少年への献花
その、あまりにも地味でクラスでも特別目立つわけではない少年の通夜には、それでも数多くの人間が出席した。
クラスメイトと言うだけで、会話さえなかった人間もいる。中には名前だけ覚えていて、祭壇の写真を見てああこいつか、と納得した人間さえいるだろう。クラス委員をしていたとはいえ、少年はあまりに存在自体が地味だった。だというのに、学校関係者以外の参列も数多く、いったいどんな交友関係を構築していたのかが予測できない。
明日には灰になるその遺体は、けれどもどこまでも安らかで、車にひかれそうになった小さな子供をかばったなんていう美談も、できすぎなほど彼に似合った。
たとえば、少年の幼馴染は「どうして」と泣く。
「どうしてお前が、どうしてこんな、どうして」と、運命の不条理を嘆くように、嗚咽を殺すこともせず、ただただ素直に泣きながらも繰り返す。どうして、どうして、少年は死ななくてはならなかったのだろうか?
少年を都会に誘ったのは彼だった。少年が、彼の知らないところでどんな風に過ごし、どんな風に変わっていったのか、彼は知らない。幼馴染で、親友だという自分の立場を、自分は過信していたのではないかと彼は考える。
もっといろんなことをきちんと話して、最初から隠し事をせずに腹をくくって、向き合っていれば変わったのだろうか。嫌われることを恐れずに全てを話していたら、少年の隣を離れることもなかっただろうか。そうしたら、この事故も、少年の隣にいられたら救えたかもしれない。
所詮全てはないものねだりで、結局は行動のできなかった自分の情けなさを思い知るばかりで。けれどもそれでも繰り返す。どうして親友は死んだのだろうと。親友に救ってもらった分だけのことを、自分は親友にしてやれなかったと。
彼はただただ、泣き続ける。遺影は微かに微笑んでいたけれど、彼が思い出せるのは少年の困ったような笑顔ばかりだった。
震える声が親友を呼ぶ。
答えは、二度とかえらない。
例えば、ミステリアスな少女はまっすぐに遺影を見詰めて、どうにも行き場のない思いを飼い殺す。
自分を殺して感情を殺して生きてきた少女は、彼について何かを考えようとすることが苦痛で、考えないようにばかりしてきたけれど。
「園原さん」と照れたように呼ぶ少年の声が好きだった。
「行こうか」と差し出される手も。
目が合えば、はにかんで笑う、その一連の表情も。
少女の奥で、少女に宿る何かが「愛したかった」と叫ぶ。愛したかった、愛したかった、愛したかった。そんなことはできないとわかっていたけれど、それでもこの一瞬だけは、少女はその声に同意した。
愛したかった。
愛しむように少女を大切に思ってくれた少年を、家族のように、親友のように、守ろうとしてくれた少年を。同じように、守りたかった少年を。
愛したかった、心から、ただ、この年頃の少年少女が思いあうように純粋に。
愛したかった。
もう、叶わないけれど。
例えば金髪でバーテン姿の男は、葬儀場の外から学生たちの波を見据えている。
会場の外は小雨がぱらついていて、夏の暑さに湿気を加えて生ぬるく、不快な空気だったが、それでもその場を動けなかった。
雨に濡れたサングラスを外せば、その視線は険しく、けれども決して怒りではなくて、その目に宿る感情は純粋な悲しみに過ぎなかった。男は少年を気に入っていた。少年は男の憧れる全ての普通を手に入れていたのに、その他大勢に埋没することも無く、それでも自分は普通ですよと心の底から笑うことができる子供だったから。
少年と男の間には、それほど強固な接点があったわけでもない。だから男は、自分には手を合わせる資格はないと判断する。かといって、この場に来ないという選択肢は選べなかった。こんなバケモノのような自分にも愛想よく笑って挨拶をする、少年の屈託のない笑顔が好きだった。
男の上司が、傘を差し出しながら、お焼香にいけばいいと促すのを、男はゆっくりと首を振って拒んだ。しっとりと濡れた金髪から、涙のような雨粒が流れ落ちる。
「俺みてえなのが中入ったら、ガキ共がなんていうか」
自嘲気味に笑って、男はまっすぐに葬儀場を見詰める。たしかに喧嘩人形などと物騒なあだ名持ちの男が入り込めば、学生たちは皆萎縮したかもしれない。だが、それでも。
男の上司は、ヘビースモーカーのくせに今日は一本も煙草を吸わない男の誠意を、勿体無いと思うのだった。
その背中が泣いているようで。
例えば珍しく喪服をきちりと着込んだ闇医者は、そんな周囲の様子を冷静に見回しながら息をつく。
医者の最愛の恋人は、人間ではなく妖精であるからして、このような場に来ることはできない。喪服は着ることができてもヘルメットのまま焼香は無理だ。どう見ても不審すぎる。だから、恋人の代わりにと医者がやってきたのだ。
少年とは決して知らぬ中ではなかったし、何より少年と話す恋人は楽しそうで、うちの子になってしまえばいいとさえ思った子だ。やっぱりあの時攫ってしまえばよかった、全ては過ぎ去ったことだけれども。
医者には分かる。恋人は少年のことをとても大事な友達だと思っていたのだ。だから彼女は今頃少年のために黙祷を捧げ、少年のために、そこにない首で泣いていることだろう。あまりにも突然過ぎたその死に、恋人がうけた傷は計り知れない。
そして。
医者は会場をゆっくりと見渡す。
ぼろぼろと泣く幼なじみだという少年、その少年に寄り添う物静かそうな少女。ただ静かに遺影を見詰め続けるミステリアスな少女、その少女に躊躇いがちに声をかける男女。そして未だに葬儀場に入ることさえできない不器用な友人。
医者は思う。少年は確かに愛されていたと。そうして続けて思う。そんな少年に愛されていたはずの男は、どうしたのかと。
ちらりと携帯電話をみつめて、医者は、少年の死を知らせたときの黒い男の返信を思い出した。事務的に少年の死を知らせたメールに、男は立った一言、「嘘でしょ」とだけ返した。
嘘じゃないと返信したメールへは、何も返らなかった。
信じていないのだろうか、あの男が。そんなことはありえない。だってあの男は情報屋なのだから。その気になればすぐに、この少年の事故死の記事など探し出せるはずだ。人の死に興味はなくとも、その少年の死に面した知人たちの悲哀には興味が在るだろうから、きっとくるだろうと医者は思っていたのだ。
きっと、面倒だと思っても、最後のお別れくらいはと。
大体、あれほど構い倒していた少年が死んだというのに、その死因さえ尋ねなかった男の真意がわからない。それとも死んでしまった人間など、もうどうでもいいのだろうか?
闇医者は少年の趣味にとやかく言うつもりはなかったが、それでもあの男を選んで恋をしたことだけはいただけないと思っていた。何しろ趣味が悪い。最悪に近い。人類のすべてを愛しているとか言う男だから、特別になれないことは分かっているんですと少年は笑っていた。最初の最初から、そんなのは諦めているんですよと。