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イブニング オブ メモリーズ

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 祝福の言葉にだろうか、それとも別のものにだろうか、兎に角鬼道の言葉に明王の血が瞬時に上る。
 総帥の手前、ぎりぎりでそれを抑えた明王は、しかし、苦々しげな表情で一言「失礼します」と、言うと部屋を後にした。

 部屋に鬼道が現れた瞬間から総帥の視界には明王は映ってはいなかった。言葉通り眼中になかったのだろう。
 一点に鬼道を見つめ、鬼道のことだけを考え、実力主義のあの人にとって鬼道は何よりも自慢なのだろう。
 今現在サッカー部に所属している佐久間や源田、他の部員達が何人集まったところで鬼道には勝てないのだろう。
 実力のない者は必要じゃない。それは、明王も承知のことだし、何よりその考えは自分自身と同じだった。
 力こそ全て。力ある者が制す。
 だから、明王はグラウンドに戻った後も延々と一人で練習を続けた。
 越えるべきは佐久間、源田、鬼道、そして、あの人もそうだ。
 自分よりも強い者は誰であろうと越えていく。

 明王の思い出は徐々に歪み始めていた。



◆ ◆ ◆ ◆



「こっちに回せ!」

「チッ! それぐらいのパス取れるだろ! 取れないのはテメェの力がねえからだっ」

「おいっ! こっちだ!」

 帝国学園のグラウンドで行われた練習試合が初めてのスターティングメンバーとしての参加になった。
 しかし、それは散々なものだった。
 いくら明王が声を掛けても他の選手は誰一人として明王にボールを回すことはせず、明王からのパスも全く上手く繋がらなかった。
 結果、明王は試合中に実力も発揮できぬまま途中交代させられる結果となってしまった。
 監督に抗議することもせず、明王は無言のまま交代を受け入れた。噛みしめた唇から血が滲み出る。
 ベンチに戻った明王に誰も労いの言葉をかける者はおらず、明王はドリンクを持つとそのままグランドを去った。
 足音が響く廊下で、明王は自分を追いかけてくる足音に気付いた。
「……ふん。慰めの言葉でもかけんのかよ」
 振り向かずそう言えば、背後から静かな声で「試合はまだ終わっていないぞ」と、返ってきた。
「出れねえ試合なんざ興味ねえよ」
「まだこれで終わったわけじゃないだろう。もし、他の選手が怪我をしたら、不調だったら、」
 言葉を遮るように壁を強く叩く音が廊下に響き渡る。鬼道が息を飲む気配が伝わってくる。
 勢いよく振り返った明王は歯を剥き出して吠えた。

「だったら最初から俺が下がらされるわけがねえだろっ!」

 明王の言葉が廊下を反響する。
 握り締めた容器から中身が漏れ出す。
「あんただってそれぐらい分かってんだろ!? 変な慰めなんて俺には必要ねえんだよ!」
 そう言って、握り潰された容器を鬼道に叩きつける。
 クソッ! と吐き捨てると走り去る明王の背中を鬼道は追いかけはしなかった。


 練習試合は結果的に帝国学園の圧勝だったらしい。寮に住む一般生徒達はそう嬉々として話している。
 明王は廊下の影に身を隠し、それを聞いて誰にも悟られることなく寮を出た。



 か細い街灯の点る公園は人っ子一人いなかった。
 時折吹く風にブランコが揺れ、高い音をさせる。他に聞こえるのは明王の足音だけだった。
 持ってきたボールを明王は黙って見つめる。
 このボールに幼い頃からずっと縛られてきた。今の明王はそう感じていた。
 サッカーに出会わなければ自分はもっと違う生き方を出来たのではないか、本当にらしくもなくそんな風に考えた。
 今まで一度足りて自分のやり方が間違っていたとは思ったことがないのに。自分自身を否定するなんて愚かな行為、馬鹿のすることだと見下していたはずなのに。
 しかし、今の明王は手にしているボールが憎くて仕方がなかった。
 新聞紙も空き缶も混在するゴミ箱の前に立った明王はボールをその中へ捨てる。
 最早何の未練もない。そう思ったはずなのに、手放す瞬間籠もった力は。明王は目を閉じてその事実に蓋をしようとした。

「たった一回交代させられたぐらいで諦めるのか」

 静かな公園で聞こえる音が加わった。
 驚いた明王が振り返ると、そこには鬼道が立っていた。
 どうしてこうもこいつはタイミング悪く自分の前に現れるのか、明王は舌打ちをすると、鬼道を無視してその場を去ろうとした。
 しかし、横を通り過ぎようとした時、鬼道の手が明王の腕を掴んだ。
 睨み上げると、鬼道は無表情で明王を見下ろしていた。
「……今日、何故お前が交代させられたか分かるか?」
「そんなもん、知るか」
 歯切れの悪い返事は明王の心情表している。
「サッカーは一人でやるものじゃない。そう、教えたつもりだったんだがな」
「は? 俺がいつあんたに教わったよ」
 乱暴に腕を振り解く。
「やっぱり覚えていないか」
 ゴーグルに隠された目は見えないが、心なしか寂しげな表情になる。明王にはその言葉も、表情の意味も分からなかった。
 鬼道はゆっくりと語り出した。
「七年前。いつも土手でサッカーをする同年代の子供達を見つめていた子供が居た。俺はそいつにサッカーが好きなのかと聞いた。そいつは……寂しそうに頷いた」
 語る言葉にの一つ一つに明王の目は徐々に大きく見開かれていく。口をパクパクと開閉させるが言葉は出てこない。
「俺がサッカーを教えてやると言ったらそいつは嬉しそうにした。その日から俺は毎日そいつと放課後サッカーをした。どんどん上手くなったそいつにある日同年代の少年が声を掛けた。一緒にサッカーをやらないか、と。戸惑っていたそいつに行け、と、俺は言った。折角友達が出来るチャンスなんだからな」
 まさか、まさか――明王の思考は上手く回らない。
 思い出の夕暮れの土手が脳裏を過ぎる。
 声を掛けられたこと。サッカーを教えてやると言われたこと。毎日のようにサッカーの練習をしたこと。
 鬼道の言葉にそって鮮明に思い出されていく。
「そいつはそれから毎日その子供達とサッカーをするようになった。俺も一応土手には行ったが、そいつにサッカーを教えることはなくなっていた。そして、俺は思った。こいつはもう俺がいなくても大丈夫だと。だから、俺はもう土手に来ないと決めた。俺が変にそいつに関わって折角出来たチャンスを壊したくはなかったからな。だが、サッカーをしていればいつか必ずまた会える。そう確信していた。だから、俺はあの日言ったんだ」

 夕焼けを背中に言ったあの人の最後の「またな」は、それまでと何か違う雰囲気を持っていた。今まで明王はただそれを別離の意味だと思っていた。だが、事実は違った。
 あの人は近い将来、また会おう。そういう意味で言ったのだ。
 この目の前に居るのが、あの夕暮れの土手で、明王に手を差し伸べてくれた。

「それが七年前の話だ。そして、その子供が……お前だ、明王」

 声は変わっている。会っても全く今まで気付かなかった。
 しかし、名前で呼ばれた瞬間、明王は全身から思い出が溢れ出るような感覚に襲われた。
 鳥肌が立ち、息が上手く出来ない。
 何かを言おうとするが、上手く言葉にならない。

 鬼道はゆっくりとした動作で今まで一度も外さなかったゴーグルを外した。現れた目を明王は知っていた。