イブニング オブ メモリーズ
その日から明王は少年に土手の片隅でサッカーを教わった。何も知らない明王に少年は丁寧に、時に厳しく教えてくれた。
名前も知らぬその少年を明王は「兄ちゃん」と呼び、懐いた。
明王は夕焼けに染まる時間を毎日楽しみするようになった。
最初は見当違いの方へ転がっていた明王の蹴ったボールは、しかし一ヶ月もすればちゃんと少年の足下へ届くようになっていた。
「お前、筋が良いな」
「すじ?」
「上手だってことだ」
少年に褒められ、明王は照れて後ろ頭を掻く。
そこへ明王と同い年ぐらいの少年が駆け寄ってきた。
「なあ、いっしょにサッカーやらないか?」
ニカッ、と、少年は笑顔を見せる。
以前も同じような事があった。その時、明王は上手く返答することが出来ずに一人になってしまったのだ。
だが、今回は。
「混ぜてもらってこい」
「い、いいの?」
「当たり前だ。実戦なくして上達はありえないぞ」
明王としては練習に付き合ってもらっている身の上で少年を置いて参加していいのものだろうか、と思ったのだが、少年は明王の気を知ってか知らずか、その背中を押した。
「なあ! 行こうぜ!」
誘ってくれた少年は明王の手を掴むと、半ば強引にグランドまで引っ張っていった。
首だけ振り向き、明王は上級生の少年に何かを言おうとしたが、少年はただ手を振り、明王を見送った。
初めて混ぜてもらったサッカーは楽しかった。一生懸命にボールを追いかけながら明王はいつの間にか少年のことを忘れていた。
日が落ち始めた事でその日の練習は終わりを告げた。
「おまえ、サッカーうまいな!」
最初に声を掛けてくれた少年が汗を輝かせながらそう言った。
「そ、そうかな」
「ああ! これからもいっしょにサッカーやろうぜ!」
「うん!」
少年は明王の二番目に出来た友達となった。
一番目は勿論。
土手のサッカーに交えてもらい始めて数週間経った。明王は毎日放課後、土手に走ってくると同年代の少年達と一緒にサッカーを楽しんだ。
その間も例の上級生の少年は土手に来ていた。だが、明王と関わるのは最初の数分話すぐらいで後は只ただサッカーをする明生達を見つめるだけだった。
「明王、すっかり皆と馴染んだみたいだな」
「なじむ? 分からないけど、皆とサッカーするのはたのしいよ」
「それは良かった。もう、安心だな」
少年の言葉の意図が分からず、明王は首を傾げる。どういう意味か、と、問い掛けす前に少年は土手に下ろしていた腰を上げた。
尻についた土を払うと少年は川に反射した夕焼けの光を浴びながら言った。
「じゃあ、またな」
それがいつもの「またな」ではない、明王は直感的にそう思った。しかし、どうすればいいかまでは分からず、明王の方はいつものように少年の背に手を振った。
何が違ったのかを明王が知るのはそれから一週間と少し、少年が全く土手に来ないことに気付いてからだった。
◆ ◆ ◆ ◆
帝国学園は各地から通っている生徒も多く、そんな生徒の為の寮が設けられていた。明王もその寮の一つに住んでいた。
明け方、簡素な部屋にあるベッドの上で明王はあまり気分の良くない目覚めを迎えた。
もう残暑も終わりを迎えるというのに、額にうっすらとかいた汗を拭う。
「……また、あの時の夢か」
深い溜息を吐き、もう一眠りしようと掛け布団を被る。しかし、同時に扉を叩く音がし、その向こうから「不動、そろそろ起きろ。朝練だぞ」と、いう源田の声が聞こえた。
「くそっ」
小さく毒づくと明王は渋々ベッドから出た。
源田は律儀にも部屋の外で明王を待っていた。
「一緒に行こう」
「……暇な奴……」
折角の誘いも無下にすると明王は一人でさっさとグラウンドに向かう。
朝練のメニューを告げられ、やはり明王は一人それをこなす。全てを終えた頃にはサッカー部以外の生徒達も登校してきていた。
明王がその中に鬼道の姿を見つけた時、佐久間は既に鬼道に駆け寄っていた。
「こんな朝からどうしたんですか?」
「いや、総帥に呼ばれていてな。今日も放課後来るつもりなんだが、大丈夫か?」
「勿論です!」
佐久間の力強い言葉に鬼道は微笑むと、じゃあ、と、手を軽く上げて去っていった。その瞬間、ゴーグルの奥にある鬼道の瞳と目があったように思ったのは明王の気のせいだったのか。
鬼道が来だして二ヶ月程になるが、今だ明王はゴーグルを外した鬼道を見たことがなかった。普通であれば何故あんな物を着けているんだと気になるところだろうが、明王は別段気にしてはいなかった。只の『変わった奴』。そして、実力のある『気にくわない奴』それが明王の鬼道への印象だった。
放課後再び明生達の前に姿を現わした鬼道はいつも通り練習メニューを聞き、それにアドバイスをし、暫く部員の練習風景を黙って眺めていた。
明王も相変わらずグランドの隅を陣取り、今日は壁打ちをしていた。
鬼道の指示を二つ返事で聞く部員達を横目に明王は、さっさと帰ってしまえと胸中で呟いた。
入部して早半年が経つ。しかし、明王は今だレギュラー入りを果たせずにいた。内心それに焦りを感じていた。だからなのか、今日の明王のボールは軌道が安定していなかった。
足下に戻ってくることなく、横を通り過ぎてしまったボールに明王は舌打ちする。このままでは。
「どうした?」
いつの間にか近づいてきていた鬼道が、明王の転がしたボールを手に声を掛けてきた。明王はもう一度舌打ちをし、鬼道を無視した。
普段ならそこで引き下がっていた筈の鬼道が今日は何のつもりか、更に明王の傍に寄ると再び「どうかしたのか?」と、聞いてくる。
「……」
「今日は調子が悪そうだな。無理はするな」
「……」
「なあ、不動」
「……俺に話しかけんじゃねえ」
自分よりも身長の高い鬼道を見上げて、睨みつける。その眼光は拒絶を言葉と同じく露わにしている。
鬼道の手からボールを乱暴に奪うと、明王は再び壁に向かってボールを打ち込み始めた。
暫く黙っていた鬼道は、突然明王の横を通り過ぎ、壁から跳ね返ってきたボールを受け止めた。
「なっ!?」
「どうだ、俺と一緒にサッカーしないか?」
「ふざけるなっ」
声を荒げた明王は勢いよく鬼道に向かって走り出す。ボールを奪おうとした明王の足は華麗な動きで避けられる。
舌打ちをした明王は再度奪いにかかる。しかし、何度鬼道に向かっても明王はボールを取り戻せなかった。
数度、攻防を続けていたが、とうとう明王は痺れを切らして叫んだ。
「何のつもりだ!?」
部員達がその声に驚き、視線を集めたのが背中で感じる。しかし、明王は黙らない。
「俺をからかってそんなに楽しいか!?」
「お前をからかっているつもりは全くない。言っただろう。俺とサッカーをしないか、と」
「俺も言ったはずだ。ふざけるなってな!」
猫が威嚇するように明王は息を荒くしている。
――鬱陶しい。年上ぶっているのか。大人のつもりか。一人でいる俺に手を差し伸べているつもりか。思い上がりもいいところだ。俺は望んで一人でいる。同情される為じゃない。
作品名:イブニング オブ メモリーズ 作家名:まろにー