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安達が原

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少し開いた戸口から小屋の中が見て取れた。土間とのすぐ向こうは寝間というような作りだった。そこかしこに鉈で割った木が積まれており、土間には沢山の木屑が散らばっていた。木工か何かをしているのだろうか。寝間の奥に何か像のようなものがある。
 仏像、か。
弱ったのうと坂本はもじゃもじゃの髪の毛を掻いた。野宿は出来ぬ事もないが、それにはちと厳しい季節だ。雪は降らねども山の風は冷たい。じき日も暮れる。
「八方塞じゃのう」
日が暮れる前に里へ下るのは不可能だという。街道へ出るには此処からさらに半日は歩かねばならぬ。というのに参った参ったあっはっはと笑い飛ばす。親爺は少し考えた後、雨風だけ凌げればええかと尋ね、迷うことなくある頷いた二人に一方を指した。

  *
また山の中だ。今度は下りで逆に足が笑うと坂本は一人やかましく笑った。
親爺の話はこうだ。少し下れば廃村が在る。雨風は凌げるだけの小屋は在るし、まだ井戸も枯れていないだろうといった。泊めてやれぬ代わりにと雑穀の混じった握り飯と干芋と干物を呉れた。どうして廃村になったがかぇ、と坂本は問うたが親爺はそれには答えず行けば判るとだけ言った。
そう時間はかからぬといったがさっきまで脱水症状だった陸奥には少々応える行進だ。頭痛が酷い。冷や汗は止まったが歩くたびにこめかみの血管が脈打つのが判る。しかし、と陸奥は歯を喰い縛る。
 こん男はあしを背負って山道を歩いた。
同じように歩いて同じものを食っているのだ。お互い心身の疲労は同じ筈だ。自分だけが弱音などを吐くわけにはいかん。坂本は変わらずそろそろ着かんかのうなどと暢気に歩いている。黙ったまま、その後ろを歩く陸奥に時折視線を遣りながら。鼻歌交じりに小枝を拾い、宿があってよかったのうあっはっはと返事をしないことを知っていて言う。こういうところが気に障る。苦しい筈なのにそれを一言も口には出さぬ。此方は腹の中でぐだぐだ文句を言っているのに。
 あァ、癪だ。
その時ぱっと視界が開けた。山を抜けたのだと判った。目の前に暮れかかる茜色の空と親爺の言っていたものが見えた。
「陸奥、着いたぜよ」
 ここが。
「今宵の宿じゃ」

   *

どこにでもある寒村という風だった。山道を抜け、村の中心へと続く畔道を歩く。方々に広がっていたはずの田畑は荒れ耕すものが居ないことを教えた。元々小さな村なのだろう。集落は然程大きくはない。人間の居ない家々というのはどうしてこうも不気味なのか。寄り添うように建てられた家々の中には屋根の落ちているものもある。落ちた藁葺から野花が咲き、それも枯れていた。
軒先に置かれた大小の籠はもはや原形をとどめておらず、枯れ草の吹き溜まりになっている。雨戸は外れ、障子は破れ果て、折れた残骸が木っ端になって、ぶら下がるように戸についている。道のあちこちに転がった鋤や鍬。欠けた碗、朽ちた筵。そして。農村には不似合いな代物がいくつか二人の言葉を失わせた。
 刀。

