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イブニング オブ メモリーズ

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 器用に爪先でボールを掬い上げて手に持つと、鬼道は真っ直ぐに明王を見つめた。
 ゴーグルの奥にある目は色を見せない。鬼道が何を考えているか、明王には全く想像がつかない。
「不動。お前は何故、そんなにも周りを拒絶するんだ」
「――は? 何言って、」
 持っていたボールを明王に差し出してくる。しかし、それ以上の言葉を発しない鬼道に明王は更なる苛立ちを覚える。
「……あんた、俺を馬鹿にしているのか?」
 先程までの大きく荒れた声から一変し、明王は静かにそう言うと、鬼道の手の平からボールをはたき落とした。
「もう俺に関わるな」
 無表情になった明王はそう言うと鬼道も、部員達の視線も全く気にせずにゆっくりとグランドを出て行った。
 後に残った鬼道の元に佐久間が走り寄ってくる。
「鬼道さん、大丈夫ですか?」
「何がだ?」
「だって、今不動の奴に……」
 明王が出て行った出口を佐久間は睨み付ける。
「そう目くじらをたてるな。さっきのは俺も悪い」
 そう言って肩に手を置かれ、佐久間はそれ以上何も言えなくなってしまった。




 グランドを後にした明王はそのまま寮に戻ってきていた。
 ジャージのままベッドの上に寝転がる。天井を見つめながら先程の鬼道が脳裏を過ぎり、顔を顰めて髪を掻き毟る。
 鞄を忘れてきた事に気付いたが、今更グラウンドに戻れる筈もなく、どうにでもなれ、と明王は枕に顔を埋めた。


 いつの間に眠ったのか、明王は気付けば夢の中にいた。
 夢の中だと明王はすぐに分かった。何故なら自分が笑っていたからだ。
 幼い明王は笑いながら複数の少年に囲まれ、サッカーを楽しんでいた。シュートを決めた明王を少年達は持て囃し、監督も満足げに明王を褒めている。
 嬉しそうに笑う自分。明王は吐き気を覚えた。
 まだ何も知らない。人間の愚かさを知らない自分は、更に愚かに見える。
 しかし、明王の意志に関係なく、夢は進行していく。
 小学校で友達を得た明王の幸せは長くは続かなかった。
 次第に周囲に抜かれていく明王に対してそれまで持て囃していた者達は手の平を返したように明王から離れていってしまったのだ。
 幼い明王には分からない。自分の何がいけなかったのか。
 どうして自分が。
 強くないからか。
 寂しさですすり泣く日々はいつしか怒りで唇を噛みしめる日々に変わる。
 その思いは次第に憎悪に繋がる。
「そんなに強さが欲しいなら強くなってやる……! 俺は強くなる。そして、」
――お前らを見返してやる!
 明王の瞳に淀んだものが揺らめき、その日から明王はただただ強さを求めるようになった。


 幼い自分を目の前に明王は咆哮する。
「めそめそしやがって! 俺は誰かの為に強くなるんじゃねえっ! 俺は俺自身の為にだけ強くなるんだっ」
 掴もうと手を伸ばしても、夢の中の明王には届かない。ただ叫び声が虚しく響く。
「見返す!? そんなくだらねえ理由は捨てろ! みっともねえ理由は捨てろ! 俺は、俺はただ強くなるだけだ!」
 純粋に、しかし、歪んでいる明王の想いは誰も知らない。明王しか知らない。
 あの夕暮れで少年を見送った日から明王は一人だった。
 暗闇に染まった夢の中。夕日は現れず、何も、誰も明王を照らしてはくれなかった。


◆ ◆ ◆ ◆


 鬼道を拒絶した日から明王は益々部内で孤立してしまった。
 あの後、鬼道自身がフォローをしたらしかったが、元々明王への不信感を募らせていた部員達にとって明王の行動は決定打になった。
 明王自身に危害を加える行為はなかったが、誰も明王に声を掛けることはなく、唯一の源田も佐久間らに止められているらしく時々視線を投げてくるだけになってしまった。
 そんな部員達の態度にも明王は気にする様子はない。幼稚だと鼻で笑う程度だった。
 明王からしてみれば元より部員同士仲良く、励まし合い、互いを刺激しあう関係などという『馴れ合い』はするつもりはさらさら無かった。
 だから、心配や同情などお門違いなのだ。
 なのに。
「不動」
 今日も鬼道は懲りずに明王に話しかけてくる。
 そして、明王は今日も夕暮れで過ごした夢を繰り返し見るのだった。


◆ ◆ ◆ ◆


 レギュラー選考会で明王が選ばれたのはそれから数ヶ月後。二年生に進級してからだった。

 総帥が呼んでいると言われ、明王は面倒くさいと内心呟きながら静かな廊下を歩いていた。
 転校してきてから総帥に呼び出されたのは二回目だ。一度目は転校してまもなくの事だった。帝国学園のサッカー部の戦力になると見越して転校を許された明王は総帥直々に言葉を貰ったのだ。「期待している」と。しかし、要は釘を刺されたのだ。「実力が伴わなければいつでも切り捨てる」そう安易に意味していたのだ。
 今回呼び出された理由はやはりレギュラーに選ばれた事だろう。だが、良い予感が全くしないのは単に総帥の徹底した実力主義の思想だろう。
 部屋の前に着いた明王が一声掛けると、部屋の中から「入れ」と、簡潔に答えが返ってきた。
 静かな音で扉が開く。部屋の一番奥で総帥がいつものように手を組み、明王を迎えた。
「何か用で?」
「レギュラー入りをしたそうだな。漸く」
 語尾が強かったことに明王は眉を上げる。
「……ええ。漸く俺の実力を認める気になったみたいでね」
 肩を竦め、小生意気な口調で言った明王を総帥はジッと見つめている。
 鼻で笑うと総帥は椅子を回転させて、後ろを向いてしまう。
「お前の実力は所詮こんなのものだったということだ」
 明王のこめかみがピクリと動く。
「もっと期待していたのだがな」
 言葉でいうよりも総帥は落胆をしているようには見えなかった。やはり、とでも言いたげな口調に明王は拳を握り締める。
 口を開いた瞬間。扉の向こうから聞き覚えのある声がした。
「総帥。鬼道です」
「入れ」
 椅子を戻した総帥は明王の時と同じく静かな、しかし、重みのある声で答える。扉から現れた鬼道は明王の姿を見て驚いた様子を見せる。
 しかし、直ぐに気を取り直すと総帥に向き直った。
「ご用件というのは?」
「この間話したお前の――」
 暫く二人にしか分からない話が続き、明王は何度も出て行こうと思ったが、さすがに総帥に無断でというのは気が引ける――というのは、建前だ。本当は総帥の機嫌を損ねるわけにはいかないだけだ。ただでさえ先程苦言を唱えられたばかりだ。これ以上気に障ることをすれば本当に追い出されてしまう。それだけは免れなければならなかった。
「――なので、またその件はきちんとお返事しますので」
「そうか。良い返事を聞けることを期待しているぞ」
「……はい」
 我に返った明王はいつの間にか二人の会話が一段落ついている事に気付いた。
 どう動くか、どうこの場を去るか、二人の様子を目で追っていた明王と鬼道の目が合う。
「そういえば、レギュラーに選ばれたそうだな」
 佐久間辺りから聞いたのだろうか、鬼道は嬉しそうにそう切り出した。
 何と返そうか明王が迷っていると、鬼道は言葉を続けた。
「おめでとう。お前ならきっと選ばれると信じていた」