今何か、言いようのない何かを捕まえかけたのに。
それは勝真の胸におさまることなく、続けるつもりだった言葉ごと何処かへ飛んでいってしまった。
「……。」
あー、と幾ばくかの脱力を感じながら頭を抱えた。
今、何を考えていたのだったか?
(あーそうだ、あの男のことだ…!)
エネルギーが戻ってきて、勝真は再び歩き始める。
とにかく失礼な男だった。あれは頼忠が悪かった!
俺は別に悪くない。
(最初っからヤな奴だと思ってたんだ、俺は!)
あんな奴と「八葉」だなんて、やっぱり花梨の勘違いなんじゃないのか?
気がついたら橋の上を歩いていたので、何となくそこから小川を見下ろしてみた。
今日は風が強いせいか、いつもより若干流れが速いようだ。
(…ガキどもが滑って転ばなきゃいいけどな)
間もなく夕日も沈む。
暗くなれば何かと事件も起こりやすいだろう。
仕事上のクセでそんなことを考えながら、欄干に肘をついてもたれかかる。
だけど――
ほんのすこしだけ触れた頼忠の肌は、確かに花梨の言ったとおり冷たく、まるで川底の小石みたいだった。
人の体温なんて、今まで気にしたこともなかった。
どうせみんな同じくらいなのだと思っていたし、正直あんなにひんやりしているとは思っていなかった。
(…まああいつらしいといえばあいつらしいような…)
頼忠にはどこか、熱の通っていないようなところがある気がする。
それはたとえば泰継とか、翡翠にも似たようなものを感じるのではあるが。
…それは、なんだか…。
「……、」
ハッ、と我に返る。
(…て、何でまた頼忠のことなんか考えてんだ俺は!)
考えたってどうもこうも、理解できるわけでもなければ和解できるわけでもない。
(和解なんてしたいとも思わないがな!)
勝真はフン!と鼻を鳴らし、頬杖をついた。
と、その時。
わああん、わああん、と幼い泣き声が耳に入った。
「子供…!?」
急いで周囲に遠くまで目を凝らすと、小川の向こう、川辺に数人の子供の姿が見える。
(誰か流されたのか!?)
勝真は橋の下を見下ろす。
流れが速いといっても大人であれば流されるほどではないが。
幼い子供たちならばこれくらいの川でも足を取られて溺れ死んだ事件を何度も見聞きした。
「…!」
チッ、と舌打ちすると、勝真は一旦橋を戻って川辺へと駆け下りた。
「おい、どうした!」
子供たちに駆け寄っていくうち、どうやら誰かが溺れたようではないということが伺えた。
最初は4・5人ほどいた子供たちが、勝真が声を掛けると1人を残してワッと散らばっていく。
残されたのは、幼い少女だ。
「…どうした」
両手で顔を覆い、えっえっと泣きじゃくっているのを見て声のトーンを落とす。
5つか6つくらいか。庶民の幼子らしく質素な着物に身を包み、いじめにでもあうのか所々泥がこびりついている。
「うっ、ふえ…み、みんなが、あたしの」
しゃくりあげながら川のほうを指差し、視線を投げた勝真は岩の陰に何か布のかたまりようなものを認めた。
「あれか?獲られたのか」
う、うん、と少女がうなずく。
「かえしてっていったのに、あたし、はいっちゃダメよってかあちゃんが…っ」
ひっく、ひっくとまたしゃくりあげる。
支離滅裂だが、意はだいたい通った。
川に入るなとは、なかなか賢明な母親だ。
「よし、もう泣くな。俺が取ってきてやるから」
そう言うと、勝真は川へ足を踏み入れた。
そんなに深い川でもない。
予想通り流れに勢いはあるが、自分なら足を取られるほどではないと思う。
それでも注意深く足を進め、水面に僅かに顔を出した岩の上に乗った。
そこから手を伸ばし、大きな岩と岩の間にひっかかっている布のかたまりらしきものを拾い上げる。
薄汚れてはいるが、どうやらこれは布でできた人形のようだ。
「おい、これか?」
声を張り上げ、川岸の少女に人形を持ち上げてみせる。
こくん、とうなずいたのを見て、任務完了、とばかりに踵を返した。
…まあこういうのも京職の仕事っちゃあ仕事だよな…。
ぼんやりとそんなことを考えつつ、次の岩の上にひょい、と乗った。
のが、まずかった。
「あ!」
「あっ…!」
少女が悲鳴のような声をあげる。
つるん、と。
自分の足が岩肌をすべり、空を蹴るのを勝真ははっきりと見た。
しまった!
「~~!」
声にならない叫び声をあげているうちに、身体は宙を舞って――
どぼーーーん、といい音を立てて水中へダイブした。
ごいん!という衝撃付きで。
(あいったっ…!)
想像しなくても、川底の岩。
やっぱり冷たかったとか何とか感じる暇もなく、ぐわんぐわんと頭の中身が揺れる。
完全に水に沈み、起き上がらないとヤバイことだけはわかるのに、身体が言うことを聞かず。
後頭部の鈍痛に、完全にマズったという認識だけを残して。
勝真の意識は、そこで途切れた。
…厄日か、今日は…!
作品名:はじまりは 驚愕と困惑と 作家名:秋月倫