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影に虫食むや〈1〉

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でも本当に、本当にこれがシズちゃんだったとして、やっぱりどっかおかしくなったんだとしか思えない。頭打ったのか? あの石…鉄頭を? でも服も汚れてないし血も出てない。いやいつもそんなもんだったか? それかもしくは、何か変なもの拾って食べたとか。


「……」


有り得る。ナイス俺。有り得るっていうか、それしか考えらんないんじゃない? このシズちゃんは何か変なもの食べてラリってる状態なんだ。
嫌いそうに見えたけど何か危ない薬にでも手を出したか? 仕事柄少なくともそういう業界の片鱗に片足突っ込んでる男だ。本人の意思ではなく間違ってという可能性も否めない。でもどうしてそのツケが俺に回ってくるのかは絶対に理解したくもないし、ただの傍迷惑なんだけど、でも今のこの状況を受け入れるにはそれしかもう縋る事実はない。
俺は袖に忍ばせていたナイフを一旦引っ込めると、代わりに携帯を取り出してある番号にかけた。
呼び出し音が5回程鳴ったところで、やっと望んだ相手が電話口に出る。


『はいはーい、ってか今日忙しいんだけど』
「…ちょっと新羅。いきなりそれはないんじゃないの」
『だって君の持ってくる仕事はいつも面倒だって分かってるしさぁ。俺は今日は! 忙しいの! セルティとやっと休みが被ってこれからデートなんだから! いつもいつも彼女の帰りを待ちわびる僕の心情と言ったらまるで倚門之望、あ、これじゃ母親だけどそれ以上に深い愛情を持って毎日毎日…』
「新羅、今俺は君の御託に付き合ってられる程余裕のある身じゃないんだよね。分かったらさっさと俺の家まで来てくれる?」
『……なに、また粟楠会でヤバイことでもしてきたの?』
「いや、別に粟楠会での仕事は順調に終えたよ。少し疲れてはいるんだけどね。治して欲しいのは俺じゃない、シズちゃんだから」
『静雄? なんで彼が君のマンションにいるのさ。天変地異?』
「これなら天変地異の方がマシなんだけどねぇ。たぶん、今シズちゃんおかしくてさぁ」
『え、え? おかしいって、一体なに?』
「それが薬でもやってんのかシズちゃんが俺の家のソファで勝手に――ぶぐふぉアっ!!!!!」
『え!?』


電話中いきなり頭に衝撃が舞い降りた。その反動で俺は床に携帯を放り出して転げ、ついで近くでごとって何かも落ちてくる。
痛みにクラクラする頭でその落ちた何かを見るとそれは俺がテーブルに置いていた将棋の折畳式盤だった。シズちゃんが投げたんだろう。コントロールはからきしだったけれどこれだけ距離が縮まってれば当たるみたいだね。てかそりゃ頭に当たったら痛い。ていうかもしくは死ぬよ。
放り投げてしまった携帯から新羅のどうしたという声が幽かに聞こえてくる。でもその携帯を取る前に俺は脳震盪なみの視界の混迷さに立ち上がることもままならない。


(やば)


どうしよう、意識が遠のく。こんな状態で、今この場で俺が意識飛ばすとか不利益にしかならない、のに。分かってるのに身体は摂理に従うように、俺の視界は霞んでいった。

















「ん…」


なんか枕が固い。
あれ、俺ん家の枕ってこんな固かったっけ。確か羽毛だからもっと柔らかい筈なんだけど。


「…?」


なんでだろう、頭がズキズキする。だけどこの枕固いから更に痛い。でも不思議だ。なんか暖かい。
電気布団は身体に悪いから俺は好まないけど、でもこんな暖かいならちょっといいかもしれないなんて思ってもみたり。でもこの固さはいけない。俺柔らかいのじゃないと嫌なんだよ。
そう思ってたらふわとなんだか頭に柔らかい感触が乗った。いや、柔らかいのは上じゃなくて下がいいんだけど。でもこれはこれでなかなか心地良いから別にいっか。
あれ? でも俺一体いつの間に寝たんだろう?


「ッ!?」


思い出した。
帰ってきたら家になんでかシズちゃんがいて、それはとても有り得ないことだし気持ち悪いと俺はシズちゃんを治してもらうため新羅に電話したところで…シズちゃんに物投げられて脳震盪起こしたんじゃなかったっけ? あ、けっこう経緯覚えてるしここまで状況を確認できたってことは脳には異常がないみたい。それはそれでいいけど、じゃあ、ここは?
重かった瞼をぱちくりと開ける。そしたらまたその視界にとんでもないものが映りこんできた。


「お、起きたか。おはよう臨也」
「…っ、」


出来れば夢であって欲しかった。いや夢だとしても俺がシズちゃんの夢なんざ見るなんて胸糞悪くなるっちゃなるけど、現実だってことよりはマシだ。しかもまた挨拶なんてしてきやがった。今度は更に微笑みつきで俺の頭を撫でながら。悪夢だ。
そして俺は再度己に置かれた状況を確認する。目の前にシズちゃんが覗き込むように俺を見やっている姿があって、そして俺の頭の下の固い感触は、……信じがたいことに人の腿である。そう、状況から察するに俺はシズちゃんに膝枕されている、と受け入れたくない事実の真っ只中にいるのだろう。
あえて問いたい。誰にとは言わない、俺の疑問に答えてくれるならばもう誰だっていいさ。だから教えてくれ。
どうして、こうなった?


「シズ…ちゃん、」
「なんだ?」


ああ、人の頭の上で煙草吸うのやめてくれるかな。灰がコートに落ちたらどうすんの。弁償も出来ないくせに、てかしようともしないけどこの男は。ちょっとは考えてよね。


「ねぇ、君、どうしちゃったの? 俺のこと嫌いでしょ? 俺に物投げたのは腹立つけどそれはそれでもういいよ。でもなんで君が俺を介抱してんの。普通の人間は嫌いな相手に膝枕なんてしないもんだよ?」
「普通じゃないんだろ」
「……いや確かにいつも俺が君にそうは言ってるけどね。でもこれは違う。それ以上に普通じゃないんだよ、わかってる?」
「そうなのか」
「え、」
「俺がおまえに優しくすることは、おかしいことなのか?」
「……ちょっと待ってよ。本気で言ってるの?」


俺を膝に乗せながらシズちゃんは真顔でそんなことを言ってくる。
なんだ、これは。
もうおかしいとか不思議がってる場合じゃない。明らかに異質だ。これはシズちゃんじゃない。シズちゃんが俺に優しく? 有り得ないんじゃない、あってはならないんだ。
彼は記憶でも消えているのだろうか。でもそしたら俺の名前も、家も、何も分からないのが普通だろう。でもこのシズちゃんは行動が通常と異なるだけでそれらの記憶はちゃんとある。煙草も、彼のお子様舌も、なんら変わることはないのに、ただ俺への行動全てが明らかに異質なんだ。
まるでシズちゃんのコピー。だが完全なるコピーじゃない、不出来なそれだ。でもそんなことが現実に起こりうるのだろうか?


「俺は別に、おまえのことが嫌いじゃない」


でも、それ以外に、一体何があるというのだろう。


「本当は、おまえと理解(わか)りあえたらと、思ってる」


これは現実だけど、


「喧嘩なんざ、したくねぇ」


現実(リアル)じゃない。


「俺ァ、昔っから。おまえのこと、」


頭の悪い、冗談めいたナイトメア。


「っ、」

作品名:影に虫食むや〈1〉 作家名:七枝