子猫をお願い
その日は朝から雨だった。降り続ける雨はひどく湿っぽくて何度毛繕いしても足りない気がする。人間は昼食を食べてからずっと小さな折り畳みテーブルに突っ伏してテレビを見ていた。箱の中の人間が笑っていても驚いてもその背中はすこしも反応しないので、もしかしたら寝ているのかもしれない。しとしとと聴こえる雨の中を、かんかんと甲高い音が響いた。誰か外の階段を昇っている。すると人間は突然顔を上げてこちらを向いた。正確には、自分が座っている方向にある玄関を。足音は段々と近づいて、遠くなった。隣の部屋のドアが開閉する音が薄い壁をすり抜けて聴こえた。人間はテレビを消した。雨の音が狭い部屋をあっという間に満たしてしまった。
次の日、人間はスーパーの袋と一緒に紙束を持って帰ってきた。夕飯の後、だらしなく寝転がって紙を床に広げている。紙は色と文字にあふれていた。
「お前、海は見たことあるか?」
人間がなにか言ったが、答える前に人間は紙束をまるめてゴミ箱に捨ててしまった。
夜になるともう夏の気配は薄れてきた。人間は枕元で携帯を開けたり閉じたりを繰り返してなかなか寝ない。携帯が開くたびに漏れる明かりがまぶしくうっとうしくもあるが、もう一方の手で耳の後ろを撫でられるのは心地よかった。
「ちょっと聞くだけでもいいんだよな、いつ来るのかって」
人間がようやく携帯から手を離すと、部屋にはちいさな闇が生まれた。
「でも、いつも俺から行動することなんてなかった。よくわからないけど、たぶん、俺は卑怯者だったんだな」
手の温度があまりに気持ちよくて、思わずあくびが出た。暗闇で人間がちいさく笑う音が聴こえた。
「おやすみ」
そう言って人間は静かになった。ちいさな部屋には外から届く虫の音だけ響いていた。