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憧憬に煌く 赤の 赤

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市場のほぼ中央にある大きな寺院。
巨大な眼が描かれた仏塔。
その裾野に広がる階段。
露天が数多く連ねるその場所に、あいつは小一時間ほどして現れた。
共にいた娘への説明が長引いたと頭を下げた表情には、一瞬見せた強張りはもうない。
改めてオレがこの十年何をしてきたのかを問われたが、かわりに近くで死に掛けている女の話を聞かせた。
先日、女が自ら語った半生も。
「・・・高校のころから、知り合いで・・・。学生の時、一足先に世界を見てくるねって、それが最後だったんだ・・・」
呆然としながらそう言った姿はまるで十年前のアイツがそこにいるような既視感に囚われた。
血の気の失せた顔。
不安に取り付かれた姿。
息をするたびに、その存在を薄くするかのような。
組まれた指が、小刻みに震えていた。
女が会いたいと漏らしたことは、伝えてはいない。
ついて来いと、言ったわけでもない。
それでも、青い顔をしながらあいつはついて来た。
舗装されていない道は、黒煙を上げながら車が走るたびに砂埃を舞い上がる。
剥き出しの石や崩れかけた路肩に足を取られるあいつの姿は、この国に慣れた者だとは思えなかった。
少し後方を歩くその顔は相変わらず血の気がなく。
これから向かう場所に、ひどくふさわしいものに思えた。
廃墟のような塒にたどり着いた時、ほんの数秒あいつは瞠目した。
自らが存在するすぐ傍で、知人が死に掛けていることに驚いたのか。
それともこんな場所を知人が塒としていることに驚いたのか。
死に行く者と向かい合う覚悟だったのか。
一つ、息を吐いて。
顔を上げたあいつにはもう過去を髣髴とさせる空気はなかった。
十年という時の隔たりを、そこに感じた。
過去こいつを監視した日々で、こんな表情は見たことなどない。
あの全てにおいて歪だった医者はこいつの変貌を残念に思うだろうか、と詮無い思いが浮かんで消える。
「知らせてくれてありがとう、刃霧」
壊れたドアの入り口で、あいつは振り返らずにそう言った。
このまま共にあの女の元に向かうべきか。
それともここを離れるか。
ほんの一瞬、躊躇する。
けれどそれを見透かされたように、呼ばれた。
「刃霧がいないと。彼女が不安がるだろ」
困った風に笑われて。
それがやはり、過去の風景と重なる。
ズキズキと頭痛がしてくる。
とうに擦り切れてしまった過去を、目の前で再現されることに、疲労感が募る。
少し、後悔した。
気まぐれなど起こすものではないと。
わざわざこいつの前に姿を現さなくとも、方法なら色々あったはずなのに。
それでも、今更振り払う気にはならなかった。
どうせ、僅かな時間。
女が死ねば、それで終わりの茶番だ。
入り口から一番遠い部屋の、立て付けの悪いドアを蹴るようにして開ける。
室内に淀んでいた腐臭が、フワリと身体を取り巻いた。
明らかに濃くなっている、死の臭い。
『どんどん体が腐っていってるんだって』
淡々と女が告げた事実を思い出す。
大学在学中にバックパッカーとして、アジアに一人旅に出て。数カ国目の国で拉致され、どこかの国に売られたのだと笑っていた。
馬鹿だな、と言うとまったくだと、また笑う。
数年後に人権保護団体に保護されるも、こうなってしまった自らを家族に知られたくないと、その団体から逃げ出したと言っていた。
こう見えても昔は自慢の娘さんでね、と疲れたようにまた笑った。
病は売られた先でうつされた。
もう元には戻らないのなら、残された人たちには現実よりも、少しでも幸せな夢を見ていて欲しい、と。
オレはそれを崩した。
あいつに会いたいと、女は言った。
だが、ドアを開ける音に虚ろに振り返った女の瞳には恐怖が張り付いている。
死ぬ前に、多くのものが浮かべる恐怖の眼差し。
死神の姿を目にしたものの恐怖だ。
オレはこの女のなにを撃ちぬこうとしている。
末期のような張り詰めた空気。
「やっと会えた」
けど、あいつの一言でその空気は解けた。
場違いなほどの、穏やかな声。
死の満ちる箱の中で、それを感じさせない声音。
ヒッ、と。
女の喉が鳴って。
枝のようなやせ細った腕を持ち上げて、女は顔を覆った。
「み・・・た、らい・・・く・・・」
搾り出された、弱弱しい声。
女のそんな声は、一度も聞いたことはなかった。
戸惑うことなく僅かに変色した女の手をとって、女の言葉を聞き、女が口を噤むと自らが言葉を紡ぐ。
それはあの青白い表情を浮かべていた姿など、微塵も感じさせなかった。
邂逅はたった数十分。
女が穏やかな表情を浮かべ、言葉が途切れがちになって。
「御手洗君は、綺麗な、しあわせな、過去、で、夢・・・だった・・・」
唯一取り上げられることがなかったものだと、震えるように女
の唇が弧を描いた。
コトリと沈黙が落ちたのは、その直後。
弱弱しい呼吸音が微かに聞こえるが、それに安堵する様子はあいつにはなかった。
傍目にも時間がないことは明らかで。
このまま、もう目を開かない可能性だってある。
「・・・刃霧」
先ほどまでの穏やかな声はどこから出していたのかと思うような、細い声。
こいつの方が先に事切れてしまいそうな儚さで、女の手を握る手は震えていた。
だが、一人で死ぬことを怯えていた女は幸せだろう。
こうして、自分のために泣く人間が現れたのだから。
「ボクは・・・彼女の家族に連絡を、いれる」
それを望んでいないと、女は直接こいつに語っていた。
綺麗な思い出を生かし続けていたいと。この現実を知らせるのなら、まだマシな想像に打たれていた方がいいと。
「好きにすればいい」
こいつがどんな言葉をオレに望んでいたのかは知らない。
人間の行動は身勝手なものばかりだ。解釈も勝手に都合のいいものばかりを寄せ集める。
「・・・彼女を、病院に・・・」
「もうどう足掻こうと助かりはしない人間だ」
続いた言葉は打ち据えた。
残り僅かな生ならば。
いつかあの人がそうしたように、その思いを貫き通せばいい。
入ろうと思えば、女はいつでも病院に入れた。
どうすれば自分の国に帰れるか知っていた。そう難しくない手立てであることも。
だが、その全てを拒否したのだ。
それは。
いつか、語り合った夢があるからだと。
「哀れみの視線には晒されたくない。どんな結末でも、自分の人生を欠片も悔いたくないと、その女が言っていた。哀れまれながら、寝床と食事を供されるなら、道端で人知れず朽ちることを選ぶ、と。お前にこの女の信念を覆す権利があるか」
そう言うと、あいつは口を噤んだ。
おそらく信念を覆す覚悟はあるかと問えば、覚悟はあると応えただろう。
人間の最期の信念を覆す権利なんかきっと誰にもない。
けれど、権利などなくても、それをいくらでも踏みにじることはできる。
だが、こいつはそれをできない。
いつもオレとこいつの間にあった溝。
できる人間と、できない人間。
「・・・領事館に連絡をいれてくる」
オレが、女の家族が女の最期に間に合わないことを確信していることを感じ取ったのだろう。
あいつは視線を合わせずにそう言って、この廃墟から出ようとした。
煮詰まったように濃くなった死の臭い。
帰ってくるまで持たないと、死期を読み取ることに長けた嗅覚がそう告げている。
作品名:憧憬に煌く 赤の 赤 作家名:綴鈴