日々、徒然
「お呼び出しの件には、伺いますと返事を返したと思うんですが、先生」
強制的につれてこられた王宮で、ハウルは相変わらずの笑みを浮かべてサリマンの前に立っていた。
一種独特の魅力があるその笑みにも、サリマンはまったく動じることなくサラサラと何か書類に書き込んでいる。
無理矢理呼び立てておいて、なのに相手を無視したその態度があまりにも普段どおりで。
ほんの数ヶ月前、この人に殺されかかったことを頭の片隅で考えて、この人にとってはたいしたことではないんだと、邪念は振り払う。
この目の前の、一見優しくて誠実そうなハウルの師匠は、己の信念には感嘆するほど誠実であるのだけれど。
傍に居るものにはただ迷惑な人だった。
いや、そう遠くない過去のハウルも師匠に似て。
けして褒められた性格ではなかった。
それが、人に誇れるようになったかといえば、そんなことはまだなくて。
言い換えれば、ようやく心の成長段階に入ったとも言えるような、情けない状態だった。
「だって貴方、そう言ってよく逃げてたじゃないの」
さらりとそう言われて。ハウルは微笑むことで返事をした。
できれば、今だって。こんなところには居たくない。
「それにあの娘と一緒に来たら、それこそ顔を見せただけで帰るつもりだったんでしょ、この前みたいに」
それにもハウルは微笑むことで返事をする。
聞かなくてもわかっていることをわざわざ言葉にする、この意地の悪い師匠。
師匠の方も、ハウルが返事をすることなんて期待してはいない。
「それで貴方。今もあの娘と暮らしているの」
まるで母親の小言のような物言いに、今度はちゃんと返事を返す。
「これからも、そのつもりです」
書き終わったのか、サリマンが顔を上げるとすぐに住持の少年が現れて、サリマンの手からそれを受け取ってかえっていった。
「それは残念なこと。だってあの娘、貴方にはもったないもの」
ようやく顔を上げての師匠の言葉がそれで、ハウルは今度は心からの苦笑を浮かべる。
罠を仕掛けるようなことは平気でやってのけるけれど。
嘘や偽りだけは絶対に口にしないサリマンの言葉はいつだって本心だ。
「もう少し魔力が強ければ私の弟子にしたいくらいよ。なんせ、最後の弟子と思って私の全て教え育てた者はとんだ臆病者だったから。本当にあの娘は度胸のある子」 「僕だって、そう思いますよ。・・・先生、だったらその不肖の弟子などさっさと見切りをつけて、新たな後継者をお探しになったらどうです?もちろん、言うまでもないことだと思いますが、先生が新たな弟子に欲しいと思ってる女性には先約がありますので、僕のことと同様に諦めてください」
すっぱりと言い切ったハウルにサリマンはフフフ、と笑った。
その優しい声音とは裏はらに、とても恐ろしい人。
彼女の不興を買えばどんな目にあうか、嫌と言うほど思い知っている。
「あの娘が貴方おなじ道を選ぶかしら?荒地の魔女の呪いを自分で解いた娘よ。貴方が何度も挑戦して解けなかった呪いを、自ら解いた娘。あの娘の前には無限の可能性が広がっているわ。・・・そうね。望むのなら一国の妃くらいにはなれるでしょう。貴方にはもったいないわ」
それが暗にどこかの案山子を指しているのか。
それとも更なる含みがあるのかはわからなかったけれど。
ハウルは気にしていない風に、弱音を吐いた。
「先ほども申し上げた通りですよ、先生。僕もそう思ってます」
「あら、自信家の貴方が珍しいわね」
自信家などといいながら、それが虚勢であることを十分に理解しているはずなのに、サリマンは言った。
やっぱり恐い人だと思いながらも、ハウルは駆る口をたたく。
「たいていは僕の思う通りになりますからね」
けれどその言葉裏には、彼女は例外だと読み取れて。
サリマンは再度笑った。
「・・・これ以上意気地のない貴方を苛めても仕方がないわね。今日はもう下がりなさい。けれどこれからの後片付けに貴方の力が必要になるだろうから、手伝っては貰いますよ」
『片付け』と戦禍のことを言ってのけたサリマンにハウルは仰々しく頭を下げるとさっと踵を返してガラス張りの部屋を後にする。
かつてハウルもこの世界で生きていた。
けれど、サリマンや王のように生きていくことに息苦しさを感じて、王宮から逃げ出したのだ。
人に関わると、そこには感情が生まれる。
ハウルは誰にどう思われてもかまわない、と思える人間ではなかった。
だから、軽い接触だけを求め、それだけに留めてきた。
サリマンはそれを弱さだといった。
ハウルもそれを弱さだと認めていた。
そうして、ずっと生きていくのだと。
けれど。
「・・・・・・」
無意識に唇に笑みを浮かべ、ハウルは家族の待っている家へと急いだ。
今はそうじゃないと、知っているから。