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イブニング オブ メモリーズ

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「べーつに。ただキャンキャン吠えてきたかと思えば、今度は尻尾振り回して大変だろうなって思っただけだ」
 何だと! と、明王に掴みかかろうとした佐久間を止めたのは、源田ではなかった。
「不動!」
 大きな声と共に明王の頭部に衝撃が走る。
「いってぇ! 何すんだ!?」
 続いて痛みが訪れた頭部を押さえながら明王は鬼道を見上げた。
「わざわざそんな角の立つ言い方をするな!」
 ゴーグルの奥にある目が釣り上がっているのは見えなくても分かった。
 源田は二人の間に入ろうか迷う動きを見せている。明王の鬼道への態度が酷いのは既に周知の事実だからだ。
 だが、明王の行動は源田はおろか佐久間も思わず目を丸くしてしまう。
 頭部を押さえながら顔を背けると、明王は気まずそうに呟いた。
「……うっせーな」
 それは拗ねた子供のようで、佐久間は自身の頬を抓ってしまう。
「痛い、ってことは夢じゃない!?」
 素っ頓狂な声に明王は恥ずかしそうに顔を赤らめて「どういう意味だ!」と、吠えた。




 練習後、帰り支度をする明王の前に鬼道が現れる。
「……あいつらと先に帰ったんじゃねーのかよ」
「誘われはしたが、断った。俺は最初からお前と帰るつもりだったからな」
 堂々とした態度でそう言われてしまい、明王は何と返答したらいいのか困ってしまう。苦し紛れに「……まあ、別にどうでもいいけどよ」、と、呟いて鬼道を置いて部室を出て行く。背後で軽く笑われた気配を感じて、明王はどうしようもなく悔しい気持ちになる。
 学園から寮までは位置にもよるが、明王の住む所へは定期的にバスが出ていた。しかし、明王は多くの生徒でごった返すバスは好まず、いつも徒歩で帰宅していた。
 今日はそんな明王の隣に鬼道が居た。
 二人は無言でひたすらに歩く。ローファーが地面を叩く音だけが耳に届く。
「――進路希望調査があったらしいな」
 鬼道は唐突に切り出した。
「アァ?」
「佐久間に聞いた」
 今朝のホームルームに二年生にはある用紙が配られた。それは鬼道の言う通り、進路を調査する為に生徒にそれぞれの希望を記入させる物だった。それを読んだ上で後日一者面談が行われ、生徒達の希望が叶う叶わないを通告されるのだ。
「で、お前は何て書いたんだ?」
「あんたには関係ねえだろ」
「関係はないかもしれないが、知りたい」
 横目で鬼道を伺っても、ゴーグルに隠されてしまっていてイマイチ感情を読み取りにくい。あの日以降もゴーグルを着け続ける鬼道に明王は苛立ちではなく面倒くささを感じていた。
――何考えてんのか分かんねえ、っていうか、俺が人の顔色見てるとか気色悪いったらねえぜ。
 心の中で唾を吐き捨てると、明王は鬼道を伺うのをやめた。
 言いたいことを言ってしまったのか、鬼道は黙りこくっている。沈黙に耐えきれなくなったのは明王だった。
「……普通に帝国の高等部に進学って書いたよ」
「そうか。じゃあ、その後はどうするんだ」
「その後って、高校卒業してからってことか? そんなのまだ考えてねえよ」
「サッカーは続けないのか?」
「続けられたら続けるよ」
「そうか」
 開きかけた口を明王は結局一言も発さず閉じた。

 鬼道は進路をどう考えているのだろう。中学生の自分よりも、進学するにせよ就職するにせよ、鬼道の進路の方がよっぽど重要だろうし、何より気になる。
 卒業するまであと一年もない。その間鬼道は今までのようにサッカー部へ顔を出すつもりなのだろうか。いくら鬼道が優秀とは言え、受験勉強や、就職活動をしないでいいわけではないだろう。だとすれば、鬼道が顔を出す機会も自ずと減っていくのか。

