ひあそび
「前に、美術室で絵を描いている青葉君を見かけたんだ」
オレンジ色に染まった室内で、青葉君は大きなキャンバスに向かって描いていた。その頃には、見たこともない真剣な表情は、彼にはそんな顔もすることは出来るのだと驚いたのを覚えている。今ならば、あの顔こそ素顔で、あの頃僕に見せていた方が偽りなのだと理解している。
「先輩の背中がキャンバス変わりってとこですか?」
「そうなるね」
そう意味では無かったのだけど、なにか僕の言葉を気に入ったのか青葉君は嬉しそうにしていて、否定する気にもならなかった。元々脱線した話であったし、機嫌が直ってくれればそれでいい。
「後輩君は、一つ一つ染めていくのが好きなんだね。自分の色で描いていくのが……」
話に割ってきた臨也さんは、青葉君がいるのと逆側に腰を掛けている。僕は彼等二人に挟まれている形だ。
「あなたは人の作品に横槍入れるのが好きですよね」
「俺はここで一筆入れた方がいいかな~ってするだけだから」
はいっと、臨也さんは掌を青葉君に向かって翳した。
「それが余計なんですよ」
そう言い放ちながら、その差し出された差し出した掌に青葉君はローションを垂らしている。二人の間の会話では、そんな話題は出ていないのに、何か他にも意思疎通する手段でもあるのかと疑いたくなるほどの疎通ぶりだ。そして、その瓶は僕の脚と脚の間に置かれた。
「そうかい? 別に俺のサイン入れるわけではないし、より良くしてあげてるだけだけどな」
一通り僕の脚にローションを塗り込むと、心なしか青葉君のやるそれと、臨也さんのやるそれは違う感じがした。僕が臨也さんを意識しすぎるのかもだけど、なにかいやらしい感じがした。
今度は臨也さんがローションの瓶を掴むと、青葉君が手を出した。そこにたっぷりと出してから、臨也さんは直接僕の太股にローションを垂らした。火照ってた体に冷たさが気持ちいい。
「それはあなたの感性においてでしょう? 余計なお世話ですよ。本当に嫌な人ですね」
「君も可愛くないと思うよ」
言葉だけ聞いてると言い争いなんだろうけど、僕には会話を楽しんでいる気がしてにならない、こんな時は本当に、二人とも僕の存在なんか忘れてるんじゃないかって思うと、腹が立ってくる。
「あの…… 僕の足先で争うの止めて貰いませんか」
「あっ、ごめんね」
「すみません 先輩」
そう口火を切れば、二人とも慌てて脚から離れた。こんな同時の行動もなんだか怪訝に思えてくる。
「二人とも仲良いですよね」
そう口を尖らせて言ってしまった。それでも、妬いてしまいますって、言葉を飲み込んだのは言ってしまったら僕の負けが確定するからだ。せめて優位な立場には立ちたい。
「そんなことないです」
「そんな力強く否定しなくても、同意だけどね」
「ほら、やっぱり仲良しじゃないですか」
同時の発言に、僕の中の不機嫌は募っていく、でもどこか楽しい気分も込み上げてくる。三人でいたいのはこういうやりとりを見ていたいのかもしれない。そこに入れないことが、悔しいくらいに僕は楽しんでいる。
「そうとるんだ?」
「先輩、否定してるんですよ、俺達は」
「タイミングが絶妙なんだよ、二人とも」
順々に口を開く二人の間には、シナリオでもあるんじゃないかと思う。互いに嫌いあってるとは言うけど、臨也さんは全ての人間を愛してるから嫌いではないらしいが、青葉君への態度は僕に対するモノとはだいぶ違っている。
「それは不本意だな……」
「それには、同意しますね」
また二人は同時に声を上げている。どこかにスイッチがあって、誰かが同時に話すように調整してるんじゃないかって思う。
二人はよく似ていて、少し違うところがある。二人にそれを話したら、同時に心外だと言われた。青葉君は珍しく顔をしかめてから、なにか少し考え込んでいた。
似ているようで、似ていないっていうと僕は兄弟が浮かぶ。当人達は似ていないと否定するけど、すればするほど似てるなって思う。こういうのは、端から見ていた方がよく見えるんだと思う。
「二人とも兄弟みたいだね」
二人とも少し驚いた表情で僕を見つめている。綺麗な顔を二つ並んでいて僕はドキドキする。臨也さんは美しいって感じだけど、青葉君は可愛い、それは男にとってどうなのかなって思うけど、彼はそれをよく心得ている。羨ましい程に…………
「僕は兄弟が出来たみたいで嬉しいけど……」
青葉君が弟なら、臨也さんは兄だろう。僕には兄弟がいなくてずっと憧れていた。こんな美形二人に囲まれて、自分も兄弟の一人だなんて烏滸がましいけど、ずっと子供の頃から欲しかったモノが、一度に二つも手に入れた気がする。
二人の不毛な言い争いを見ていると、兄弟喧嘩ってこんなものなのかもしれないと思う。
「そうなりますか、まぁ、先輩が兄なら俺も嬉しいですね。こんなふしだらな兄貴はいりませんが……」
青葉君の言葉には刺がある。詳しくは知らないけど、青葉君にはお兄さんがいるらしい。兄弟仲はあまりよくないらしく、青葉君も良くは思ってないみたいだ。
契約に基づけば子細話してくれるだろうけど、それは権利の乱用ってことになる。あくまでも、ダラーズのための契約であるから、彼のプライベートまでには言及しない。それに、そう言ったことは、聞き出すのではなく、聞きたいのだ。彼から話してくれることを待っている。
確かに、最近個人のことまで及んでいる気がするけど、もしかしたら、初めからそうなのかもしれない。
「帝人君みたいな素直な弟ならいいけど、顔しか可愛くない弟はな……」
臨也さんにも兄弟がいるらしいと聞いたことはある。確認していないのは、やっばり直接聞きたいのと、話してくれるのを待っているからだ。臨也さんに関しては、調べれば良いんですよと青葉君は言うけど、彼は臨也さんが信用できないとずっと主張しているから、それでもそういうことをしたくはないのは、少なからず関わりがあるからなんだ。
よく知らない相手や、具体的に排除しなければならない相手には、そういう非合法の手段とか、色々と使えるのだけど、それは知人にまでは行使したくないんだ。そこは重要な線引きだって思っている。
だから、僕は臨也さんのことは当人が語る内容しか知らない。でも、それで良いと思っている。
「兄弟喧嘩ってこんなのかな……」
ずっと憧れていた。子供の頃から、兄や弟、姉や妹に憧れて、その話を聞く度に羨ましくて仕方がなかった。その話題で盛り上がる中、僕だけが仲間はずれにされているみたいな感覚になったことがある。そこに人がいるのに、まるで世界で自分一人だけのような……
「違うと思いますけど……」
「これも有りかなって気はするけどね」
二人とも良い表情はしていない。いつもそうだ。兄弟の話の時に羨ましいと言うと、表情を曇らせる人がいる。そんなことないよ、と言いはするが、嫌だとはっきり否定されたことはない。この二人も同じなのだろう。
「でも、兄弟でいいの? こんなこと…… 出来ないよ」
するりと臨也さんの掌が短パンの裾から手を滑り込ませようとしたが、その手を叩いたのは青葉君の掌だった。
「なんでそこで言い淀むんでしょうかね、あなたは……」