あと少し歩み寄れたなら
喧嘩を売られるのは日常茶飯事だった。
俺の特異体質はなぜか広く知られるところだったし、俺の短気も自覚済みだった。売られた喧嘩は必ず買う。そして今日も俺は売られた喧嘩を簡単に買った。ただ、いつもと違ったのは、相手が数だけで俺を押そうとしなかったことだ。奴らは何故か銃を持っていた。日本で銃を持ってるなんて普通に考えておかしい。しかもそれはライフルだった。まじで頭がイカレているとしか思えない。いや、もしかしたら奴らの中に狩りがシュミの奴がいたのかもしれない。それであんなものを持ってたのかも。だからってそれを人に向けちゃいけないと俺は思うんだが。とりあえず俺は、それで、撃たれた。一瞬、なにが起きたかわからなかった。ああ、俺撃たれたのか、と気づいたときには奴らは霧散していて、俺は狭い路地にひとり倒れていた。あいつらぜってぇぶっころす、と心に決めたのはいいものの、俺の体から赤いものはどんどん流れていって、やがて頭の中がぼんやりしだした。
こわい。
俺ははじめてそう思った。
そうして心の中に浮き上がってきたのは、殺したいほど嫌いすぎて一緒にいるとむしろ俺がしにそうな、黒い髪をしたあの男だった。
その男にはじめて会ったのはたしか俺がまだ小学生のころだったと記憶している。
早くに死んじまった親父の顔を俺は覚えていない。ただ、とてもやさしいひとだったということは聞いている。その男も、親父と同じまっすぐな黒い髪をしていた。母はその男を自分の新しい夫として迎えた。そして俺とその男を引き合わせたのだ。新しいおとうさんよ、と母はやさしい声で俺に言った。「折原臨也です。よろしく」そう言って手を差し出したその男は、整った顔に綺麗な笑顔を張り付かせていた。俺はなぜだかぞっとした。母にうながされるままその手をとって、軽く握り合ったあと、俺はその男にだけ聞こえるようにちいさな声で呟いた。「気に喰わねえ」
1年後、母は弟を出産した。弟はやはり黒い髪をしていて、けれど俺とはまったく違う顔をしていた。「幽と名付けたよ。シズちゃんとお揃いになるように」男はやさしげに笑って俺の頭を撫でた。俺は怖気がした。その瞬間その手を払って逃げ出したかった。男と一緒に暮らすようになって1年、そんなことがほぼ毎日繰り返された。「シズちゃん」ときもちのわるい愛称で俺を呼ぶ男はいつも真意の読めない笑みを浮かべ続けていた。俺は男が大嫌いだった。けれど母から産まれた弟はかわいかった。俺は弟を溺愛した。あの男のようにならなければいいとそう思った。弟が歩けるようになると毎日遊びに連れて行った。幽は俺の一番大事な存在になった。
そんなころ、俺は自分の特異体質に気がついた。めずらしく幽と喧嘩をして、キレて家で冷蔵庫を持ち上げようとしたのだ。俺の体は脳が怒りを感じると全筋肉のリミッターを外すように出来ていた。そのことをしったときのあの男の笑みを俺は忘れない。あれは人を見る目じゃなかった。ガキが新しいおもちゃを見つけたときの目だ。俺は、その目がときどき母に向けられていることをしっていた。盲目的なまでに男を愛す母に、その目を向ける男が俺は大嫌いだった。その目が俺に向けられた。俺はしった。自分はあいつの「おもちゃ」になってしまったんだということを。
そしてそれは俺たちの戦争の始まりだった。
ふだん俺たちは何事もないように話し、食事を一緒にとり、笑いあった。けれど瞳の奥ではいつも相手に隙を見せまいと必死の攻防を繰り広げた。俺の力はあいつの興味をそそるのに充分だったらしく、母にあの目が向けられることはなくなった。それでも母は男を愛し続けていた。俺は母がはやくあの男と別れることを願った。毎日のように祈った。けれど仮に別れてくれたとしてもあいつが俺の力を野放しにするだろうか。それに幽のこともある。幽はなにをどうしてもあの男の息子なのだ。それはもうどうしようもなく。
俺はあの男へのあてつけのようにどこでも力を使いまくった。あいつが俺の力を利用したり出来ないように、それで俺の大事なひとたちが傷つかないように。おかげで俺はまわりから恐れられるようになり、こうして毎日のように喧嘩を売られるようになった。
当然、心も荒んだ。
父親ゆずりの黒髪は、あいつに似ているような気がして脱色して染めた。金色になった髪にはもう黒の名残はない。友人のいない俺はさらに教師たちからも遠ざけられるようになった。もはや呼び出しさえも喰らわない。ただ、俺の弟だということで幽が苛められないかだけが心配だったが、逆に俺の弟だということは最強の盾になるようで、その心配は無用のようだった。俺の心にあるのはもう、母と、幽と、あの男だけだった。あの男を殺したい。それだけだった。
あの男のほうも、俺が高校生くらいになると、もはや本性を隠そうともせず、ただ俺の力を利用してやろうという魂胆丸出しの目で俺を見ていた。だが、俺があの男を本気できらっているのが伝わったのか、あいつのほうも俺のことをきらっているようなふしがあることだけが俺の救いだった。これで好かれていたら吐き気では済まない。俺たちはふだんは仲良しごっこをしながら裏で戦い続けた。俺はあいつが関わっていそうなもめごとはぜんぶ力で片付けた。あの男のもくろみはすべて潰してやるつもりだった。
いちどだけあの男がこう言った。「シズちゃんの暴力はさ、理屈もなんも通じないから苦手だよ」俺はそれが嬉しくて、俺の暴力はどんどん激しさを増した。
作品名:あと少し歩み寄れたなら 作家名:坂下から