奇跡の鐘の音
サリエルもまた、縋るようにベールゼブブの背を抱き寄せた。翼を指で探り、子供が身を守るように、互いを包み合った。
「……お互い、殺しすぎたな。まだ手に感触が残っている。神の命とはいえ」
「サリエル」
「すまん」
それきり何も言葉を交わさず、二人はこの世に互いしかいないかのように抱きしめあった。ベールゼブブの中には確かに恋情があり、このまま抱き潰してしまいたい悪魔の誘惑を振り切るために、言葉を閉ざした。
この時サリエルが何を考えていたのか、ベールゼブブにはわからない。だが、友愛が、彼を優しくしているのは確かだ。
愛などという言葉は、神への裏切りと同意だった。
水晶玉を見詰めながら、悪魔大公・ベールゼブブは、好色そうな笑みを浮かべた。透明な球体に浮かぶのは、凛々しい天使の後姿だ。
二枚の翼を伸ばし、軍帽を被った姿は天使として最もあるべき姿であるように美しかった。黒に犯されない真っ白な金が、彼を多い尽くしている。
「相変わらず、お前は美しい」
もう掌からは失われてしまった羽の感触を欲し、ベールゼブブは硬い水晶の表面を愛おしく撫でた。
「もう少しで、すべてが壊れる。そうすれば、お前は私のものだよ、サリエル」
天界での日々は、ベールゼブブの中では遠い過去に成り果てていた。神の為に戦ったことも、その愛を受けるために葛藤したことも、すべてが遠い。
神へ裏切り者とそして制裁を受けたあの日、翼をもぎ取られたあの日。美しい友人の傷つく姿を堕ちながら見続けなければならなかった。
ただ愛しただけなのに。純粋な愛が許されない。
「サリエル」
堕天した今、ベールゼブブを咎めるものは居ない。美しい天使を欲し、犯し、自分だけのものにしてしまいたいと願っても、それは正しい行いになった。
あの翼が欲しい。憂いを秘めたあの瞳を、泣かせたい。唇に触れたい。肌を暴き、快感のすべてを教え込みたい。
「もうすぐだ。神などという幻想を壊し、お前を手に入れる日は近い」
天使であったことの純粋な愛は、すでにベールゼブブの中には無かった。長い時間秘めた想いは歪み、暴力的な愛へと、変貌していた。