折れ曲がっているものや刀身半ばから折れ二つになっているものもある。何れも錆び、鈍銀色だったそいつは赤茶けた鉄屑になっていた。それから、具足らしき残骸。旗竿だったらしき代物は縦に罅割れ竹の繊維が箒のようにささくれていた。先端についていたと思しき旗は、雨風に裂け泥に汚れ、元が何色だったかも解らない。
「坂本、こりゃぁ」
陸奥がなにかに気が付いたように小さく言う。坂本はそれでも歩みを止めずその光景を横目で眺めた。二人の土を蹴る音だけが廃墟に聞こえる。陸奥はそれ以上何も言わず後ろを歩いた。その内屋根の落ちていない家を見つけた。どうやらその村の主か何かで他の家よりも少し大きな作りだった。家の周りには朽ちてはいるが垣があり、牛馬を繋いでいたと思しき小屋に、納屋と思われる建物が隣接していた。
不似合いなほどに楓の木だけが赤々としていて、場違いともいえるほど紅葉して美しい。坂本はごめんくださいとバカ正直に挨拶した。無論返事が返るわけはない。がらんどうの家に暢気な声だけが響いた。
 恐らく此処は台所の成れの果て。土間から続く板間の此処で人があったときには下働き者者が飯を食い主の賄をしていたのだろう。囲炉裏もあるし、座も抜けていない。一夜の宿としては上々である。
「此処に、しようかのう」
連れに断ることもなくそう言い、ずかずかと土間へ入り、上がり框に杣の親爺から貰った食べ物を置いた。陸奥はあたりを少し見渡し、少し遅れて入った。被っていた笠の紐を解き、坂本の隣に腰を降ろす。頭痛はいっそう酷くなり、倒れるほどではないがまた冷や汗が出そうな予兆がした。坐ったが最後だ。
「済まんが坂本、あしは」
後ろに反っくり返りそうになるのを堪えつつ話しかける。喋る振動ですら痺れるようだ。それを知っているのかいないのか坂本はすっと立ち上がった。腰にぶら下げた水筒を置き、護身用の銃を懐から出して陸奥の手に握らせた。
「井戸を見てくるき」
そう言って今来た扉から出た。陸奥はその後姿を確認した後、倒れるように砂埃だらけの板間に突っ伏した。



夕日が赤い。

どこで見る夕日もこんな風に赤い。どうして同じものを見ているはずなのにこんな風に色が変わるのか、不思議で仕様がない。昔の友は、死んだ人間の流した血の分だけ赤くなるのだと一つしかない目を眇めて言った。そうかも知れんのうと言ったが今はそんな感傷は起きない。
日が昇って、落ちて月日を重ねても。太陽の周りを幾ら回っても、時間は戻らないし過去に旅することは出来ない。人間は想像の中でしか過去へ行くことしかできない。明日を生きねばならない。それは誰しも、根底に「死にたくない」と思っているからだ。無論、自分も。
杣の親爺は言った。廃村の理由を聞くと「行けば分かる」とだけ言った。錆びた刀、折れた旗竿、朽ちた御旗。焼き討ちされ掛けた焦げかけた家、あちこちに残る狼藉の跡。ただし死体はない。
「成る程のう」
井戸を探すついでにまだ見ていない方を一回りした。相変わらず人の気配は無かったが、今宵の宿から少し下った所から見えた荒野に無数の墓らしきものが見えた。理解した。
「こりゃァ山賊は出んでも」
何処かで見た景色だ。
夕焼け、秋の風、たった一人見下ろす荒野の向こう。
けぶり立つ戦場、人だったものの群れ、夢の跡。

小さく舌打ちし、頭を掻きつつ踵を返す。
「亡霊でも出そうじゃのう」

   *

恐ろしいものは、もう見た。

山賊、というものを初めて見た。三人位居ただろうか。案外と少ないものだなぁとか、あァこんな形でこういう風に出て来るのかと妙に冷静だったのを覚えている。だが同時に出くわした事のなかったのは、其奴等のぎらついた獣の目だった。
金を出せ、身包み置いていけ、というなんの捻りのない文句よりも、言葉の通じない獣めいた血走った目と連中から漂う垢染みた悪臭、それから現実問題として抜き身の人斬り包丁(ただし其れはもう曇っていた)、物を取られるのか、命を盗られるのか。兎も角「何か」を暴力で奪われる事への不安がすぐそこにあった。
作品名:安達が原 作家名:クレユキ