明王はその答えに辿り着いた時、自然と言葉を発していた。

「あんたが良ければよ……これからも一緒に帰らねえか?」

 唐突な言葉。そして、明王からそんな事を言われるとは思っていなかったのだろう。鬼道は足を止め、明王の顔を凝視した。
 しまった、と、思ったが時既に遅し。明王はせめてもの抵抗にと顔を背けて「別に嫌ならいいんだよ!」と、強がりを言った。
「嫌なわけがないだろう」
 柔らかな声色で言われて、明王は知らずに籠もっていた肩の力を抜いた。

 その日から明王と鬼道は一緒に帰るようになった。明王の住む寮までの、時間にしてわずか数十分だけの二人の時間。別段、特別な会話をするわけでもなければ、何処かへ寄り道をすることもない。二人はただ連れ添って一緒に帰った。

 何故、二人だけで帰っているのだろうか。
 何故、自分は鬼道を誘ったのだろうか。
 何故、鬼道は自分の誘いに乗ったのだろうか。

 毎晩のように明王はそんな自問自答を繰り返していた。しかし、出てきた答えは一つしかなく、そして、一番重要な答えは決して出なかった。


 明王にとって鬼道は『思い出の少年』として、昔から特別な存在だった。二人がイコールで結んだのは最近の事だが、しかし、例え『思い出の少年』でなかったとしても、鬼道は明王にとって特別な存在なのだろう、と気付いたのは自問自答の中でだった。
 嫌悪感を露わにした態度をとる自分を鬼道はそれでも見捨てずに根気強く接してくれた。きっと遅かれ早かれ、明王は鬼道に心を溶かしていただろう。悔しいが。

 では、逆に鬼道にとって自分は?
 自分を執拗に構ってきたのは鬼道にとっても『思い出の少年』だったからなのだからだろうか。もしも『思い出の少年』でなければ鬼道は自分に目もくれなかったのだろうか。
 それが、決して見つからない答えだった。


◆ ◆ ◆ ◆


 夕暮れの住宅街。今日も二人は一緒に帰宅していた。
 他愛もない会話の中、明王はいつ切り出そうがずっと迷っていた。何度も口を開閉させては言葉は溜息に変わる。
 その度に鬼道の視線を感じてはいたが、それを気遣えるような器用さがあれば今頃佐久間達とも上手くやっているだろう。
「……今日も佐久間達に誘われてただろ」
 口から出た言葉は確信を避けたものだった。
「見ていたのか。ああ、一緒に帰らないかと言われた」
「良かったのかよ」
 フッと笑みを漏らした鬼道はいつものように堂々と言った。
「何を今更。お前と一緒に帰ると決めているのは俺だ」
 こんな所が。鬼道のこんな所が明王を惑わせる。
 自分だから、不動明王だったから包み込んでくれたのではないのかと勘違いしそうになってしまうのだ。
 だが、実際は。
「……あんたさ、何考えてんの」
 明王は苛立つ口調を抑えることが出来なかった。
 毎晩毎晩、出もしない答えを探し続けるのもいい加減疲れていたのだ。それが、今日とうとう吐露した。
 立ち止まった明王に合わせて止まると、鬼道は首を傾げた。
「何をって、どういう事だ?」
「全部だよ、全部! あんたが俺に近づいたことも! 今こうして一緒に帰ってることも! 俺にはあんたが何考えてんのかサッパリ分からねえよっ」
 必死な形相で叫ぶ明王に鬼道は惑っている。気遣わしげに手を差し伸べたが、明王はそれを叩いた。いつかの繰り返しのように自分の成長のなさに明王は反吐が出る思いだった。
「明王……」
「そうやって二人の時だけ名前を呼ぶのも一体何の意味があるんだよ!? 俺は、俺には分からないっ」