イブニング オブ メモリーズ
真っ赤な夕焼けのように赤い瞳を明王は七年前、毎日のように見ていた。あの夕暮れの土手で見ていた。
「ほ、本当にあんたがあの時の……」
「覚えてはいてくれてたんだな」
優しい手つきで明王の頭を撫でる。その手も、明王は知っていた。
「明王、大きくなったな」
照らす光は夕焼けではない。だが、その微笑みも、瞳も、正しくあの夕暮れの日に見たままだった。
どうして今まで気付かなかったのか。明王は自身があまりにも周りを見ていなかったことを悟る。
自身のことだけを、強さだけを目で追っていたのだと思い知らされる。
一度、明王から離れると、鬼道は明王が捨てたボールをゴミ箱から拾い上げる。そして、それを軽く蹴ると明王の足下で転がす。
目を瞬かせる明王に鬼道は笑顔で言った。
「久しぶりにサッカーをしないか?」
暫し沈黙した明王は遠慮がちにボールを蹴り返した。
土手で初めてボールを蹴った時のような弱々しいパスに鬼道は微笑む。
黙ってパスを繰り返す明王と鬼道。
ボールを蹴る音と時折公園の横を通る車の音が入り交じる。明王は鬼道を見返すことは出来なかった。
足下のボールを見つめ、転がるそれと同じように思考も延々と渦巻いていた。
鬼道は最初から気付いていたのだろうか。自分のことを。ならば何故最初から言わなかったのか。言ってくれれば自分だってあんな態度をとることはなかっただろう。
言うつもりがなかったのだろうか。それならば何故今更名乗り出たのか。
明王には鬼道の真意が分からなかった。
戸惑いか、迷いか、明王のそれを見抜いたのか、鬼道は突然走り出した。
風を切り、マントを靡かせて自分の横を走り抜いた鬼道に明王は瞠目する。
「明王! こっちだ!」
振り向けば鬼道は手を上げ、パスを出すよう言っている。明王は数秒惑った様子を見せ、しかし、直ぐに視線を上げるとパスを出してその背中に続いた。
明王が出したパスはあの日よりも格段に正確に鬼道に届く。口角を上げた鬼道は追いかけてくる明王を認めると自分も再び公園を駆けだした。
パスのやりとりだけではなく、ボールの奪い合い、二人はサッカーを楽しんだ。
飛び散る汗は街灯によって輝く。
ゴーグルを外した鬼道は赤裸々にその目で喜びを語る。
そして、明王は奪い取れないことに毒づきながらも生き生きとした表情をしていた。
十分に体も温まった頃、鬼道は叫んだ。
「いくぞ!」
そう言って鬼道は勢いよくボールを蹴り上げ、それに続き己も飛び上がった。明王は意味も分からず、しかし直感で感じ取ると、続いた。
空にあるボールに二人の足が同時に触れ、その蹴り上げる力によってボールに凄まじい力が籠もる。
渦巻く力の波動はそのままに、ボールは勢いよく公園のフェンスに打ち込まれた。
二人はほぼ同時に地面に着地した。
明王は今起こった出来事に目を丸くし、フェンスを凝視している。
「い、今のは……」
「お前の可能性だ」
鬼道を見上げれば、満足げな表情をしている。
「可能性?」
「そうだ。サッカーは一人でするものじゃない。お前が秘めている可能性は人と関わることで更に深まるんだ」
「だけど、俺は……」
俯き、唇を噛みしめる。
鬼道はゆっくりと歩むとボールを拾い上げた。
「お前の可能性をお前自身が否定するな。俺は信じている。今も、昔も」
一年近くずっと冷たく接してきた自分に鬼道は迷いもなく笑いかける。信じていると言う。
嘘だ。詭弁だ。と、明王は一蹴しようと思った。しかし、出来なかった。
鬼道の目があまりにも真っ直ぐに自分を見ていたから。その赤い目は嘘偽りないと雄弁に語っていたから。
そういえば、と、思い出す。
周囲が手の平を返し、人というものを信じることを怖くなった頃。馬鹿らしいと思い始めた頃。
しかし、あの思い出の少年ならば自分を受け入れてくれるのではないか、と、思ったことを。力ではなく、自分自身を見てくれるのではないか。
僅かな希望は人に巻かれる内に煙のように消えてしまっていたが、今この瞬間、明王は確かなものだったのだと実感した。
風が吹き、頬が冷たいと感じた。明王はそっと自分のそこに触れると濡れていた。
泣いているのか、と、気付いた時には温もりに包まれていた。
鬼道は黙って明王を抱き締めた。
今は深夜だ。夕焼けどころか太陽さえ隠れている。なのに、鬼道の体からは夕暮れの優しい香りがした。
恐る恐るその背中に明王の震える手が回る。
明王の心は思い出の夕焼けに溶かされていった。
◆ ◆ ◆ ◆
思い出の人との再会。救われる心。そして、今まで啀み合ってきた仲間との和解。――などと都合良く話が進むのはドラマや本のだけだと明王は知っていた。
何年も人を拒み続けていた明王が直ぐに素直になるなんて、ドラマや本の中の話であろう、と、見ている者は誰しも出来すぎだと感じるだろう。
案の定、明王は鋭角に尖ったままで、今日も佐久間達の機嫌を損ねさせていた。
「文句があるならハッキリと言えばいいだろ」
「別に? 俺は文句があるなんて一言も言ってないぜ? ただ、そんななまっちょろいプレイしてたら近い将来帝国が最強の地位から落ちるだろうなって思っただけだ」
「どういう意味だ!?」
「だから、俺はハッキリ言ってるだろ」
「お前らいい加減にしろっ」
明王と佐久間の間に割って入るのは源田の役目というのがいつの間にか定着していた。
「確かに不動の言い分にも一理ある」
「源田っ」
「だってそうだろ? 今日のプレイ見ていればきっと鬼道さんもそう言ったぞ」
鬼道の名に佐久間はグッと言葉を飲み込んでしまう。佐久間の鬼道好きも相変わらずなのだ。
「だけどな! 言い方ってものがあるだろっ」
「そこは確かにそうだぞ。不動」
「フンッ。俺がどんな言い方しようと俺の勝手だろ」
「でも、それで仲間との関係を悪くしたら試合に響くのは不動も分かっているだろ」
尤もな事と、そして安易に先日の練習試合の事を指されて、今度は明王が言葉に詰まってしまう。
「今日は何が原因で喧嘩しているんだ」
それまで明王を親の仇とばかりに睨み付けていた佐久間が、その声に表情を一変させて振り返る。
「鬼道さん!」
自分の体を抑えていた源田を乱暴に振り切ると、佐久間はまっしぐらに鬼道に走り寄った。
「今日は他の部員達の練習態度に不動が指摘しただけです」
「何だ。じゃあ、喧嘩する必要なんかないじゃないか。弛んだ態度をしていた奴が改めればいいだけだろう」
「尤もです!」
鬼道の横で大きく頷いて見せた佐久間がいの一番に明王に噛みついたくせに、と、源田は溜息しか出ない。
鶴の一声よろしく、鬼道の言葉に他の部員達の怒りも治まると練習が再開された。
佐久間、源田、そして明王だけはそれに加わらず、鬼道と話した。
「予選も近いんだ。皆の士気が下がるようなことだけはないようにな」
「勿論です!」
「ったく、お前は犬かっての」
小声で呟いた言葉はしっかりと佐久間の耳に届き、再び表情が険しくなる。
「何か言ったか?」
作品名:イブニング オブ メモリーズ 作家名:まろにー