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Ladybird girl

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 重たげな瞬きを繰り返す緑色の目の前に携帯電話をつきつけてやりながら、いてもたってもいられずにアメリカはふとももの上げ下げなどをはじめた。なんだってこのひとはこんなに平然としていられるんだろう。普段はアメリカのみならずとも、すこしでも授業開始を知らせる本鈴に遅れればいそいそと説教に向かっていくというのに――。
 すこし近視ぎみのイギリスは何度か距離を調整してから、眉をひそめてため息を吐いた。
「アメリカ、」
「なに!」
「いちいち大声を出すな。うるさい。あと、携帯画面はちゃんと見るように」
「はぁ?!」
「だから大声を出すなってのに。ほら」
 何故か逆に銀色の細い腕時計をつき付けられる。何事かと覗き込むと、もう片方の手が文字盤の日付表示を指していた。
「サタデー」
「土曜日」
「サタデーナイトフィーバー?」
「信じられないなら自分のを見ること」
 それでアメリカのほうから手を引っ込めて、ひっくり返した液晶画面には確かにSat、の3文字。
 どっと力が抜けるのを感じながら椅子に倒れ込んだ。
「おなかすいた……」
「そう」
 おろした瞼はもう簡単に持ち上がりそうにない。一度は思ったものの、すぐ隣で首肯し立ち上がる気配がしてアメリカははっと振り向いた。
 腰の高い位置に赤いベルトをする黒いひざ丈のワンピース。肩にはたぶん手編みの白いカーディガン。ひとりぶんのティーセットをトレイに乗せたイギリスはまたもや怪訝そうな目つきをこちらへと向けてきた。今確かに彼女はそう、と言ったはず。
「ちょっと待ってイギリス、その肯定はなに?どういうこと?!」
「ちょうど昨日スコーンを、」
「やめて!」
 悲鳴をあげながら手っ取り早く腰に抱きつくとイギリスもまた控え目な悲鳴を漏らし身をよじらせた。自然のなりゆきとしてティーセットが不穏な音をたてはじめた段になってもアメリカには触れられたくないらしく、直立不動で顔だけこちらに向けて怒鳴ろうと開かれた口を、携帯を持っていないほうの手で塞ぐようにすれば、イギリスは好機だとばかりにアメリカから一歩遠ざかった。怒りのせいで顔が早くも真っ赤になっている。
「こっちが親切で言ってるっていうのに!」
「あのね、イギリスの料理の被害を一番受けてるのはあたしなんだから」
「……被害」
「せっかくの日本土産のお寿司、醤油がないからってオイスターソースを代わりにつけて台無しにした」
「う」
「赤みが足りないからって、苺ジャムにケチャップをつっこんだ」
「へ」
「マーガリンで作るスコーン、フランスが止める前からまずいって言ってたのに、作り続けてたよね」
「え」
「何を呆けてるのさ。全部イギリスの仕業じゃん。ていうかイギリス、顔近いよ」
「あ、うん……」
 いつの間にか息がかかるほど近づいていた顔からは、いつの間にか血の気が抜けて真っ白になっていた。ゆっくりと遠ざかりながら呟かれる小さな言葉が震えていることだけどうしてかはっきりとわかった。
「あたしの料理、そんなにまずい」
「今更すぎるよ」
 思い出したくもないのにすぐに思い出せるあのスコーンのなんとも言えない食感、もはや味とは呼びたくもない味と一緒に、差し出すイギリスの笑顔までがついてまわってくる。
『オイスターソースだって塩味よ。それに黒い。ソイソースにだってソースはついてるから共通してる。それにこっちのほうが食料品店では高く売られているわ』
『色素よりはましでしょう、ケチャップはなんせ自然のものだから。……ええ、あったらトマトの缶詰だって入れていたわよ、ただ今日はたまたまなかっただけで』
『うん、だってお前の世話をするのはあたしの、この姉の仕事だもの。ほら、ミルクティーを飲んで。それとスコーン。今日のは自信作なのよ。だからさっさと食べなさい』
「ねえ、アメリカ?」
 再び近づく声に揺さぶられる。
(おなかがすいてるから、めまいがするんだ)
「アメリカ……」
 よわよわしく震える白い喉に手を伸ばし、伝える脈動が震えに取って代わられるまで指を押し付けていた。アメリカは確かにそこに掴まっていた。もっとも離した手はどこへもいかなかった。ただ携帯電話が地面に落ちて壊れそうな音を立てた。黒い画面に太陽の光が反射したせいで一瞬目をつぶったあとで、もう一度見たイギリスの顔はどうしようもなく霞んでいた。彼女が汗をかいた唇で息を吸う音が耳元でアメリカに何事か囁いた。
「あたし、知らない。知らないから」
 だって、イギリスがあんな声でアメリカを呼ぶわけがない。
 いっそ昔の感じやすい貴婦人たちみたいに気を失ってしまえばいいと願った。逃げたかったわけでは絶対にない。ただ、そうすれば忘れられるのだとアメリカには分かっていた。なにしろ記憶の欠片に触れれば傷つくのは自分自身だということは、目の前のイギリスが幾度も身をもって教えてくれたのだ。知らないのであれば、なおさらである。
「イギリスはもうあたしの姉じゃないよ」
 しかし目を閉じて意識を手放したのはイギリスだった。



作品名:Ladybird girl 作家名:しもてぃ