縹色
いきなりかかった声に慌てて振り返ると、おそらくさっきはぼうっとしていて気付かなかったのだろう、ベッドから少し離れた横にある椅子に、こともあろうにあいつがいた。さっきまでのことはたしかに夢で、けれどその始まりは階段を降りて使用人を見下ろしていたときからとでも言いたげに、眼鏡をしているあいつが。
背中から毛布を羽織るようにして、おそらく座ったまま眠っていたのだろう、目がとろんとしていて、瞼も完全には開いていない。
「な、んで、」
「なんでって。君が最近外に出てないって聞いて、こんなおれでも責任を感じて、大丈夫かと様子を見に来たんだよ。けど君ってば本当によく寝てるし、起こすに起こせないじゃないか。」
「なんだよ、それ、」
「外には出た方がいいよ。ずっと部屋の中にいるときのこが生えるって、おれの上司が言ってたよ。出かける用事がないっていうなら、おれの顔でも見に来てくれたらいいじゃないか。得意のひやかしや嫌味でもいいけど、頭からきのこ生やしたきみなんておれは見たくないんだぞ。」
唇を尖らせて、まだ起きぬけの掠れた声で、けどそいつは淡々と言った。
こっちもまだ起きぬけの頭が、その饒舌に次々落とされた言葉を拾いきれないで、回路が空回る。
「いま、なんて言った?」
「だから、頭からきのこ生やした君はただでさえオカルトなのに不気味に拍車がかかって――」
「その前だよ、ばか、」
「そのまえ?あぁ。出かけるあてがないならおれのところのおいでって。そりゃあ、いろいろはあったけど、君を憎んだりしてはないし、来たからって追い返さないよ。嫌な顔はしてやるけどね。」
言って笑うそいつは、昔とは違う、けど本当に明るい笑顔をしていた。
やっぱり、おれは転んで頭をぶつけて気を失っているのかもしれない。午後五時に起きて、階段を降りて、昔の事を思い出して、女の子の声に逃げ出して、転んで、いまこんな夢を。だってそのほうが、セオリーに則っているじゃないか。八当たりに使用人を解雇してやろうとか、出かけたくせにすぐ帰るとか、背中を丸めて逃げ出すとか、そっちのほうがよっぽど現実感がある。
あいつが、こんなことを言うものか。おれが、そんな言葉に無防備に泣いたりするものか。きっといまこっちが、たとえ目頭が焼けるように熱いとしてもそれさえ錯覚できっと、夢なんだ。