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Ladybird girl

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第五章





「お姉さんの言うこと、信じてないわね?」
 と楽しそうにフランス。
「信じられたらすごいって思うんだけど」
 向かい合うアメリカは肩を竦め、コーヒーカップから一口啜った。
「まあ、まだ解説が残っているから心配しなさんな。煙草を吸っても?」
「うん」
「助かったわ。前は回しのみまでしてたっていうのに、今はスペインの部屋まで禁煙なんだもの、世知辛いったらないわね。それと、その辛気臭い顔はあとあとまでとっておきなさいな。イギリスはあなたが思うよりずっと丈夫に出来ているから」
「うん……うん?」
 こんなときまでちっとも手を抜かずに嫣然と微笑みを見せるフランスのせいで、その言葉の意味を詮索しようとする前にアメリカの背中からはなんとも言えない怖気が立ち上った。細い紙煙草がジャケットのポケットから取り出され、何故かいまどきライターではなくやたら薄いケースから取り出されたマッチで火がつけられる。次に思い出されたようにアメリカへと差し出された一本を、口を噤んだままひったくった。
「火」
「あれ、マッチは使えるの?アメリカ」
「キャンプでいつも使ってるもん。あと、さりげなくひとのことを子供扱いしようとしてるね?」
「うーん、でもさっきのアメリカはいかにも小さい子っぽくて可愛かったしなあ」
「……君、そっちもイケる口だっけ」
「否定はしないわよ。お姉さん美しいものはなんでも愛でる主義だから。日本なんか昔、『チイサキモノハミナウツクシ』とか言ってたしね。それに、お姉さんに頼ってくるアメリカなんて滅多に見られないことですし?」
 フランスの手の中で擦られたマッチからなにはともあれありがたく火を貰ってしまうと、アメリカはしばらく煙草とコーヒーに構うのを口実にして相槌を避けた。フランスはなにやらべらべらとしゃべり続けている。記憶に浸るために語るイギリスとは違い、こちらは単に口を動かしたいだけのためのものだったから、少しうるさくとも無視してしまえばよかった。あとには彼女のため息くらいしか残らないだろう。
 そして少しだけフランスを呼んだことを後悔した。
 誰かが気をやって倒れる場面なら映画の中で何度も見たし、どう対応すべきかのマニュアルもきちんと頭の中に叩き込んでいたのにアメリカは呆けたようになっていた。頭と地面がぶつかる鈍い音に何故か人工呼吸を試みなければ、と思い込んでなんとかベッドに彼女を横たわらせ顔を近づける段になってやっと息があることに気づく始末。予定が狂ったことの打撃はかなりのものだったらしく、ここでアメリカは潔く事態の収拾を諦めて携帯電話を手に取ったのだった。
 で、最初にカナダの顔が浮かび、続いて体育のバスケットボールでフェイントをかけたあと彼女にパスを回した時の顔を何故か思い出し、イギリスに勝るとも劣らないお説教ぶりからイギリスの家は謎なんだのセーシェルだけが上がったことがあるだのなんだの(勿論セーシェルという選択肢はなかった)、この間には冷静も微かに取り戻せて結局生徒会つながりでフランスを捕まえたはいいものの、到来を待つだけの間にまたあまりにも容易く崩れてしまう。
 息は確かにあったのだ。だけれども乱れて弱々しいそれ、白く冷たい指先を握りしめながらアメリカは頭を空っぽにしようと努め、結果成功してしまった。あとから忍び込むのは、よくないものに決まっている。
 そしてやってきたフランスがアメリカから話を聞く間にイギリスの様子を何度か伺って、いとも簡単にただの眩暈だろうと判断を下し――
「こらこらアメリカちゃん?灰が落ちますよー」
「うん、いつまでたってもフランスがちゃんと解説をはじめようとしないからね」
 もう一口だけ吸ってからプラスチックの安っぽい灰皿へと投げやりに押しつぶした。結局、おいしいと思って吸っているわけでもない。
 コーヒーだってすっかり冷めてしまった。
「解説、か。それにしたって、わたしに言えることは少ないんだけれど」
「もったいぶらないでよ」
「知ってたらとっくに話しているわ。特に口止めされているわけでもないし」
 天井、イギリスの眠っている階上の寝室のほうを見やって、フランスは二本目を吸いだした。
「逆にあなたは何を知っているの?アメリカ」
「イギリスのこれがストレスらしいってことくらいは言われなくても分かってたよ。……なにがストレスになってるのかはさっぱりだけど」
「さっぱり?」
「さっぱり。だってあたし、なにもしてないもん」
「なにもしてない?」
 曜日を間違えて、イギリスの料理のまずさを指摘して、当り前のことを、言葉を繰り返して。
(イギリスはアメリカの姉ではない)
 確かにただそれだけ。
「気持ち悪いよ、フランス」
「あら、それは失礼」
 アメリカは急に居心地の悪さを覚えてソファから微かに腰を浮かせた。テーブルの上に置かれているのは普段使いのマグで淹れた何故かキッチンの棚から見つかった未開封のインスタントコーヒー。灰皿の灰は早くも三本分になろうとしていて、ラベンダーの香りなんてもうどこにも見つけられなかった。
 彼女の場所に、知ってか知らずか今はフランスが当たり前のように腰かけている。頬にかかるみだれ髪も、それを払う仕草も厭味ったらしいくらいに「美しい」女が。
 イギリスはどう思うんだろう、と詮無きことを考えはじめたところで、フランスの開いた口から細い煙とともに言葉が漏れた。
「むかしむかし、まだこの学園がなかったころの話です……」
 煙は天井に届かないうちに拡散してしまう。
「国たちはお互いに、家庭教師のまねごとをして知識を伝達し合っていました。上司の間の争いごとは増える一方だったのですが、もはやシンボルとしての機能を彼女らはなさなくなっていましたから、それはそれはとても平和な交わりでした」
「それ、昔話?」
「ひとまず最後までお聞きなさいな。もっとも時間がたつにつれて、やがてこの習慣も一旦忘れ去られるようになった折も折、ある年若い国が彼女たちの間に舞い降りました。彼女の上司が、この娘を一人前にするよう望んだのです。
『まあ、この子をどうしましょう』
 とある国は言いました。
『彼女からわたしのようにはなりたくないと言い出したというのに』
 けれども次第に台頭しつつあった娘との関係を悪くすることは、誰の望むところでもありません。ことは自然と、では誰が彼女を自らの陣営に引き込むのか、という方向に流れていきます。いつ終わるともしれない会議がはじまり、やがてそれまではいくら意見を求められても頑なに押し黙っていたある国がこう言いました。
『姉たる私に権利があるわ』
 と。
 確かに彼女には権利があったのです。しかしそれはもちろん姉としてのものではなく、権力としての権利でした。娘を無視できない以上に、彼女の声を無視することはそのころ不可能だったのです。そしてすべてが決まり、娘はやってきました。場所だけは他の国々の意見も取り入れられて、大陸のとある図書館の近くに下宿を装った小さな屋敷が建てられました。
 時の流れるにつれ、教育は順調に進んでいったといいます。
 視察にやってきた娘の上司は、満足そのものといった表情を浮かべたのだといいます。
作品名:Ladybird girl 作家名:しもてぃ