幸せの足音
陽の昇りきらない、午前中。
家族全員の洗濯物を干すエルルゥとカミュの横、木陰の柔らかな下草の上に腰を下ろし、ムックルに背をあずけ、ユズハとアルルゥが本を広げている。
いつもと違うのは、カミュだけがエルルゥを手伝い、洗濯物を干している事。
アルルゥが本に顔を近付け、一生懸命ユズハに話して聞かせている事。
その2つだった。
「少女の金色の髪と……翡翠の瞳……には見覚えがありました。少年の……助けた少女は皇城の姿……絵でみた、お姫様だったのです……」
辿々しく読み上げるアルルゥの声は、少し誇らし気だった。
アルルゥは勉強があまり好きではない。
本を読んだりするよりも、畑の手伝いをしたり、外で元気いっぱいに遊んでいる方が好きだった。
昔、祖母トゥスクルに読み書きを教わった事もあったが、興味がなかったので、ほとんど覚えてはない。
そんなアルルゥが文字を覚え、本を読んでいるのは…カミュが読み聞かせてくれるお話が面白いから。それと、お話を聞いている間、ユズハがとても楽しそうに微笑むから。
自分でもユズハの微笑みを作りだす力が欲しかった。
動機はそれだけ。
たった、それだけの事。
それでも本人のやる気の有る無しで、影響ははっきりと現れる。
ユズハの眠っている時間にカミュに読み書きを教わり、カミュにもわからない文字があればムントやハクオロに聞いて……そんな感じで身につけた読み書きの成果を、今日ユズハに披露しているのだ。
時々難しい文字にひっかかるのはご愛敬。
アルルゥの声に耳をすませ、はらはらしながらも、優しい目で見守るエルルゥ。
隣にいると、アルルゥが引っ掛かった文字を代わりに読んでしまい、怒られそうなので。少し離れてエルルゥの手伝いをするカミュ。
穏やかで、優しいひととき。
「こうしてペドロゥ少年は、ディーア姫の……護衛として、皇城にむかえられました」
「人形の武人、6巻に続く」っと、最後まで無事読み終え、本を閉じるアルルゥ。
「アルちゃん、とってもお上手……」
「ん~」
勉強の成果をユズハに認められ、アルルゥは恥ずかしそうに頬を染め、誤魔化すように立ち上がり、カミュに走りよる。
「カミュち、本の続き」
「あはは、その本、中々揃わないんだよね~。
オンカミヤムカイの書庫にも全部そろってないんだよ」
「ん~、ばる」
「チキナロおじ様なら、そろえてくれるかな~?」
カミュとアルルゥの他愛のないおしゃべりに、ムックルの背を撫でながらユズハが顔をあげる。
自分達のいる方向に近付いて来る2つの羽音。
1つは少し離れた所に舞い降り、優雅な足音。
もう一つは、ユズハのすぐ近くに舞い降りる。
落ち着きのある、一歩一歩に年期を感じる足音。
「カミュちゃん、ムントさまが……」とユズハが声に出すのと、カミュがムントに気がついたのは同時だった。
「姫様……」
「あ、あれ~? ムント……」
洗濯物のしわを伸ばしていた手をとめ、乾いた笑いを浮かべるカミュ。
引きつった笑顔で動きを止めているカミュに、ムントが近付く。
「今日こそは、逃がしませんぞ」
「あはは~。じゃ、そういうことで」
ムントに捕まる前に、くるりと背を向け、逃走姿勢。
カミュは気付いていない。
後ろから近付いていた、もう1人の足音に。
助走をつけて、一気に飛び立とうと地面を蹴り……濡れた洗濯物に突撃。そのままの勢いで、近付いてきたもう1人の胸に倒れ込む。
豊かな白い胸と、鼻孔をくすぐる優しい花の香に、カミュは逃げ道がなくなった事を悟る。
「……カミュ」
「お姉様……」
顔をあげると、予想どおり。
黄金の滝のような髪を銀の髪飾りで留め、空と海を移す蒼の瞳に憂いを帯びさせたウルトが立っていた。
「遊んでばかりいるそうですね」
穏やかな声。
けれど、少しだけ悲しそうな響きがある。
「今のカミュには確かに、友達と遊ぶ時間も大切です。
でも、同じようにムントの教えてくれる勉強も、大切な事なのですよ?」
トゥスクルに来て、始めて出来た歳の近い友達だ。
少しぐらいはめを外して遊ぶのは、目を瞑ろう。
けれど、遊ぶ事に夢中になって、勉強を疎かにする事は感心しない。
「カミュにはまだ、学ばなければいけない事が、沢山あるはずです」
尊敬する姉に穏やかに窘められ、うなだれるカミュ。
「姫様、今日はこのムントめに従っていただけますな?」
「はぁ~い」
いつもは自分に甘い姉が、今日は見逃してくれる気がないのだ。
これは諦めるしかない。
カミュの素直な返事に、満足気に微笑むウルトとムント。
「ここしばらく逃げられてました分の、遅れを取り戻しませんと……」
意気揚々と宣言するムントの背中に続きながら、今日は解放されそうにないなぁ~っとカミュは盛大にため息をついた。