鍋の日
見るからに高級でセキュリティーに煩そうなマンション前で、四木と帝人は車を降りる。迎えには呼ぶから待機しなくともかまわないと側近たちに伝え、帝人とマンションの入り口に向かう。
帝人の手には、レジ袋の他に新しく飴が加わっていた。
「いちごミルクです。僕、いちご好きなんですよ。」
「よかったですね。」
「はい。」
車から降りる際に、側近の一人から渡されたようだ。近付いただけで犬からは吠えられ猫からは威嚇される、そんな強面連中にとっては、帝人は貴重な小動物なのだろう。
だが、可愛らしいパッケージの飴を常備しているヤクザの図というのは、あまり見たいものではなかった。某情報屋のあまりあの子を餌付けしないでくださいよと言う声が思い出されたが、しているのは四木ではないのだから、文句を言われてもどうしようもない。部下のささやかな楽しみを奪う権利は、上司といえどもないだろう。
エントランスを抜け、二人はエレベーターに乗った。
「そういえば、折原さんには連絡しましたか?私が来ることを。」
「いえ、サプライズゲストってことで、臨也さんには驚いてもらおうかなあと。」
「…もしや、一人で買い出しに放り出されたことを怒ってますか?」
「まさか。あの人は雇い主なんですから、例え仕事休みの日にいきなり呼び出されて鍋の準備をさせられても、遊ぶだけ遊んで飽きた人たちの片付けを押し付けられても、勝手に僕の名前を使ってくれたせいでガラの悪い人たちに絡まれても、怒ったりするわけないでしょう?雇い主なんですから、ええ、雇い主なんですから。」
表情だけ見れば、困った上司だと呆れつつも慕っているように見えるのだけれど。この言葉があえての嫌みでないならば、余計にいたたまれない。そう思ったところで、かの情報屋に遠慮のえの字も芽生えることはないだろうが。
臨也の部屋に着き、家主から向けられた視線は雄弁なものだった。なんでお前もいるんだ、と。表情は取り繕っているが、そう訴える臨也には少々疲れが滲んでいる。その理由は部屋の奥へと案内されれば、すぐにわかった。室内が一切荒らされずに原型を保っていることが、奇跡。臨也を相手にして怒り狂わない日があるとは、思ってもいなかった。とはいっても苛立ちはするのか、静雄の前に置かれた灰皿には何本も煙草が沈んでいる。
「シズちゃんに続いて四木さんまで…。えっ、何これ、嫌がらせ?というか、財布返して。」
「はい。好きなものを買ってきていいって言われたから、いろいろ買ってきちゃいました。」
「うん、勝手に持っていった俺の財布でだよね。…まあ、君が使う額なんてたかが知れてるからいいけど。」
「今回はそんなことないです!大きい蟹二つも買ってやりましたよ!」
「それは、君にしては頑張ったね。」
「値札はなるべく見ないようにしました!」
「そっか。よかったね、蟹美味しいし。たくさん買えて。」
「はい!」
浮き足立って気分良さそうにキッチンに向かう帝人の姿は、実に微笑ましいものだった。静雄も臨也もそう思ったのだろう。緊張感に満ちていた空間が、和やかに緩む。
しかし、臨也のみならず静雄までとは、シュールどころの話ではない。四木は、小さく息を吐いた。
帝人の手には、レジ袋の他に新しく飴が加わっていた。
「いちごミルクです。僕、いちご好きなんですよ。」
「よかったですね。」
「はい。」
車から降りる際に、側近の一人から渡されたようだ。近付いただけで犬からは吠えられ猫からは威嚇される、そんな強面連中にとっては、帝人は貴重な小動物なのだろう。
だが、可愛らしいパッケージの飴を常備しているヤクザの図というのは、あまり見たいものではなかった。某情報屋のあまりあの子を餌付けしないでくださいよと言う声が思い出されたが、しているのは四木ではないのだから、文句を言われてもどうしようもない。部下のささやかな楽しみを奪う権利は、上司といえどもないだろう。
エントランスを抜け、二人はエレベーターに乗った。
「そういえば、折原さんには連絡しましたか?私が来ることを。」
「いえ、サプライズゲストってことで、臨也さんには驚いてもらおうかなあと。」
「…もしや、一人で買い出しに放り出されたことを怒ってますか?」
「まさか。あの人は雇い主なんですから、例え仕事休みの日にいきなり呼び出されて鍋の準備をさせられても、遊ぶだけ遊んで飽きた人たちの片付けを押し付けられても、勝手に僕の名前を使ってくれたせいでガラの悪い人たちに絡まれても、怒ったりするわけないでしょう?雇い主なんですから、ええ、雇い主なんですから。」
表情だけ見れば、困った上司だと呆れつつも慕っているように見えるのだけれど。この言葉があえての嫌みでないならば、余計にいたたまれない。そう思ったところで、かの情報屋に遠慮のえの字も芽生えることはないだろうが。
臨也の部屋に着き、家主から向けられた視線は雄弁なものだった。なんでお前もいるんだ、と。表情は取り繕っているが、そう訴える臨也には少々疲れが滲んでいる。その理由は部屋の奥へと案内されれば、すぐにわかった。室内が一切荒らされずに原型を保っていることが、奇跡。臨也を相手にして怒り狂わない日があるとは、思ってもいなかった。とはいっても苛立ちはするのか、静雄の前に置かれた灰皿には何本も煙草が沈んでいる。
「シズちゃんに続いて四木さんまで…。えっ、何これ、嫌がらせ?というか、財布返して。」
「はい。好きなものを買ってきていいって言われたから、いろいろ買ってきちゃいました。」
「うん、勝手に持っていった俺の財布でだよね。…まあ、君が使う額なんてたかが知れてるからいいけど。」
「今回はそんなことないです!大きい蟹二つも買ってやりましたよ!」
「それは、君にしては頑張ったね。」
「値札はなるべく見ないようにしました!」
「そっか。よかったね、蟹美味しいし。たくさん買えて。」
「はい!」
浮き足立って気分良さそうにキッチンに向かう帝人の姿は、実に微笑ましいものだった。静雄も臨也もそう思ったのだろう。緊張感に満ちていた空間が、和やかに緩む。
しかし、臨也のみならず静雄までとは、シュールどころの話ではない。四木は、小さく息を吐いた。