竜ヶ峰帝人の困惑
話は数時間前に巻き戻る。
池袋のど真ん中、ずる・・・ずる・・・・と足を引きずるようにして歩いている。
そんな幽鬼のような真っ黒な男を、折原臨也という。
(俺もう駄目だおれ死ぬ。死んだ。いや違う、まだ家出だ。つまり捨てられたわけじゃない。だからまだ大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ?)
「んなわけあるかーーーっ!!」
突然道のど真ん中で叫びだした男の姿に、道行く人々が一斉に足を止めて振り向いた。
臨也は近くにあった電柱にガンガンと頭をぶつけている。
誰の目にもわかりやすく危ない男に、人々は足早に去って行った。
何度目かの打ちつけの後、臨也はずるずるとその場にしゃがみこんだ。
(頭痛い・・・痛い、泣きそう。背中痛い。後頭部も痛い。さすが帝人君、いい一撃だった・・・帝人君、帝人君帝人君みかどくん)
帝人君、を脳内でエンドレスリピートである。
ここまで臨也の精神が追い詰められているのは、帝人に逃げられたことと、家出を敢行されてからろくに寝ていないのが理由である。
なにしろ、帝人は「しばらく家出する」と言ったのだ。
つまり、「しばらく」ということは、ある一定の期間ということだ。
そのためいつ帝人が帰ってくるかがわからない。帰ってくるかもわからないけれど、それは恐ろしすぎて考えないことにしている。
もし帝人が帰ってきて臨也がいなかったら、眠っていて話し合える状況ではなかったら、もしかしたら「もういいや」とか簡単に言って去ってしまうかもしれない。
帝人が聞いたら「そこまで薄情じゃありません」と反論しそうな考えだったが、臨也の強迫観念は半端なかった。
なので、帝人の居場所は把握はしているものの、臨也は先程まで帝人が出て行ってからずーっと、玄関の前で1人眠らない耐久レースをしていたのだ。
そんな臨也が外に出て街の通行人に逃げられている状況なのは理由がある。
もちろん、波江だ。
彼女も耐えた。
情報屋一時休業の連絡をクライアントたちに流し、書類を整理し、食事を用意することもできない臨也にコンビニのパンを全力でぶつけたりしていた。
帝人から与えられた、矢霧誠二メモリアル(厳選特別バージョン)によって帝人が戻るまでの面倒を引き受けてしまったものの、やっぱりイラっとした。
帝人が出て行ってから今日で3日目だ。
臨也も眠っていないせいで、そろそろ幻覚を見始めてもおかしくない頃合いだった。
寝かしつける、なんて高度な技術を持ち合わせていない(むしろ持っていたくない)ので、帝人には今日ぐらいに戻ってきてもらわないと無職無収入になってしまう可能性がある。
が、自分で帝人に戻ってきてくれと言うには、矢霧誠二メモリアル(厳選特別バージョン)を受け取ってしまった手前言いづらい。
ゆえに、臨也自身を蹴りだすことにしたのだ。
その時の様子が以下である。
「帝人君帝人君、どうしよう波江さん、俺嫌われたのかな、だから帰ってきてくれないのかな、どうしよう、死にたい」
「だったら潔く死になさい。嫌なら迎えに行きなさい」
「いやだ、迎えに行って、帰らないとか、言われ、たら、俺、無理。も、無理」
「このままだとあなた明日には自然に死ぬわ。だったら竜ヶ峰君にとどめ刺してもらいなさい。その方が幸せよ」
「幸せ・・帝人君、幸せ・・・・俺、死・・やだ。せめて腹上死がいい」
「その元気があればいけるわよ。うっとうしいわね、まだセックスもしたことないくせに!」
「セ・・っ、な、そんなの迫って怒られて嫌われたらどうするんだよ!帝人君が俺のこと非日常より好きになってもらうまで、そういうことしないって決めたんだよ!」
「なら動きなさい!!ここでじっとしてても好きになんてなってもらえないわよ!好きなら行動しなさい!態度で示しなさい!心配になって迎えにきた、とか言えばあの子それなりにあんたに傾くわよ!」
「ほ、ほんとに!?」
「そうよ!だから行けって言ってるのよ!」
「波江・・!君が俺のことそこま」
ここで波江の激烈な一撃(回し蹴り)が、座りこんでいた臨也の背中を直撃。
もんどりうって吹っ飛んだ臨也が玄関のドアに叩きつけられた後、ぺいっと外に放り投げられた、というわけである。
どこかで見たような光景だった。
そんなわけで波江に騙されたような気がしないでもない臨也が、池袋の街のど真ん中で叫んでいるのだ。
力なく座りこんでいる臨也のもとに、背後から近づく影。
「いぃーざぁーやぁーくーん。今日こそ死ぬかぁ?」
平和島静雄である。
当然だ、ここは池袋であり、この男の住処であり仕事場である。
仕事も終わりふらふらと歩いていたところに、もっとも嫌う人間の匂いと、人々が足早に去っていく中心に見えた黒い人影。
いつもの黒コートを着た臨也に違いない、ということで殺しにきたのだが、一声かけて振り向いた臨也を見た瞬間、「うっ」と声を漏らして一歩下がった。
「お前・・・なんだその顔」
顔色は白くて、目の下だけが真っ黒な隈が出来ている。うえに、今にも泣き出しそうな絶望的な表情を浮かべており、さらに額から血がダクダクと流れていた。
まさかその怪我が自分で頭を電柱にぶつけてできたものだとは静雄には想像もできない。
(もう俺が殺さなくても死ぬんじゃねぇか・・・?)
と静雄に思わせるほどの状態だった。
「あ・・・あー・・その、お前・・・なんだ、それ」
体を少し引き気味に、臨也の額を指さす。
できる限り関わりたくはないが、このまま放っておいて誰かに迷惑をかけても寝覚めが悪い。
(死んだ方が世のためだが・・これに今とどめをさす勇気が俺にはねぇ)
死んだ魚の目以上に淀んだ目で、臨也は指さされた自分の額に触れる。
べったりと手のひらについた血に、
「ふ、ふふふ、ほら、やっぱり俺、死ぬって。これ死ぬって、ははは」
ははははと笑いが続く。
どうみてもその程度の出血では死なないが、思わず人に納得させるほどの死相だった。
座りこむ臨也の前にしゃがむと、
「お前が死んだら喜ぶやつは腐るほどいるだろうが・・・竜ヶ峰が泣くんじゃねぇか」
親切心での忠告だった。
が、逆効果だった。
無表情になった臨也の両目から、滝のように涙があふれ出す。
同時にぶつぶつと「帝人君出て行っちゃった。帝人君帝人君」と呟く。
(あー・・捨てられたのか)
と静雄が思うのも仕方ない。
天敵のあまりにも哀れな姿に、心は優しいが根が天然な静雄は思わず憐れみを込めて
「男は竜ヶ峰だけじゃねぇぞ。今回を教訓にして、次は捨てられねぇように、そろそろまともな人間になれよ」
臨也が残る力をすべて込めて、静雄を刺したのは仕方ないことだった。